14日目 〈救世〉の影響
「俺は……。〝変異体〟になった、アイツを殺そうとしていました。自分のレベルのために……。この世界で生きる糧にするために、クラスメイトを殺そうとしていたんですよ」
「…………そう、だったのか」
長く、長く俺は息を吐き出す。
この少年がなぜあの場に居たのか。その理由が分かって、俺は何も言えなくなってしまう。
この世界はレベルが全てだ。ステータスが力だ。スキルがそれらの差を覆す希望だ。
この世界で生きるため――いや、この世界で無事に明日を迎えるために、俺たちはモンスターを殺す。そうして自らの手を血に汚して、ようやく俺たちはこの世界で生きる権利とでも言うべき力を身に付けている。
トワイライト・ワールドが開始された直後ならまだしも、この世界では二週間が経過している。それらの知識は、もはやプレイヤー達の間でも当たり前となっていることだろう。
――だからこそ、少年は変異体となった友人を殺そうとした。
モンスターに変化したプレイヤーは元に戻らないから。そのプレイヤーを殺せば、大量の経験値が得られるから。そのプレイヤーを殺さなければ、他のプレイヤーが襲われるから。
「…………」
俺は、そんな少年の言葉を否定することが出来なかった。
自分のために、他プレイヤーを救うために、種族変化したプレイヤーを殺すというその選択肢を理解することが出来たからだ。
――しかし、理解は出来たけれど。同時に納得も出来なかった。
モンスターに変わったとは言っても、変異体は元人間だ。それも、少年の話を聞くに変異体となったプレイヤーは確実にあのクソ野郎の被害者だろう。
変異体となったプレイヤーがいったい何をした? ……何もしていないはずだ。
おそらくは変異体となった全員が、ただ必死にこの世界で生きていただけなのだ。
それだというのに、あのクソ野郎によって人間からモンスターへと強制的に変えられて、ソイツを殺せば大量の経験値が得られるからと、野放しにすれば他プレイヤーを襲うからと、たまたま変異体にならなかったプレイヤーから一方的に狙われ殺される。
他プレイヤーを救うのが変異体を殺すプレイヤーだというのなら。
変異体に変えられた被害者のプレイヤーを救うのは、一体誰だというのだろうか。
「ふー……」
一度、息を吐いて思考を落ち着かせる。
……分かってる。
これは〈救世〉の影響だ。自分以外の全てを救うと、馬鹿げた英雄思考がもたらす狂った思考誘導だ。
少年が言っていたじゃないか。種族変化が起きれば元には戻らないと。
けれど、だからといってそれを甘んじて受け入れてしまえば、俺はこの先後悔することになると、なぜだかそう思ってしまった。
「マキナ」
と、俺は少年には決して聞こえないような小さな声で囁く。
今は元に戻らないとは言っても、あのクソ野郎さえ殺してしまえば元に戻るかもしれない。
そんな願いを込めて、彼女の名前を俺は呼ぶ。
「…………なに」
するとすぐに、この場を黙って見ていたであろう彼女からの言葉が返ってきた。
ふと少年へと目を向けてみるが、少年は変わらず疲れたように視線を地面に落としていた。この場に居ないマキナの声が聞こえたことに驚く様子がないのを見るからに、どうやら俺だけにマキナの言葉は聞こえているようだ。
どうやってそれを成し遂げているのかは分からないが、彼女に残されたほんの些細な神の力によるものだろうと俺は納得する。
「一つ、聞きたい。モンスターに変えられた人間は、アイオーンを殺せば元に戻るか?」
「……変質した魂そのものは、アイオーンを殺しても変えることが出来ない」
「その言い方だと、普通は無理だとでも言いたそうだな?」
「……その通り。あなた達が今話している『種族変化』というものは、言ってしまえばアイオーンの手によって人間の魂を別の異質な存在へと変えている方法のこと。魂は根源そのもの。根源が変えられた魂は、変えた本人にしか元に戻すことは出来ない」
「……それじゃあ、アイオーンにしか元に戻せないってことか?」
「…………そう」
――そんなの。絶対に出来るはずがない。
あのクソ野郎が、そんなことを絶対にするはずがない。
それがマキナにも分かっているのだろう。すぐに、「だから」と言って言葉を続けた。
