14日目 記憶
しばらくの間、俺たちの間に会話は無かった。
少年は友人のために墓を作りたいと言って、俺はその行動に賛同した。
無言で穴を掘って、その穴に遺体を寝かせる。それから、土を被せてその上に決して墓石とは呼べない瓦礫の欠片を立てかけた。
「これから、あなたはどうするんですか?」
静かに、少年は俺に問いかけてきた。
「……一度、駅に戻るさ。種族変化っていうクソみたいなシステムを知ってしまったし、もう少しそれに関して情報を集めたい」
「そうですか……。俺は、もう少しここに居ます。今は、ちょっと……一人になりたくて」
「…………そうか。気を付けろよ」
「ええ、あなたも――って、俺なんかが心配をするのもおかしな話ですかね」
少年は、そう言って小さな笑みを浮かべた。
「そんなことはないさ。……ありがとう」
その笑みに対して、俺も小さく笑いながら答える。
そうしていると、ふと少年が思い出したかのように「あっ」という声を出した。
「――そうだ、名前。名前を教えてください」
「……名前?」
と、俺はその言葉に動きを止めて少年の顔を見つめる。
「どうされました?」
「……いや、名前を聞かれたことが、随分久しぶりだなと思って」
俺は口元に笑みを浮かべながらも、心の中では冷や汗を流しながら必死で思考を巡らせていた。
――――名前。どうしよう、名前か。
本来ならばすぐに答えられるはずの、その質問に対する答えを俺は持っていない。何もかもを失くしたあの日から、こうして誰かに名前を尋ねられることが今まで無かったからだ。
頭の中ではいくつもの偽名が渦を巻き、ふっと現れては泡のように消えていく。
……どうしよう、適当な名前が思い浮かばない。
笑顔のまま固まったように動きを止めた俺に、少年が不思議そうな顔をして俺の顔を覗き込んできた。
「……? どうされました?」
「なんでも?」
と、俺は辛うじて声を出す。
名前を名乗るだけなのに、確かにここまで無言になれば不思議に思うだろう。
偽名は未だ思いつかない。記憶を失い過去のことは何一つ分からないが、名付けに関することだけここまで悩めば自分自身のことながら嫌でも分かる。
――おそらく、いやきっと。俺は、今までも名前を付けるのが苦手だったに違いない。
「―――や」
「や?」
少年が、俺の名前に首を傾げた。
「山田、太郎……」
絞り出すように口にしたその名前は、誰が聞いても偽名だと疑うような名前そのものだった。
「…………山田太郎」
少年が俺の言葉を繰り返して、じっと俺の顔を見つめた。
「…………山田さん?」
「…………ああ」
小さく、俺は頷く。
「山田太郎さん?」
「…………ああ」
もう一度、俺は頷く。
「………………本当に、山田太郎さん?」
「…………あ、ああ」
「………………」
「………………」
無言の時間が広がる。
この少年が、俺の言った名前を疑っているのは明らかだった。
俺は嘘がバレまいと必死で平静を取り繕っていたが、おそらくそれをしたところで意味がないのだろう。
俺を見つめる少年の瞳ははっきりと、
「その名前、嘘ですよね?」
と言葉のない圧力をかけ続けていた。
「……んんっ」
その圧力から逃れるように、俺は一つ咳払いをして視線を逸らす。
それからしばらくの間、俺たちの間には沈黙が横たわっていたが、少年はふと何かに思い当たったのか唐突に声を上げた。
「――――ああ、なるほど。そういうことですか」
「…………何がだ?」
その納得はきっと違う、と【直観】が伝えてくるのを感じながらも、俺は少年に言葉を返した。
「俺が名前を名乗っていないから、あなたも本当の名前を名乗らないんですね。……確かに、自分から名乗らないのに名前を聞くのは失礼でした」
と、少年は至極当然だとでも言うかのように、真面目な顔をしてそう言った。
