14~15日目 記憶喪失の怪物
クエスト受信の一時間前に拠点を抜け出して、情報屋から聞いたボスを討伐するためのクエストを受けるために、福岡県の中でも四国に近い海に面する北九州市へ向かう。
静まり返った市内を駆け抜けて、いくつかの山と廃墟の街を通り過ぎる。ほどなくして到着した北九州市は、プレイヤーの姿も気配も感じられない無人の廃墟が広がる、まさに人間に見捨てられた街と表現するに他ならない場所だった。
「誰も……いないのか」
呟く言葉が眼前に広がる瓦礫と廃墟に吸い込まれた気がした。
九州のプレイヤーが福岡市内に集まっていることを考えれば、福岡市にほど近いここ北九州市のプレイヤーも随分前に福岡市内へ移動していたのだろう。
我が物顔で街を闊歩するゴブリンやオークを殺し、スマホから流れる種族同化率の上昇を知らせる声を聞きながら俺は海辺へ向かった。
「…………ふぅ」
鼻につく潮の匂いを口から吐き出すように息を吐いて、スマホの時刻を確認する。
クエスト受信の十分前。ここでしばらく待っていれば、次のクエストを受けることが出来るだろう。
埠頭のひび割れたコンクリートの地面に腰を下ろして、ぼんやりと夜の色を吸い込んだような黒い海を眺める。
岸壁に打ち付ける波の音。
月の光を静かに反射し、その姿を揺らめき照らす海の水面。
まるで、なんて比喩じゃなく。この街には自分一人しか存在していないのだというその事実が、この世界に足を踏み入れてから感じていた孤独感をより強くした。
「……あと、どれだけレベルを上げればいいんだろう」
ふとした言葉が零れ落ちる。
レベルも70台に入って、もうすぐで80台になろうとしている。ステータスの数値はもはや化け物を越えて、プレイヤーの皮を被った怪物と言ったほうがしっくりくるのかもしれない。
誰も俺と横に並べない。一緒に戦うことも出来ない。たった一人、マキナという神だけが見ている本当に孤独なクソゲー攻略だ。
――先行プレイヤー。
あの時、自分で口にしたその言葉が、ずっしりと心に重く圧し掛かる。
最初はきっと、他のプレイヤーと同じだったはずなのに。気が付けば、俺は先行プレイヤーだと、本来ならば存在しないその名前を名乗らなければ怪しまれるほどの力を付けて、この世界でのクソゲーに挑んでいる。
……おかしな話だ。この世界は、俺が元いたあの世界じゃないはずなのに。
自分を失ったあの世界の、残骸とも言うべきプレイヤーが、この世界で誰よりも必死にクエスト攻略を行っている。
「……ふぅ」
夜空に息を吐き出すと、より孤独感が増した。
だから俺は大きく息を吸い込んで、生唾を飲んで口を閉じた。これ以上、憂いたところで何の意味がないからだ。
再びぼんやりと海を眺めて、その先にある影のように立つ山並みが日本本州の入り口なのだろうとぼんやりと考えていると、待ち焦がれたアナウンスがようやく耳に届いた。
≫≫ストーリークエストを受信します。
≫≫ストーリークエスト:蒼海の支配者 を受諾しました。
≫≫…………ストーリークエスト:蒼海の支配者の開始条件を満たしていません。
≫≫ストーリークエストは瀬戸内海の特定ポイントに到着することで開始されます。
今日のクエストだ。
俺は、今しがた聞いたクエスト内容と、情報屋の内容が相違なかったことに対して小さく頷く。
おそらく、蒼海の支配者がクラーケンのことだろう。瀬戸内海の特定のポイントが四国と九州の間らしいから、まずはそこまで行って開始条件を満たす必要がある。
「そこまで行くのにどうするかな。……泳ぐか、船か」
情報屋が言っていたことを思い出す。
広島の呉でプレイヤーが集まって造船しているらしいが、その船が作られるまでどれくらいかかるのか分からない。造船の知識や技術の無い俺が呉のプレイヤーと合流したところで出来ることはほとんど無いだろう。
しかし、だからと言って泳ぎながらボスと戦うのはかなり難しい。