「種族変化したあなた達を元に戻す方法は一つ。アイオーンを倒して、全ての始まりに戻る。幸いにも、あなた達がいるこの世界はモンスターによって滅んだ未来の可能性の一つの世界。ここで起きるあらゆることは数ある未来の中にある一つの可能性で、あなたを含めたこの世界で生きる人間は、アイオーンによって滅んだ未来という箱庭に閉じ込められているけど、それさえ無くなれば滅ぶ前に戻ることが出来る」
「ここが未来の可能性だからこそ、過去に戻れば全てが無かったことになる……。そういうことか? だが、それだとアイオーンを殺したこと自体も無かったことになるんじゃないか?」
「……神は唯一無二。概念に縛られない唯一の存在。未来で倒れたとしても、その存在は倒れたその瞬間から全ての時間軸から消滅する。でも、それでもまだ完璧じゃない。モンスターが居る限り、無数に枝分かれする樹形図の中にはこの世界が記されている。だから、いずれはこの世界に辿り着く。アイオーンが存在しなくても、この未来に種族変化したという結果が残されていれば、あなた達は過去から唐突にこの終わりを迎える未来にタイムスリップするし、種族変化を引き起こす」
「……それは、アイオーンを倒した後にシステムそのものを失くせばどうにかなる話じゃないのか?」
「過去に戻ってトワイライト・ワールドのシステムそのものを失くすことは出来る。それじゃあ逆に聞くけど、トワイライト・ワールドのシステム無しであなたはモンスターを倒せると思うの?」
彼女の問いかけに、俺は二の句が継げなくなってしまった。
……なるほど。そういうことか。
つまりは、モンスターが存在している限りこの終末世界は存在してしまうということだ。この未来に刻み込まれたありとあらゆる理不尽を失くすには、アイオーンを殺して終末を迎える前の過去でモンスターを根絶やしにするしかない。そうして、この未来へと分岐する樹形図の枝を斬り落とす他に方法はないということだろう。
「現時点で、種族変化したあなた達を本当の意味で救うことは出来ない。でも、あなたはそれでも、種族変化した仲間を救うことが出来ている」
「……なんだと?」
「理想はもちろん元に戻ること。でも、その人が現状で抱える苦しみから〝救う〟ことなら、今のあなたでもできる」
「おい、そりゃどういう意味だよ」
「言葉通りの意味。…………そろそろ、会話を終える。あなただけに声を届けるのも、結構しんどい」
そう言うと、マキナは一方的に会話を打ち切った。
俺はため息を吐き出し、マキナとの会話の内容を考える。
種族変化したプレイヤーを元に戻すには、それが起きた未来を変えるしか方法はないと――いや正確にはそれが起きるはずだった未来そのものを失くす他に方法はない、と彼女は言っていた。
そのためにはアイオーンを殺すことが大前提なのだが、それは今すぐに出来ることじゃない。
現状で出来ることは、彼女が最後に言っていた言葉。その人が抱える苦しみから救うという行為だろう。
「現状の苦しみって……。モンスターに変わった身体を元に戻せってことじゃないのかよ」
俺はそう小さく呟いた。
もし、それ以外の救いを種族変化したプレイヤーが抱えているのなら知りたいぐらいだ。
「とにかく、もう一度会ってみるしかないか……。おい」
俺は、地面に視線を落としていた少年へと声を掛けた。
少年は俺の声に気が付くと、のろのろとその視線を持ち上げた。その瞳に俺の顔が映るのを感じながらも、俺は少年へと声を掛ける。
「俺は、これからもう一度アイツに会いに行く。お前はどうする?」
「会いに行くって、殺しに行くんですか?」
「……分からない」
と俺は首を横に振った。
〈救世〉が示す救いは、種族変化し変異体となったプレイヤーと、それに襲われるプレイヤー全てだ。変異体を殺せば他プレイヤーは助かるが、殺された変異体は救われない。
同化率が低ければ迷いなく他プレイヤーを救う行動を取ったのかもしれないが、思考を侵す今の同化率で、俺自身がその選択を冷静に取れるとは思えなかった。
少年は俺をジッと見つめていたが、やがて何かを決意するように唇を硬く結ぶと小さく頷いた。
「俺も行きます」
「分かった。ただ、戦闘になったらできるだけ自分の身は自分で守るよう努力してくれ。さっきのスキル、防御系のスキルだろ? 使用するのに制限とかあるのか?」
「いえ、あのスキルには制限がないです」
「それじゃあ、戦闘になったら離れた場所でスキルを使って身を守っててくれ」
「分かりました」
こくり、と少年は俺の言葉に頷いた。




