一日目・朝 ーエピローグー
耳に届く小鳥の囀りと、むせかえるような緑の匂いに、俺はゆっくりと意識を浮上させた。
「…………」
瞼を持ち上げて、真っ先に目に飛び込んでくる大木と、鬱蒼と生い茂る草木が作り出す緑の違和感に、俺は一瞬思考を放棄する。
けれど、すぐに直前の記憶を思い出して、俺は跳ねるように跳び起きて周囲を見渡した。
「――――ッ! ここは…………」
見渡す限りの植物と樹木の群れ。いくら目を凝らしたとしても、そこには見慣れたボロアパートの天井も、厚く積もった埃も、朽ちた家財道具も見当たらない。
それどころか、廃墟さえも存在しない周囲の光景に、俺は眉根を顰めることしか出来なかった。
「……世界が変わった、んだよな?」
確認するように俺は言った。
右手に固い感触が触れて、目を落とすとそこには匕首が落ちていた。
「…………どうして、これが」
手に取り、それを眺める。
これまでの周回では武器の持ち込みが出来なかった。レベルとスキル、ステータスを除いて身に付けた衣服のみというまさに裸一貫の状態が、次の周回のはじまりだった。
それでも、もし次の周回先へと武器の持ち込みをしたいのであれば、武器を自らの身体の中に収納するという正気とは思えない行動を取らねばならなかった。
直前の周回では、俺は武器を自らの中へと仕舞っていない。
だというのに、これがココにあるということは――――。
「……本当に、終わったんだ。あの、地獄のような日常が…………」
周回ではなく、世界軸の移動。
それが行われたからきっと、あの時に俺が手に持っていたこの武器も一緒にこの世界へと移動してきたのだろう。
「…………」
あれだけ苦労してきた周回が、たった一つの些細な行動で本当に終わりを迎えて。
あまりにも唐突なことに、俺は感情が付いていかずただ茫然としていた。
けれど、時間が経つにつれてじわじわと忘れていた感情が戻ってきて。これまでの苦労と相まってその感情がぎゅっと胸を締め付けてきた。
「………………っ」
解放された。解放されたんだ!
あの日々から――何もかもが既知へとなったあの世界から、俺はようやく抜け出すことが出来たんだ!!
「――――ッ」
唇が震える。いや、それだけじゃない。身体が、心が、全身が喜びに震えていた。
この世界の、ココがどこかも分からない。本来はそれが不安なはずなのに、今はそれが嬉しくてたまらなかった。
「――っ、――――ッ、ァ、あぁ……」
瞼を震わせながら、俺は声も上げず静かに涙を流した。
胸に溢れるこの感情を、抑えることが出来なかった。
「うぁぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!」
俺は、声の限りに叫びを上げる。
それは恥じも何もない、ありのままの感情の叫びだった。
「……終わった。終わったんだ!」
何度も、何度も。
俺はその事実を口に出して噛みしめる。
ようやく足を踏み出せたこの始まりに、安堵の声を上げる。
そうして、地獄の苦しみから解放された喜びを心ゆくまで味わって。
心の内にずっと渦巻いていた感情を吐き出してから、俺は気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと息を吐き出した。
「…………世界を、越えたんだよな?」
爆発した感情がようやく落ち着いて、俺はそのことを確認するように言った。
「だとすれば、ここは…………」
呟き、目元を拭って周囲を見やる。
自分の置かれた状況を整理する余裕が出てきて、冷静になった頭がゆっくりと回転し始める。
「……東京、じゃないよな」
東京だとしたら、あまりにも緑が多すぎる。あの世界でも東京は植物に侵された廃都市だったが、それでもまだ文明の残骸が残っていた。
「どちらかと言えば、ここは……。どこかの山の中、か?」
高尾山ではない。かつて、幾度となく挑んだ場所だ。あの光景は一目で見ればすぐに分かるぐらいには、脳裏に焼き付いている。
「どこだ……?」
眉根を寄せて俺は言った。
それから、スマホを取り出してそのスキルを発動させる。
「【地図】」
発動と同時にスマホの画面が切り替わった。
俺の半径一キロがスマホの画面上に表示されて、その全てが緑に染まっていることから山の中にいることは間違いないということを俺は理解した。