海中での戦闘は未経験だ。それに、俺の武器は刃物が中心だから接近戦をする必要があるし、身動きの取りづらい海中でそれが満足に出来るとは思えなかった。
「…………ひとまず、呉に向かって船の完成度を見てから決めるか」
完成まで一ヶ月や数カ月はかかる、なんて言われた時は泳ごう。
そんなざっくりとした計画を立てて、俺はその場から立ち上がると眼前に広がる海に背を向けた。
「――まあ、その前に佐賀のボスを倒さねぇと」
他のプレイヤーが居る以上、クエストボスの討伐は取り合いだ。俺にとっては貴重な経験値である以上、見逃すことは出来ない。
一度ステータス画面を開いて、レベルの上昇やスキル獲得の確認をしてから、両足に力を入れて走り出す。
鼻につく潮の匂いと耳に届く波の音がすぐに消えて、再び廃墟と植物の世界に俺は飛び込む。
さきほどの孤独感はいつしか消えていた。
今はただ、ボスモンスターを殺すということに思考が向いていた。
……それでいい。今は、それでいいのだ。
これからは、今日のクソゲー攻略の時間なのだから。
余計な思考は忘れよう。雑念は死を招く。ここからは、この世界と俺の一騎打ちだ。
「――――さあ、クソゲーの時間だ」
俺は呟く。
走りながら、俺はもう一度手の中のステータス画面に目を落とした。
――種族同化率:45%
俺がこうして身体を動かせるのは残り少ない。
同化率が上昇するごとに思考が乱れてノイズが混じる。クエストを受けた以上、思考はボス攻略に向く。それにあえて逆らう行動を取る以上、もしかすれば同化率は時間と共に上昇していくのかもしれない。そうなれば、佐賀のボスを相手にするのは俺ではなくアイツの可能性がある。
「……まあ、それでもいいか」
今の俺には経験値が必要だ。それを稼ぐのは、絶対に俺である必要はない。
最近はステータスが上がったからか、アイツの無茶な身体の使い方にも俺の身体は対応できるようになっている。ちょっとやそっとじゃ俺の身体はもう壊れない。以前は身体のことを気にしていたが、その心配はもうなくなっていた。
「――――うるせぇな。ちょっと待ってろ」
頭の中で身体を渡せと騒ぐ声に俺は言い返して、佐賀のボスへと俺は向かう。
きっと、次に意識を覚ました時には佐賀のボスは居ないだろう。
本格的なクエスト攻略はそれからだ。
――――だから、今はそれでいい。
◇ ◇ ◇
ボスモンスターの相手は、想像していた通り『人間』の役目になった。
『人間』によって身体の操作権を奪われた俺は、いつものあの空間でいつもの椅子に座りながら、『人間』の操作するその画面を眺めていた。
画面の中では、『人間』の操作によって振るわれた打刀が馬の上半身と魚の下半身を持つモンスター――ケルピーへとまっすぐに向かい、その首を落とそうと銀の軌跡を宙に描いたところだった。
ボスとの戦闘で初めての一撃。スキル【一閃】によって威力が底上げされたその刃は、一撃のもと勝負を終わらせようと神速をもってケルピーに迫る。
対してケルピーは、額から生える青白い角を正確に俺の打刀に合わせて振るうと真っ向からその攻撃を受け止めた。
「――む」
と、白い髪と青い瞳の男の子――『人間』の口から言葉が漏れる。
『人間』が素早くコントローラーを動かすと、画面の中の『俺』は打刀を素早く引いて、身体をぐるりと回転させて即座に回し蹴りを放つ。目にも止まらぬ蹴撃は、振り抜きや振り払いの動作に加速と威力上昇をもたらす【撃発】というスキルによって必殺の一撃となって、ケルピーの首筋に吸い込まれるように沈み込んだ。
「――浅かったか」
と、それを見ていた『人間』が呟いた。
(ああ、弱いな)
と、俺もそれを見て思わず思った。
(そこは蹴りじゃなくて、もう一度刀で斬るべきだった)
続いて頭に浮かべたその言葉を、俺は口にすることが無かった。けれど、俺の意識の中だというこの場では口にしなくても『人間』には伝わる。
