14日目 まともな奴
「…………」
福岡市内の街並みは、東京で見た景色とさほど変わりがない。どこを向いても家屋は全て崩れて植物に侵され、廃墟か瓦礫へと朽ち果てている。
等間隔で建てられた電柱はへし折れ蔦と苔に覆われているし、巨大な蜘蛛の巣のように街に張り巡らされていた電線は電柱の倒壊によってちぎれて、その役目を果たすことなく地面で朽ちていた。
その他にも、廃墟に置き去りにされた中身も分からない錆びついた元缶詰や、瓦礫の前で倒された、草木に覆われて朽ち果てている積み重なった机。樹木と一体化した大手ファミレスチェーン店の看板に、苔と草木に覆われた自動車や自動二輪車など、挙げていけばキリがない。
東京だろうが福岡だろうが場所に関係なく、この世界にはかつて存在した文明の名残だけが人気のないこの街で静かに存在している。
その廃墟を横眼に、博多駅を示す地面に転がっていた道路標識を目印に、街中の通りを進んでいたその時だ。
「ガァァアアァァァアアアアアアア!!」
唐突に静謐とした空間を切り裂くような、この世のものとは思えない鳴き声が廃墟の街に轟いた。
「――ッ、なんだ?」
瞬時に腰の固定した鞘から匕首を引き抜いて、戦闘体勢を整えて周囲を素早く見渡す。
けれど、いくら周囲を見渡してもモンスターの姿はおろか生き物の姿すらも視認できない。
ならばと【気配感知】に意識を向けてみるが、【気配感知】にもモンスターやプレイヤーの気配は引っ掛かっていなかった。
「くそっ、範囲外か!」
【気配感知】の範囲は俺を中心に五百メートルだ。
その範囲内であれば、気配を消すスキルを使われることがない限り俺にははっきりと手に取るように分かる。
「いったい、何が――――」
と口にした瞬間、もう一度先ほどの鳴き声が廃墟の街に轟いた。
かと思えば、今度はドォオンというはっきりとした戦闘音が断続的に響いてくる。
それが誰かが戦っている音なのだと理解した時、俺の身体は自然と動き出していた。
「…………いくの?」
走り出した俺の耳に、マキナの言葉が届いた。
素早く周囲に目を向けてみるが、その姿はどこにもない。どうやら、言葉だけを俺に飛ばしているようだ。
「ああ、これがモンスターの鳴き声なら、行かないと」
「あなたが行く必要はあるの? その感情や思考は偽物かもしれないのに」
マキナは、俺の中に巣くう種族とその命題を知っている。
種族の疑似人格はマキナだが、命題はアイオーンが追加したものだ。本来ならば追加した覚えのない命題のことをマキナは知らなさそうなものだが、その命題と同化率によって俺に何が起きてきたのかを、ずっと箱庭の外側から見てきたらしい。
だからこそ問いかけているのだろう。
その感情は、本当に俺のものなのか? ――と。
俺は、その問いかけに対して口元に笑みを浮かべるとマキナに言った。
「例えこれが偽物だろうが、そこにモンスターが居れば俺は殺すだけだ。それは、お前も俺に言ってきたことだろ。違うか?」
「…………そう。それが、あなたの役目。でも、これはモンスターというよりも……」
「なんだ?」
「……確信がない」
「…………だから言葉にできない、と?」
「そう」
「……分かった。まあ、この音がモンスターかどうかは行けば分かるだろ」
と俺はマキナにそう言った。
交差点に差し掛かって、音の鳴る方向へと足を進める。へし折れた電柱に取り付けられた、錆び付いた看板がこの通りのことを筑紫通りだと教えてくれていた。
崩れた高架線の瓦礫を飛び越えて、アスファルト道路を塞ぐように停止した草木に塗れた自動車を足場に傍にある廃墟ビルの屋上へと飛び移り、そこから別の通りへと飛び降りてまた走る。
断続的に響く戦闘音は激しさを増していき、ときおり雷光のような眩い光が群青の混ざり始めた茜空に迸っていた。
それが、モンスターによる何かしらの攻撃による光であることは明らかだった。
「――――マキナ。さっき、今の俺の感情が偽物なのかどうかを聞いたよな」
住宅街の間に通る細い路地を駆けながら、俺はマキナに対して小さく言った。
「正直に言うと、今の俺の感情がアイツのものなのか、俺のものなのかは、もうどうでもいいんだ」
「……どうでもいい?」
静かな声が、俺の耳元に届いた。
俺は、マキナの言葉に頷いて言葉を続ける。
「ああ。俺が、この世界で目を覚まして、体感時間でもう三ヶ月だ。最初の数週間はクソ野郎のおかげで記憶がないけど。それでも、俺がこの黄昏の中で生きてきた時間は失っちゃいない。何度もモンスターを殺して、死にたいとすら思ったあの繰り返しの中でも着実にレベルを重ねて、今や俺のレベルは70を超えた。レベル80だって、もう手が届こうとしている。これまで、俺がどれだけモンスターを殺してきたのかお前には分かるか? …………ああ、いい。言わなくていいんだ。問題は数じゃない。このレベルになるまで、毎日毎日、モンスターを相手に狩りを続けてきたってことが大事なんだ」
「………………」
マキナは、俺の独白に似たその言葉に、何も言わなかった。
俺は、マキナの返事を待つことなくさらに言葉を重ねる。
「このトワイライト・ワールドを始める前の俺が、どんな俺だったのか知らねぇけど。でも、きっと以前の俺はただの凡人だったはずだ。喧嘩だってそんなにやってなかっただろうし、今のように日々を生きることに必死になっていなかったはずだ。そんな俺が、今やこうしてモンスターを狩ることに躊躇をしていない。モンスターに抱く嫌悪感はアイツのものだけど、今こうやってモンスターの元に向かうこの感情は、きっとアイツのものだけじゃないはずなんだ。最初は分からなかったけど、今じゃあアイツの感情や思考と、俺の感情や思考を分けて考えることだって出来ている。……今、俺がこうして抱いているこの思考や感情が、アイツのものだけじゃないってはっきりと分かる」
言いながら、俺は廃墟となった家屋を飛び越えて、反対の路地に降り立つ。目の前に出てきた朽ちた遊具が並ぶ公園を突っ切って、さらに住宅街の中へと足を踏み出しながら、着実にその音の元へと足を進めていく。
「この世界は、言葉にできないほど多くのものが狂ってる。何もかもが壊れている。いや、壊れる一歩手前でその形を保っている。そんな中で、アイツの言葉に惑わされながらも必死で生きて、生きて、生き延びて。それでもなお、生きようとする人間が、まともでいられると思うか?」
「…………つまり、あなたもこの世界と同じ様に壊れていると?」
「さあな。俺が壊れているのかどうかなんて、俺自身には分からねぇよ。ただ――――」
ぐっと足に力を入れて、地面を蹴った。
激しい衝撃と共に推進力を得た俺の身体は、空気を切り裂くように住宅街の瓦礫と廃墟を飛び越えて、まるでロケットのようにその先の目的地へと向けて跳び込んでいく。
空中で姿勢を整えて、全身を使いながらその衝撃を緩和して地面に着地した俺は、目の前の光景を見据えながら言葉を吐き出した。
「この世界で死ぬことなく長く生きている奴に、まともな奴なんて一人も居ないってことだよ。――――俺は、ただ。このクソゲーを終わらせるために、アイオーンと目の前に出てくるモンスター全てを殺すだけだ」




