14日目 互いのクソゲー攻略
「――――――」
ぐるぐる、ぐるぐると脳裏に言葉が溢れて回る。
俺の知らない単語。俺の知らない名前。俺の知らない出来事。
それらは全て、瞼の裏に流れる無音映画に付けられる字幕だった。その映像を補足する言葉――いや、知識そのものだった。
瞼の裏の映像は、見知らぬ父と見知らぬ母の顔を映し出す。その顔つきは二十代後半で、彼らは俺を笑って見下ろしていたから、この映像は俺の子供の頃の映像――失われた記憶だとすぐに分かった。
無音映画の中で、彼らが口を動かすと彼らの言葉が知識として頭の中で浮かび上がって消えていく。
――ユウマ、と。
彼らは俺の名前を呼んでいた。
それが、俺の名前だったのだと。忘れてしまった俺の名前は、ユウマという名前だったのだと、俺は自然と理解した。
そこで、映像は乱れて消える。
瞼の裏に暗闇が広がって、俺はそれ以上の映像が流れないことを数分ほどその姿勢を保って確認してから、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
「…………おかえり」
と、マキナは囁くように言った。
「…………今のは」
と、俺は声を出す。喉の奥が乾燥していたからか、吐き出したその声はがらがらに嗄れていた。
俺は傍に置いてあった水のペットボトルを手に取ると、その水を呷って喉を潤す。
それから、ゆっくりと息を吐き出すとマキナに目を向けた。
「今のが、俺の記憶なのか?」
「……そう。私が鍵を解いたことで、あなたが思い出したこと。あなたが今、何を思い出したのかは私には分からない。でも、いま思い出したことは全部、本当にあったあなたの記憶そのもの。アイオーンに奪われ、あなたの奥底で鍵を掛けられ、あなたが手に取ることさえも出来なかったあなたの記憶の欠片」
「そうか……。あれで、全部――じゃないんだよな」
「……そう。今のは、ほんの一部。鍵は外したから、これからは少しずつ思い出すはず。ちなみに、何を思い出したの?」
「あれは、多分……、俺の両親だ。俺の小さかった頃の記憶だよ。父親と母親が出てきて、俺の名前を呼んでいた」
「あなたの名前は、分かった?」
俺は、マキナの言葉に小さく頷いた。
「……ああ。ユウマ、って名前らしいな」
自分の名前を口に出したが、いまいちピンとはこなかった。
名前を失ってからある程度の時間が経ったからだろうか。それとも、記憶を失った状態で俺自身の名前を知識として思い出したからだろうか。
今の俺の感覚をあえて言葉にするのならば、新たな演劇を行うためにユウマという新しい名前を割り当てられた、といった方がいいのかもしれない。
だから、俺は困惑する。
あれほど欲しがっていたプレゼントが、ようやく手元に届いたその瞬間に興味が失せたように。
名前というその記号が持つ言葉の意味が、今の俺には何の意味もなかったことに今さらながらに気が付いてしまう。
「――――ああ、そうか」
そこで、俺はぼんやりと理解した。
名前が分かったことで、これからは堂々と自分の名前を名乗ることが出来る。あの少年以外にも、名前を聞かれればその答えに窮することなくすんなりと言うことが出来るだろう。
けれど、それだけだ。名前というのは、たったそれだけなのだ。ただ、個人を分けるために付けている記号にしか過ぎないのだ。
名前があろうが、無かろうが。今の俺がやるべきことはただ一つ。このクソゲーを終わらせることだけだ。
その行為をするのに、果たしてユウマという名前は本当に必要なのだろうか?
「……だから、お前は俺の名前を呼ばなかったんだな」
そう言って、俺は彼女を見つめた。
マキナが――これまで、この箱庭での俺を見てきたという彼女が、知っているはずの俺の名前をこれまで口にしていなかった理由。
それは、彼女がトワイライト・ワールドを作り出した張本人であり、この世界のキャラクターではなく神様という存在だから。
彼女は本当の意味で、このクソゲーのプレイヤーではないから、俺たちプレイヤーを名前で呼び、区別することがない。ただ近くに居ながらも一歩引いたその場所で、〝あなた〟と呼びかけている。
彼女にとって、俺は星の滅亡を回避させるというゲームを攻略するために必要なただのキャラクターだ。そのキャラクターに名前が付けられたからといって、名前という記号があることで攻略難易度が下がるわけではないのだ。
だから、彼女は俺の名前を呼ばなかった。彼女にとってのクソゲー攻略の中で、俺というキャラクターに名前なんて必要ないから。強いて言えば、彼女が付けたクソゲーの中ので俺の名前が〝あなた〟だった。
……それじゃあ、なぜ彼女が俺の記憶を解いたのかという話になるが、それも簡単な理由だろう。
彼女にとってのクソゲーを攻略するのに、俺の失った記憶を取り戻す必要があった。
俺の言葉を待たず、強制的に俺の記憶を取り戻すことも出来ただろうが、それをしなかったのは、彼女の行うクソゲーの攻略のキャラクター……つまりは俺に自我があるからだ。
俺を強制させることによって俺が彼女に反抗し、その結果、彼女の言う星の滅亡が回避出来なかった時点で彼女のクソゲー攻略は失敗になるから。だから、彼女は俺の意思を尊重させていた。
「俺にとってのクソゲーはアイオーンを殺すことだけど。お前にとってのクソゲーは、星の滅亡を回避すること。だから、お前は俺に手を貸している――いいや、俺に手を貸して俺を使ってお前にとってのクソゲーを攻略しようとしているってことか」
俺の言葉に、マキナは何も言わなかった。
ただマキナにしては珍しく、その口元に小さな笑みを浮かべて。そして、その透き通る声で小さく囁いた。
「――――あなたは、プレイヤーでもありキャラクターでもある。それはいつしか、あなたが自分で言った言葉。そうでしょう?」
俺は、その言葉に口を噤む。
その言葉に覚えはない。けれど、その言葉はきっと。忘れてしまった過去に、俺が口にしていた言葉なのだろう。
ゆっくりと息を吐き出す。
それから、ガシガシと頭の後ろを掻いてマキナを見つめる。
「…………ああ、その通りみたいだな」
と、俺は言った。
マキナに利用されようが、その結果として俺がコイツのキャラクターだろうがどうでもいい。
俺はこのクソゲーを攻略する。そのためだけに、俺はここにいる。
それにはコイツが必要だ。今は力がないとは言っても、仮にも神様なのだ。
マキナが俺を利用するように、俺もマキナを利用する。
俺たちは、互いを利用して互いにとってのクソゲー攻略を進めていくだけだろう。