『人間』は俺の言葉に即座に反応して言葉を言い返してきた。
「今の体勢からじゃ、満足に刀を振るえないよ」
そう言って、『人間』は手元のコントローラーを激しく動かしながら画面の中の『俺』を即座に次の行動へと移す。
『俺』は蹴りを放った体勢から素早く身体を起こすと、腰のベルトに蔦で括られぶら下がっていたクナイをいくつか引きちぎり、ケルピーに向けて素早く投げつけた。
クナイは真っすぐにケルピーへと飛んでいくが、ルナティックモードとボス補正が掛かったケルピーはその投擲に素早く対応する。素早く首を動かしたケルピーはクナイを全て打ち落とすと、激しい咆哮を上げた。
瞬間、どこからともなく大量の水が出現する。それはまるで、何もない空間から滲み出たかのようにケルピーの周囲に広がった。
出現した水は空中で輪っかを描くと、途端に高速回転を始める。それが、ケルピーのスキルだと俺はすぐに気が付いた。
(水のリング……。ウォーターカッターか? あれに当たると、さすがの俺でも腕が切れるぞ)
椅子に座ったまま、俺は隣でコントローラーを持つ『人間』に向けて言葉を放つ。
『人間』は俺の言葉にむっとした表情をすると、唇を突き出して声を出した。
「分かってるよ、それぐらい。というより、さっきから五月蠅いな」
言いながら、『人間』は手元のコントローラーを弾いた。
画面の中の『俺』が【紫電】を発動させた。毎秒MPを3消費する代わりにAGIを30%も向上させるそのスキルは、一気に『俺』を光の世界へと引き上げる。
踏み出した足で地面が割れて、粉塵が舞う。
残像さえも残す勢いで一気に肉迫した『俺』は、腰に構えていた打刀を振り抜き、今度こそケルピーの首に銀閃を残した。
回避不能の一撃。本来ならば、それで決着が付くはずだった。
「……くっそ」
と、言葉を漏らしたのは『人間』だった。
対して俺は、それを見て小さく息を吐く。
(……まあ、【一閃】も乗ってない一撃だからな。最初の振り下ろしで乗らなかった【撃発】は乗ったみたいだけど、それだけだ)
画面の中のケルピーの首には赤い筋が付いていた。肉を断ち、血管さえも傷付けたのだろう。夥しい量の血が流れてはいるが、その首は落ちていない。それどころか、攻撃後の硬直を狙われたのか反撃として振るわれた角によって画面の中の『俺』は吹き飛ばされて、地面を激しく転がっていた。
(代ろうか?)
と俺は『人間』に向けて言葉を吐き出す。
「馬鹿を言うな。いいから、そこで見てなよ。今のは油断しただけだ」
と『人間』は言葉を吐き出し、唇を舐めて姿勢を正すとコントローラーをまた激しく動かし始めた。
俺はそれを見て、ぼんやりと思考を巡らせた。
コイツとこうして顔を見合わせるようになって結構な時間が経つ。
はじめは俺の思考を侵し、身体の操作を奪おうとしてくるコイツに嫌悪感や怒りしかなかったが、こいつら種族のことを理解し始めて、俺の中での種族に対する考えは少しずつ変わっていた。
種族の疑似人格は、良くも悪くも命題に忠実だ。むしろそれが思考と行動原理の全てだと言っても過言ではない。
それは、例えるのなら理性のない子供と同じ。
どこまでも欲望に忠実で、そこに悪気はないのだ。
だから、コイツは俺を誑かそうとしてくる。自分の存在証明が出来る方法が、それしかないから。〈救世〉と〈幻想の否定〉という二つの命題でしか、コイツは俺とのコミュニケーションを取る方法がない。
以前、コイツに記憶に関することを聞いたことがあった。
けれど、それに対してコイツは答える気が無いと言った。
その言葉の意味が、今なら分かる。
俺の記憶があろうがなかろうが、コイツの〈救世と幻想の否定〉には何の影響もないからだ。だから、コイツは俺に記憶を教えなかった。メリットが一つもないと言って。
(……今なら、聞いたら教えてくれるのか?)
