14日目 方針
博多駅のロータリーを離れて、拠点にしている廃墟へ向かう。東に真っすぐに足を進めると海に続く幅のある河川にぶつかり、そこを道沿いに真っすぐ北に進むと学校が見えてくる。
俺が拠点にしているのはその先。草木と苔に覆われ半ば瓦礫とも言える廃墟となったアパートの一室だった。
錆て朽ちた鉄の扉を押し開け、カビと埃の匂いがする室内に足を踏み入れる。割れた窓ガラスから差し込む月明りが、俺の侵入によって舞い上がる塵埃を薄っすらと照らすのが見えた。
俺は、入り口傍の壁に背中を預けるようにドサリと腰を下ろすと、スマホを操作して食料と水を取り出して無言で腹に詰めた。
「…………」
味はしない。いや、もはや感じないと言ったほうが正しいのかもしれない。
あの繰り返しの中で取得したスキルによって、食事や飲水――それこそ睡眠さえも必要としない身体になってから、俺は食事に対する感情そのものが薄らいでいた。
最悪、食事をしなくても身体は動く。
しかしそれは、食事をしなくても身体が動くということだけであって、食事をしなければその分だけ俺の身体は痩せ衰える。
だから、俺は食事をする。腹が減らなくても、ただ機械的に腹に物を詰めて、水を飲む。それが終われば眠気すらも訪れない暗闇の中で、ただ意味もなく目を閉じて新たなクエストを受けるまで時間を潰す。
いつもならその待ち時間が暇で暇で仕方がないから、ふらりとこの場所を離れてモンスターを狩りに行くことも多かった。
けれど、今日は違う。考えるべきことが多くある。
俺はこの時間に飲む自分で決めた規定量の水を腹に納めると、ペットボトルの蓋を閉めて傍に置いた。
「……さあ、どうしようか」
〝情報屋〟から聞いた話を元に、これからどうするべきかを考えるためにそう言った。
すると、俺以外の人前では姿を消していたマキナが、俺の声に反応したのかふらりとその姿を現した。
「…………また、クエストを終わらせる?」
そう言って、俺の前に立つマキナは俺を見下ろしながら首を傾げた。
「そうだな、それは絶対だ。けど、問題はどこでクエストを受けるかだ。正直なところ、この辺りのクエストはあらかた終わらせたんじゃないか? もう、この市内や県内で受けることが出来るクエストはないだろうな」
と、俺はマキナを見上げながら言う。
マキナは俺の言葉に小さく頷いた。
「……確かに、この辺りにあるモンスターの気配はもう少ない」
「だろ? 前に受けたクエストが、ここから結構離れた場所だったからそうじゃないかと思ってたんだ。……となると、やっぱり県外に出る必要があるな。情報屋から聞いた話だと、佐賀や四国あたりの海でクエストが発生しているみたいだけど」
言って、俺は口を閉じた。
二つのうち、戦いやすいのは佐賀に居るモンスターだろう。海に居るモンスターは海中での戦いになる。足場がなければ身動きも取りにくいという条件で、ボス補正とルナティックモードが重なったボスモンスターを相手にするのはかなりキツイ。
しかし、だからと言って。海にいるボスモンスターを相手にするのが大変だという理由で他のボスモンスターを相手にしていれば、いずれは周囲のボスモンスターを狩りつくしていつかは海にいるボスモンスターがクエストで指名されてしまう。
ボス補正が周囲にいるプレイヤーの強さによって変わってくる以上、後回しにすればするほどその海のモンスターは強化されていく。
ただでさえ戦い辛い場所で、今よりも強化されたボスを相手に勝つことが出来るのか?
