??周目 記憶の改竄
俺は彼女の手を離すと、ゆっくりと息を吐き出す。それから、俺は口元に浮かべていた笑みを消すと、今の俺にとっての本題を切り出した。
「――――それじゃあ、教えてもらうぞ。この世界を抜け出す方法を」
「……分かった。とは言っても、あなたは偶然にも答えの入り口に立っていた。あなたがこれまで考えて、実践してきたことはあながち間違いじゃない」
「間違いじゃない?」
「そう。方法が違っていただけ」
彼女は間髪を入れることなく、何のためらいもないまま事も無げにそう言った。
あまりにも当たり前のことを指摘するかのようなその口調に、俺は一瞬だけ表情を忘れて、すぐに我を取り戻して声を荒げた。
「方法って――。これまで、俺がどれだけ試していたと思ってるんだ! 他に試してない方法があるって言うのかよ!!」
「ある」
彼女は、そう断言した。
その口調に、俺の感情にまた火が点く。これまで心がへし折られ、俺にとって雑には扱うことが出来ない話題だからこそ、こうしてあっさりとこれまでの方法が違っていたと言われて、黙って聞いておくことが出来なかった。
「――――ッ、だから、何だよ! その方法って! 試せることは全部試した。出来ることは全部やった! それでも無理だったんだぞ!? あと、何が出来るっていうんだよ! それとも何か? 神様だっていうお前が、俺に植え付けられたこのスキルを取り外してくれるのかよ!!」
「……スキルは、魂に刻み込まれた神の恩恵。恩恵を失くすことは出来るけど、今の私には出来ない」
「――だったら!」
「話が逸れてる。今は、これまでのあなたの方法が違っていたという話。…………落ち着いて、話を聞く」
そう言って、彼女は一度小さなため息を吐き出すと、俺の目をしっかりと見据えた。
「方法は簡単。あなたも気が付いていたこと。全ての始まりを、終わらせればいい。あなたは、その方法を間違えていただけ」
「――――始まりを、終わらせる?」
俺はその言葉を、眉根を寄せて繰り返した。
彼女は俺の言葉に、こくりと小さな頷きを返すと口を開いた。
「そう。この世界に、あなたが囚われた原因は、アイオーンがあなたに刻みこんだスキルが原因であることは間違いない。そのスキルが強制発動する限り、あなたはこの世界に囚われ続ける。……スキルが、強制発動する原因は二つ。特定の条件下と、特定の日時にあなたが達した時。特定の条件は、それに触れさえすればスキルは発動しない。それじゃあ、後は特定の日時が強制発動条件になった原因を取り除くだけ」
その先は、彼女が言わなくても俺はすぐに分かった。
一周目と二周目の記憶は無くなってしまったけれど、この周回の間何度も考えてきたことだ。三周目以降の記憶しか存在しない今の俺でも、彼女の言葉の先はすぐに引き継ぐことが出来る。
「……それが、【星辰の英雄】だろ。それを、以前の俺が四日目で取得したから――――」
「…………違う」
と、彼女は首を横に振った。それから、しっかりと俺の目を見据えて口を開く。
「まず、そこが間違い。あなたがこの世界で【星辰の英雄】を取得した日付は、四日目じゃなくて五日目」
「――――は?」
思わず、思考が止まる。
……コイツは今、何を言った? 何か、信じられないことを言わなかったか?