「でしたら、俺から名前を名乗ります。……俺の名前は、野田ユウジです。ユウジのユウはネ偏に右って書いて『祐』、ジは司るです」
「そ、そうか」
丁寧な自己紹介に、思わず言葉がつっかえてしまう。
……これで、流れ的にもう一度名前を名乗らなくてはいけなくなってしまった。
この少年――野田は、俺の名前が山田太郎ではないと見抜いているようだが、だからと言ってそれが真実だと言える証拠もない。このまま、山田太郎だと押し通すことも出来るだろう。
俺は数秒ほど、もう一度他の偽名を考えて、やっぱりまともな名前は出て来ず「山田太郎」だと改めて名乗った。
野田は俺の顔をジッと見つめていたが、やがて小さく息を吐き出す。
「……あなたがそう言うのなら、その名前だってことにしておきます」
「…………ああ。悪いな」
と俺はまた小さな笑みを浮かべた。
その笑みを見て、野田が不貞腐れるように唇を突き出す。
「どうして、名前を教えてくれないんですか?」
「…………教えないわけじゃない。名前が無いんだ」
と俺は小さな声で言い返す。
「名前が、無い? どうして?」
「忘れてしまったんだよ」
「忘れた? 記憶喪失ってやつですか?」
「……ああ。そんなもんだ」
厳密には違う。けれど、今の俺の状況を説明するには多くの言葉が必要で、それを語れば少なからず彼を危険に晒すことになることは明白だった。
俺は、このクソゲーの支配者たるアイオーンという神に目を付けられている。
この世界のプレイヤーに対して、そのクソ野郎が種族変化を引き起こしていることが明らかになった以上、俺との関わりはなるべく失くすべきだろう。
なにせ、アイツは俺が怒り苦しむ顔が何より楽しいと嗤う性根がドロドロに腐り切った奴なのだ。俺との関わりが深くなればなるほど、アイツは確実にその関わりを利用し俺を貶めようとしてくるのは間違いない。
彼を――野田を助けるためにも、これ以上の関わりは持つべきじゃない。
「それじゃあ」
「ええ、さようなら」
俺たちは別れを告げて、それぞれ背を向けて歩き出す。
彼と別れてしばらくすると、ふいにマキナが隣に現れて、じっと俺の顔を見つめたかと思うと話しかけてきた。
「……あなたの本当の名前。知りたい?」
「知ってるのか?」
「ずっと、私はあなたを――あなた達を見てた。それこそ、あなたが名前を忘れる前から、ずっと。だから、私は知っている」
この世界に来てすぐに、彼女は既知を伝えようとしてきた。
けれど、その時の俺はそれを拒んだ。その時は、既知はもう十分だったから。狂おしいほどに未知を欲していたから、忘れてしまったとはいえ俺がかつて知っていたことさえも耳にはしたくなかった。
だが、それももう十分だろう。
いい加減、俺は過去に向き合うべきだ。
――ここにはもう、牢獄はないのだから。
種族変化という、あの繰り返しの中では出てこなかった言葉が出てきた以上、あの三日間の中で知り得た情報だけでこの世界を生きるのは無理だろう。
忘れてしまった――鍵を掛けられた記憶の中に、もしかすれば種族変化について触れたことがあったのかもしれない。
「そうか。…………そうだな、いい機会だ。出来れば名前だけじゃなくて、改竄されてる記憶じゃなくて正しい記憶を、それと忘れてしまった記憶も、全部を教えてくれるとありがたい」
「…………分かった。それじゃあ、今夜から教える。とは言っても、私に出来るのは手伝いまで。あなたが本当に、忘れてしまったことを思い出せるのかどうかは、あなた次第。それでもいい?」
「ああ、助かるよ」
俺は彼女の言葉に頷く。
彼女はじっと俺の顔を見つめる。
「…………わかった」
と彼女は小さく頷いた。
「それじゃあ、今夜から。ただし、全部を一気には無理。少しずつになる」
「ああ、大丈夫だ」
そう話しているうちに、だんだんと瓦礫の街並みは廃墟や半壊したビル群へと変わり始めて。
俺たちは、当初の目的である博多駅に到着した。