「…………」
絶対に勝てる、とは言えない。
絶対がないのがこの世界だ。傲りは死を呼び寄せて、慢心はすぐさま死に繋がる。それは、この世界で長らく生きてきた俺だからこそ分かる。
「……今のうちに、殺すか」
呟き、覚悟を決めた。
「……けど、その前に佐賀にいるっていうボスを倒してからだな」
もはやそこらの雑魚ではレベルの上がらない今の俺にとって、経験値を獲得する手段は限られている。だからこそ、ボスが居ることが分かっているのにそれを無視することはありえない。クエストが発生していなくても、ただ経験値のためだけにボスに挑み続けなければ、今の俺はレベルを上げることすらままならないのだ。
もう『強くてニューゲーム』は使えない。
二度とあの牢獄に戻るわけにはいかない。
そのために、まずは一つでも多くレベルを上げる。一つでも多くスキルを獲得する。少しでもまともな武器や防具を集める。
そうして様々なものを積み重ねて、どこまでも刃を研ぎ澄ませて。
セーフティゾーンに引きこもっているクソ野郎と相まみえた時のために、確実にその息の根を止められるよう俺は準備を済ませておく。
「――――そういえば、東京がモンスターで溢れてるって言ってたな」
そんなことを考えていると、ふと〝情報屋〟が最後に言ったことを思い出した。
「クエストが大量に発生しているってことか? ……それとも、クエストを終わらせるプレイヤーが居ない、のか?」
あの言葉だけではどちらが真実なのか分からない。ただ単純にここらよりもモンスターが多いっていうだけなのかもしれない。
だけど、どうしてだろうか。
あの言葉を耳してからというものの、言葉にすることの出来ない漠然とした不安が心の奥底にぼんやりと広がっている。
「……いずれにせよ、また戻る必要があるな」
その時は、アイオーンを殺すときだ。
今はひとまず、身近に存在するボスを殺すことだけに集中することにしよう。
「……クエストまでは、まだ時間があるな」
スマホの画面で現在の時刻を確認する。
午後七時四十二分。日付が変わるまで、まだ四時間ほども暇がある。
これからどうしようかと思案していると、俺はマキナが思いつめた顔で考え込んでいることに気が付いた。
「どうした?」
俺の声に、一点を見つめていたマキナが視線を動かした。
琥珀色のその瞳と視線がぶつかって、マキナがゆっくりと口を開く。
「…………少し、気になることがあって」
「なんだ?」
「さっきの、報酬の話」
「報酬?」
その言葉に、俺は首を傾げた。それからすぐに、マキナの言いたいことに思い当たって「ああ」と頷く。
「情報屋が言ってた、報酬に紛れ込んだっていうプレイヤーを強制的に種族変化させるっていう道具の話か?」
「……そう」
こくり、とマキナは首を振った。
「私の作ったトワイライト・ワールドには、そんな報酬なんて入っていない。だから、入っていたのだとしたら、それは確実にアイオーンが入れたもの。もし入れてるのだとしたら、狙いが分からない」
「俺たちに対する嫌がらせじゃないのか? 種族変化したモンスターは、元は同じプレイヤーだ。そのモンスターを討伐するってことは、同士討ちをするってことだし……。いかにもアイツが考えそうなことじゃないか?」
「……だとしたら、なぜ経験値がボスモンスターよりも多く手に入るよう設定されてるの? 経験値が多く入れば、それだけプレイヤーが強化される。プレイヤーが強化されればそれだけ生存率が上がる。アイオーンにとって、それは自分の身の危険にもつながる不都合なことのはず」
「確かに、そうだな。結果だけを考えればアイオーンにとって不都合――――……いや、そういうことか」
頭に過ったその答えに、俺は思いっきり顔を顰めた。
それを見て、マキナが俺をじっと見つめる。
「分かった?」
「……ああ。あのクソが考えそうなことだ。そして、よくよく俺たち人間のことを理解してやがる」
「どういうこと?」
「本能と、欲望だ。……この世界がいかにクソッたれなのかは、ある程度この世界に順応すれば気が付く。そこらにある瓦礫や廃墟と同じように、ふと見渡せば理不尽と絶望が平気で居座ってるような世界だ。いま、この瞬間に生き残っているプレイヤーは、みんな死に物狂いで生き残っているプレイヤーだ。この世界で生き乗るために何が必要なのか、よく理解している奴らばかりだ。そんな中に、誰かをモンスターに変えることでより多くの経験値が得られる道具が紛れ込めばどうなる?」