「何を? ああ、記憶のこと? 前にも言ったけど、僕のメリットが一つもないから教えないよ」
『人間』は俺の思考の内容が分かっていたのだろう。コントローラーを動かしながらも、すぐにそう答えた。
「それに、僕が教える必要はもうないんじゃない? 神様に――マスターに、鍵を外してもらったんでしょ? だったらそのうち思い出すよ」
『人間』がそう言い放つ。
画面の中では相変わらず『俺』が激しく動き回り、打刀の他に蹴りや拳を使って着実にケルピーを追い詰めていた。
(……刀を振るったのは何回目だ?)
と、俺は画面に意識を戻して言った。
「まだ二回目。そろそろ匕首を使おうかな」
と、『人間』が言い返してくる。
『人間』の手元が動いて、『俺』は左手に打刀を持ち変えると右手で腰から匕首を引き抜いた。
左手の打刀を下段に構えて、右手の匕首を上段に構える。変則的なその構えに、俺は思わず言葉を漏らす。
(二刀流か。やったことないな)
「僕もないよ。今まで、君がここまでトワイライト・ワールドを進めたことが無かったからね。今、君にとってもこの世界での出来事は初めてのことばかりだろうけど、それは僕も同じだから」
言って、『人間』がコントローラーを動かした。
途端に画面がゆっくりと暗く染まる。それは、何度か目にした『人間』が行う【集中強化】の極地。人の身体を越えた集中力の限界を超えた先の景色で見られる暗転現象。目の毛細血管が拡大し充血によって赤くなった瞳が映す画面の暗さだった。
「……さあ、これで終わりだ!」
『人間』が叫び、『俺』が一気に走りだす。
【紫電】に加えて【闘争本能】も発動しているのか、加速するその身体は一瞬でケルピーの元へと辿り着く。
『人間』が指を弾く。
すると、『俺』は一瞬の内で四回、ケルピーの目に向けて匕首を突き刺した。二回目と四回目に【二突】のスキル効果が発動して、刺突の威力が上がりケルピーの眼球を確実に潰す。
それからくるりと身体を回して、ケルピーの胴体を横から激しく蹴りつけた。
画面の中のケルピーが痛みで吼えて、痛みに耐えるように首が持ち上がった。
それが、全ての終わりだった。
「――――トドメだ」
『人間』が呟き、『俺』が腕を振るう。
振るわれた左手は三撃目の斬撃をケルピーに与えて――その攻撃にスキル【三斬】と【撃発】が発動して、刃はケルピーの首に深く沈み込んだ。
振り抜かれた腕に少し遅れるようにして、ケルピーの首が地面に落ちる。
ドサリと倒れるその身体を画面が映し、『人間』はようやくコントローラーを手放した。
「ふぅ……。楽しかった。このまま次のモンスターを――――って言いたかったけど、今回はもういいよ。君に返してあげる」
(いいのか?)
「うん、十分楽しかったし。それに、今の君は僕が何も言わなくても〝否定〟の仕事をきちんとしてくれるからね」
言って、『人間』は俺にコントローラーを手渡した。
「それじゃあ、またね。今度は僕が、君の戦いを見させてもらうよ」
呟く言葉に、俺は言葉を返せない。
コントローラーを受け取ったその瞬間、いつものように俺の意識は浮上する。
重たい瞼を持ち上げると、目の前に広がった夥しい血液と激しい頭痛が俺の身体を苛んでいた。
「…………俺の方が、アイツより戦闘上手いんじゃねぇか?」
少なくとも、最近は俺が行う戦闘では【集中強化】での反動がここまで出ることは無い。
俺は頭を押さえながら息を吐き出し、ふらりとその場に腰を下ろす。
頭の中では、『人間』の激しく抗議をする、
『僕の方が君より上手く戦えてるだろ』
という幻聴がいつまでも響いていた。