「………………すまん。もう一度、言ってくれないか? 意味が、よく分からない」
聞き間違いだろう。
そんな願いを込めて、俺はもう一度彼女に向けて言った。
けれど彼女は、そんな俺の様子を見て、少しだけ睫毛を伏せると淡々とその言葉を告げてきた。
「…………あなたが、頼りにしているその記憶が間違ってるって――――そう言った。あなたが、この世界で【星辰の英雄】を取得したのは四日目じゃなくて五日目。今のあなたが、【星辰の英雄】を四日目で取得したと思い込んでいるのは、アイオーンがあなたに行った記憶の改竄が原因」
「…………ぇ、い、いや。ちょっと待て。待ってくれ! どういう、ことだよ。急に、何を言い出すんだよ」
俺は思わず笑った。それ以外の感情がどこかに置き去りにされてきたようで、笑うことでしか反応することが出来なかった。
彼女の言葉が理解できない。いや、理解したくない。認めたくないし、認められない。
だって、それを認めてしまえば、これまで俺がしてきたことは全部――――。
「嘘、だよな? だって、俺は全部覚えてる……。いや、今はもう一周目も二周目も、周回中の知識としてでしか覚えちゃいないけど! 二周目の俺は、確かに一周目のことをはっきりと覚えていたはずだ!! それは、今の俺でもはっきりと言える――――」
「……はっきりと言える? あなたは、その記憶というものを、この世界を繰り返すごとにアイオーンによって奪われてるのに?」
「――――ッ!」
どこまで冷静で透明なその声は、俺の胸の内を深く抉った。
「ぁ―――」
何かを言い返そうとしながらも、真っ白になった頭では何も言葉にすることが出来なくて。ただ、俺の口から漏れた声は細かく震えているだけだった。
「――――今のあなたは記憶を奪われているから分からないだろうけど」
思考の抜け落ちた頭に、彼女の声が響く。どこまでも透明で、透き通るその言葉が否が応でも俺の中にするりと入り込んでくる。
「この世界の二周目で、あなたは一周目の記憶をソロ活動だと思い込んでいた。本当は、一周目でソロ活動なんかしていないはずなのに。記憶の改竄はそれだけじゃない。あなたと街で会った時、あなたは私に対して浦野というプレイヤーの居場所を聞いてきた。それも、記憶の改竄さえなければあなたは誰かに尋ねることなく、浦野というプレイヤーの元へ行けたはず。……だってあなたは、一周目で浦野というプレイヤーから直接、この世界で目覚めて何をしていたのか聞いていたはずだから」
「……………………嘘だ」
「嘘じゃない。全部、本当のこと。あなたは、アイオーンによって記憶を書き換えられている。それに気が付いたのは、あなたと渋谷の街で会話をしたとき。知っていたはずの浦野というプレイヤーの情報を、あなたが私に聞いたあの時に、初めて気が付いた」
「…………嘘だ、そんなの、信じられるか!! だったら――――。だったら、どうして! どうしてその時に言ってくれなかったんだ!! その時に言ってくれていれば、俺はこうして無駄なことをしなくて済んだのにッ!! どうしてッ!!」
「言おうとした。でも、あなたが浦野に会おうとする理由があの時は分からなかった。だから、会いたいならという言い方になってしまった。記憶を改竄されていることも伝えようとしたけど、あの時は今ほどこの世界の歪みが大きくなくて、干渉の時間切れで伝えられなかった」
「そんな――――。そんなの、信じない! 信じられない!! なあ、嘘なんだろ? 俺を騙そうとしてるんだろ? そうだよな?」
俺はふらふらと彼女へと近づき、彼女の肩を掴む。
「なあ、言ってくれよ。嘘だって言ってくれよ! それが、その話が本当だったら俺は――――」
――――俺は、あのクソ野郎の手のひらで、アイツが意図した通り滑稽にも踊り続けたピエロそのものじゃないか。
「……うそ、だよな?」
俺は、縋るように彼女に言った。
けれど、彼女はそっと睫毛を伏せたまま、それ以上の言葉を吐き出さなくて。
その無言の肯定が、これまでの話が全部真実だと物語っていた。