「……だったら、まずは人里を目指すか」
呟き、俺は絶望の淵に沈んだ際に切っていた【直観】を再び発動させる。
そうして、そのスキルが示す方向へ向かおうと、足を向けたその時、俺の背後から声が聞こえた。
「…………どこに、行くの」
鈴の音が鳴ったような、透き通る声だ。
それが誰の声かなんて俺はすぐに分かった。
「……さあ、な。俺も知らないところだ」
「そこに行って、どうするの?」
「さあ? 俺にも分からん。――――でも、分からないなりに、どうにかやっていこうと思うよ」
そう答えて、俺は声の主へと振り返る。
そこには、いつの間に居たのか。自らを神様だと名乗る少女が、口元に笑みを浮かべて立っていた。
「お前なら、分かるんじゃないのか? ここがどこで、どんな世界なのか」
「分かるよ。…………聞きたいの?」
彼女は小さく首を傾げる。
その言葉に、俺は口元に笑みを浮かべるとはっきりと首を横に振った。
「……いや。既知はもう、たくさんだ。何も知らない方が断然いい。この先に何が待っているのか分からないけど…………。この先の未来に何が待っているのか分からないからこそ、俺たち人間は生きていけるんだって、今ならそう思うよ」
「…………そう」
彼女は頷く。
その彼女に向けて、俺はさらに言葉を重ねた。
「それで? お前はどうするんだ?」
「どうするって?」
不思議そうな顔で彼女は俺の言葉を繰り返す。
俺は、彼女に向けて言葉を続ける。
「どうせ、俺を監視するんだろ? 星を救えだとかなんとか言っていたじゃねぇか」
「……それは、そう。今は、あなただけが頼り。あなたがこの星を救ってくれなきゃ、この星はどうしようも出来ない」
「その方法は?」
「モンスターを全て殺す。ただ、それだけ」
「……これまでと変わらねぇな」
俺は大きく息を吐いた。
モンスターを殺し、星を救うこと。
それがきっと、本来は彼女がして欲しい俺たちプレイヤーに与えたトワイライト・ワールドのストーリークエストだったのだろう。
アイオーンにシステムを乗っ取られた今でも、そのシステムは残骸のように残っていて、俺たちプレイヤーにモンスターを殺してくれと訴えかけてくる。それが、アイオーンによってクソゲーになり果てたトワイライト・ワールドのクソみたいなボス攻略の正体だ。
俺は彼女を見据えた。
彼女も、俺の視線に気が付いて俺の瞳を見てきた。
「そう言えば、お前の名前は?」
「――――名前?」
きょとん、と彼女は言った。
「どうして?」
「どうせこれからも俺に付き纏うんだろ? だったら名前ぐらい俺に教えてもいいんじゃないか?」
「本来は、私たち神は、名前を持たない。名前という概念で表せられるほど、単純な存在じゃないから。…………でも、あなたの言うことはもっとも」
彼女はそう呟くと、考え込むような表情となった。
それから、何かを思いついたように俺の目を見ると、ゆっくりと口を開く。
「……マキナ。そう、呼んで欲しい」
「……分かった」
と、俺は彼女の――マキナの言葉に頷きを返す。
「それじゃあ、マキナ。道すがら、お前が作ったっていうトワイライト・ワールドのことを教えてくれよ。――今は、俺がこれまで知らなかったことを、なんでもいいから知りたい気分なんだ」
「……そう。わかった」
彼女が小さく頷く。
そして、俺たちはゆっくりと歩き出す。
何も知らないこの世界へと。
何もかもが未知に溢れたこの先へと。
緑に侵されたこの世界を切り拓いて。俺たちは、その一歩を確実にこの世界に残していく。
この世界に何があるのかは今はまだ分からない。
けど、それでも。
何もかもが既知に溢れたあの世界よりかはずっと、この世界は希望に満ちているに違いない。
――だって、俺の前にはこんなのにも。
無限に広がる選択肢が、どこまでも続いているのだから。
これにて、二部 二章「円環の黄昏と幻想の始まり」は完結となります。
一部終わりから二部一章、二章にかけて続いてきた長い物語はここで一区切りです。
次章からは世界軸が変わった先……。いわゆる『古賀ユウマがゲーム開始後すぐに死亡していた』世界軸での物語となります。
どのような物語になるのか、引き続きお楽しみいただければ幸いです。
さて、いつものお願いです。
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