「…………私には、分からない」
ゆっくりとマキナは首を振った。
それを見て、俺は言葉の続きを口にする。
「……生き残るために、他人を蹴落とす奴が出てくるのさ。種族変化したプレイヤーを殺すことで手に入る、そこらのボスよりも多いっていう経験値は、それだけレベルアップにつながる。レベルが上がればステータスが上がる。――ステータスはこの世界で生きるために必要な力だ。それが、ボスを倒すことなく手に入るのだとしたら…………。長らくこの世界で生きたことで、歪んだ生存本能を持ってしまったプレイヤーは、自分が生き残るために迷うことなく使うだろうな」
そこで、俺は一度言葉を区切った。
「俺にはルナティックモードがあるから、種族変化した元プレイヤーのモンスターは強化されてるけど。他のプレイヤーからすれば、ルナティックモードのないただのモンスターだ。ボスですらない――ボス補正すらついていないモンスターを倒すことで、ボス以上の経験値が貰えるのだとすれば、一度その大量の経験値を得てレベルアップする快感に酔ったヤツは、また使おうとするだろうな」
「…………なぜ? 他の人間を蹴落としてまで、どうしてそんなことをするの?」
俺の言葉に、マキナは不思議そうに言った。
その言葉に俺は息を吐き出しながら答える。
「……人間だから、だ。マキナ、お前が思ってる以上に、人間はどこまでも弱い生き物なんだ。それが、こんな世界になればなおさらだ。それを、あのクソ野郎は本当によく理解している。……今はまだホラ話にすぎないけど、この話が真実味を持ち始めたらいよいよもってヤバいな。おそらく、プレイヤー間での疑心暗鬼が広がる。アイツは、誰が自分を種族変化させてくるのか分からない疑心暗鬼になる俺たちを見て、高笑いしたんだろうよ」
俺は、最後の言葉を吐き捨てるように言った。
マキナは俺の言葉を、じっと考え込んでいるかのようだった。
あまり感情の浮かばないその顔に、僅かな眉間の皺を寄せて。マキナは、難しい顔で俺の顔を見つめて言葉を呟く。
「……よく分からない」
「……まあ、神様には人間のことなんて分からないかもな」
そう言って、俺はゆっくりと息を吐き出す。
「まあ、とにかく。今はまだ、その報酬に紛れた道具ってのがあるのかどうか分からないのが現状だ。本当にあるんだったら、クエストをこなしていけば俺の元にもきっと出てくるだろうし、今はまずその話は置いておこう。それよりも、今日のクエストまで少し時間があるんだ。それまで、俺の記憶を戻す手伝いをしてくれないか? 少し前に、今夜だって言ってただろ?」
俺は話題を変えるように、マキナに向けてそう言った。
マキナは俺の言葉に頷き、口を開く。
「……分かった。もう、始めてもいいの?」
「ああ。俺は何をすればいい?」
「何もしなくていい。ただ目を閉じて、頭を出して。私がするのは、あなたの記憶を封じている鍵を外すだけ。あとは、時間が経てば少しずつ思い出すはず。改竄された記憶はその時に消えて、正しい記憶だけがあなたの中に残る。それでも足りないところは私が補完するようにあなたに伝える」
「トワイライト・ワールドを始める前のことも思い出せるのか?」
「思い出せるはず」
「……分かった。始めてくれ」
「それじゃあ、目を閉じて頭を出して」
マキナに言われるまま、俺は瞼を下ろして頭を下げた。
すると、マキナの手が俺の頭にそっと乗せられる。
「…………始める」
マキナがそう呟いたその瞬間。
――ブツリ、と何かが繋がる感覚が全身に広がった。
「――――っ」
声を上げようにも声が出ない。
まるで全身が金縛りにあったかのように、指先一つ動かせず俺はその場で硬直してしまう。
しばらくすると、閉じられた瞼の裏には俺の知らない映像がノイズ混じりで流れ始める。
それは、あえて例えるのなら他人の家で見る見知らぬ人のホームビデオのような。
俺自身の知らない、俺自身が主役の、名前のない無音映画の映像だった。