「…………そんな。そんなの、信じられねぇよ。それじゃあ、俺は最初から全部……。アイオーンの手のひらの上で踊らされていただけだって言うのか? 間違った記憶を与えられて、その記憶が真実だと信じ込んで。必死に…………。必死に、足掻いてきたこの繰り返しは、最初から全部……。間違えていたっていうのか?」
ガラリと、足元の地面が崩れ落ちたように感じた。瓦礫の下に置いてきたはずの絶望感にも似たべったりとした心の闇が、ゆっくりと俺の首筋を撫でていく。
そうして俺は思い出す。
――さあ、もう一度踊れ。喜劇は、すぐに始まるぞ。
いつしか聞いたその言葉。アイオーンというクソ野郎が発したその言葉の本当の意味を。
「…………全部。全部、最初から仕組まれていたのか」
小さく、俺は呟いた。
心の中ではぐちゃぐちゃになった感情が揺れ動いて、目の前の彼女に八つ当たりにも似た怒りが湧いては消えていく。
だが、同時に頭では彼女には否がないことも同時に分かっていて――。
俺は、もう……。この感情を、どこにぶつければ良いのかが分からなかった。
彼女は、そんな俺を見て小さく眉尻を下げて、悲しそうに目を伏せると言葉を吐き出した。
「これを、こうしてあなたに伝えることが遅くなったのは、本当に申し訳ないこと。……でも、私がこうしてあなたへときちんと干渉することが出来るようになったのは、あなたが諦めずにここまでこの世界を繰り返してきたから。それが無ければ、この情報をあなたに伝えることは出来なかった」
「…………それじゃあ。それじゃあ本当に俺は、初めから【星辰の英雄】を取得したのが、四日目だと思い込まされて……。そんな嘘の記憶を元に、この世界を抜け出そうと必死で繰り返していた、のか?」
絞り出した俺の言葉は震えていた。その震えは、どこまでも人を舐め腐ったアイオーンに対する怒りでもあったし、これまでに繰り返してきた俺の努力が方向違いだったという徒労感からくるものでもあったし、虚無感ともいえる一時の感情の欠落からくるものでもあった。
彼女は、俺のそんな様子を見てからピクリと腕を動かして俺に差し出そうとした体勢のまま止まって、それをどうすることが出来ないまま、やがて腕をまた下ろしてから静かに呟いた。
「…………あなたが取得した【星辰の英雄】が、この世界にあなたが囚われることになった原因だというのは、言ってしまえばアイオーンが仕組んだブラフ。本当の、あなたをこの世界に固定している楔は、あなたが最初に取得したスキルのほう」
「ッ、それは――――」
俺の呟きに、彼女は小さく頷いた。
「そのスキルの名前は――【曙光】。今のあなたが、この世界で目覚めて最初に取得したスキル。それが、アイオーンが指定したあなたをこの世界に固定した楔。だから、あなたは奇しくも答えに触れていた。あとは、その方法が間違っていただけ」
「……どうすれば。どうすればいいんだよ!! 確かに、お前の言う通り俺が【曙光】を疑う過程は違ったけど! 俺はこれまで、この世界の〝俺〟が【曙光】を取得しないようにって何度も試したんだぞ!? でも、何をやってもこの世界の〝俺〟は【曙光】を取得する! そうなるように、この世界の因果が収束するようになっている!!」
「あなたを逃さないよう、アイオーンが因果律を弄っているだけ。だから、あなたが何をどうしようがこの世界の〝あなた〟は【曙光】を取得していた。それこそ、あなたが〝あなた〟を殺す、というパラドックスをスキルの強制発動の条件にしてでも、あなた自身が自分の手で、この世界の〝あなた〟の運命を変えることを禁じた」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ!! 俺が、この世界の〝俺〟に手出しが出来ないんだったら意味ねぇじゃねぇか!」
「あなたが手を出す必要はない。この世界には、まだ〝あなた〟を襲う存在がいるでしょう?」
「――――――まさか」
そこまで聞いて、俺は彼女が何を言いたいのかを理解した。
彼女は、じっと俺の目を見つめてからその続きを口に出す。
「…………そう。すべての始まり。あの時のゴブリンに、この世界の〝あなた〟を殺させればいい」




