??周目 未知の出会い
「…………だって、私はずっと……。あなたを――あなた達を、見てきた、から」
そう言って、光あふれる世界から瓦礫の下の暗闇に横たわる俺を見つめてくるのは、琥珀色の太陽のような瞳を持つあの女性だった。
「――――なんで」
俺は、彼女のその瞳を見つめながら呟いた。
「なんで、どうして……。どうして、お前がここにいるんだよッ! そんなの、知らない。この世界に、こんなイベントがあることなんて俺は知らない!!」
吐き出す声はだんだんと大きくなっていく。
凍り付いていた感情が太陽の光で温められたかのようにゆっくりと溶けだして、その声に感情の色をのせていく。
「その言葉の意味はなんだよ!! ここは、アイツの箱庭だ。この世界は、全部アイツの手のひらの上で……! 全部、全部ッ、何もかもが閉じられた世界だ! 俺がどれだけ足掻こうが全部が無駄だった。結局、何も出来やしないんだよ!! それなのに、なんで……お前は――ッ」
いつの間にか、俺の頬には涙が流れていた。
それが、何に対しての涙なのか俺自身にも分からなかった。
ただ一つだけ言えることは、俺の胸の中にはぐちゃぐちゃになったいろいろな感情が浮かんでいて、俺はその感情を言葉にすることが出来なかった。
だから……。だからきっと、無意識のうちに溢れたこの涙は、俺が処理しきれずに溢れた感情だったのだろう。
彼女は、言葉を吐き出すことを止めて静かに涙を流し続ける俺をじっと見つめると、何を思ったのか唐突に身体を乗り出して、その手を俺に向けて伸ばしてきた。
「……大丈夫」
小さな声で彼女は言った。
「…………あなたなら、大丈夫」
彼女のその手が、指先が俺の頬に触れて顎先へと流れていく。
「あなたなら、大丈夫。私は知ってる。あなたなら、きっと上手に出来る」
彼女は俺の涙を掬い取る。
それから、ゆっくりと手を引くとジッと俺の顔を見つめた。
「だから、立って? まだ諦めるには早い」
「……無理だ」
「無理じゃない」
「無理だ、無理なんだよ! もう、どうすることも出来ないんだよ!!」
「出来るよ」
有無を言わさないような、はっきりとした言葉だった。
「だから、私がここにいる」
「――――お前が?」
「…………そう」
茫然とした俺の問いかけを肯定するように、こくり、と彼女は頷いた。
俺は、彼女の顔を見つめながら口を開いた。
「――――お前は。お前は、誰……なんだよ。どうして、この何もかもが決まりきった世界で、俺の知らない行動を取ってるんだ……。お前は、何者だ」
消え入るような声で、俺は問いかけた。
「…………………」
俺の問いかけに、彼女は何も答えないまま、ただジッと琥珀色の瞳で俺を見つめ続けた。
どのくらいの間、俺たちはそうしていたのだろうか。
彼女はふいに俺の瞳から視線を逸らすと、それからまた瓦礫の撤去作業を始めた。
彼女が瓦礫をどかす度に、俺の身体を縛り付けているかのような瓦礫の重さが無くなっていく。
やがて彼女は、俺の上に乗っていた最後の瓦礫をどかすと、またその手を伸ばしてきた。
「…………行こう?」
「……どこに」
「……ひとまず、身体を休められるところ。あなた、今……酷い顔をしてる」
「そこに行けば、答えてくれるのか。お前が誰で、何者なのかを」
「…………うん」
小さく彼女は頷く。
俺は、彼女の顔を見つめてから瞳を閉じると、ゆっくりと息を吐き出し目元を拭った。
「分かった」
言って、俺は彼女の手を握る。
俺が本気で力を入れればあっという間に砕けそうなほど、とても細くて小さな手だった。
けれど、その手のひらの体温は、確かに彼女がここにいるということを教えてくれていて。思い出すことも出来ないほど、懐かしさすら覚える自分以外の誰かの体温にまた、俺は涙が流れそうになる。
「…………っ」
ずっと長い間、一人でこの世界を繰り返してきた。
このクソゲーを終わらせるべく、一人で戦ってきた。
その結果、俺はこのクソゲーに心が破れて、何もかもが既知となった世界へ足を踏み出すことも、立ち上がることさえもやめていた。
もう、一人では立ち上がることさえも出来なくなっていた。
「ッ、ぁ――」
何日――いや、何十日かぶりに立ち上がり、すぐには頭に血が巡らずに視界がぼやけて身体がふらつく。
すると、すぐに彼女が俺の身体を支えてくる。
「……大丈夫?」
「――――あ、ああ。大丈夫だ」
言って、俺は頭を振った。
ぼんやりとした視界はすぐに戻った。
ふらつく身体を支える彼女にお礼を言って、俺は自らの足で立つと大きく息を吸い込んだ。
「…………」
肺が膨らみ、同時にズキリとした痛みが走る。
目を落とせば、俺の胸にはあの日に突き刺したまま引き抜くことすらやめた匕首が存在していて、匕首によって破けた心臓から真っ赤な血が溢れて胸を濡らしていた。
「…………なあ」
と、俺は彼女に問いかけた。
「なに」
と、彼女が感情の薄い小さな声を返してくる。
「ここから、その……。身体を休める場所までは遠いのか?」
「……まあまあ、距離がある。でも、今のあなたが全力で走れば、あっという間」
「そうか。分かった」
彼女の言葉に頷き、俺は胸の匕首の柄に手を掛ける。
「だったら、これは邪魔だな」
そう言って、俺は胸の匕首を引き抜いた。
血が飛んで、ボタボタと溢れる血が地面を赤く濡らしていく。
だがそれでも、俺はこの程度で死ぬことはない。
これぐらいの傷ならば、放っておけばいつしか塞がるだろう。
「…………」
引き抜いた匕首の刃を振るって、血を飛ばす。
本来ならば、ずっと血に浸り続けた刃など使えたものではないだろうが、ここがトワイライト・ワールドというゲームの影響を受けた世界だからだろうか。俺の胸から引き抜いた匕首の刃は相変わらず鋭い光を放っていて、その刃が鈍らになったわけではないことをはっきりと俺に伝えていた。
「……どこに行けばいい」
「井の頭公園。あそこなら、この世界でも綺麗な水がある。近くの川は全部干上がってるから、この付近だとあそこが一番近い水辺。今から行けば、この世界のあなたに出会うこともない」
「分かった。それじゃあ、行こうか」
「…………待って。私は一緒にはいけない。先に行ってる」
「先に? どういうこと――」
俺の言葉は最後まで続かなかった。
視線で見つめる先で、目の前で話していた少女の姿が、まるで空気に溶けるかのようにあっという間に見えなくなったからだ。
「なっ!?」
と、俺は思わず言葉を失う。
慌てて周囲を見渡してみるが、彼女の姿はもうどこにもない。
まるで、本当に空気に溶けて消えたかのようだった。
「――――どういう、ことだよ」
呟く言葉に、答える声はない。
まるで白昼夢でも見ていたかのような出来事だ。
けれど、俺を覆っていた瓦礫は確かにどかされていて。
俺の手を掴み、瓦礫の底から引き上げた彼女の手の温かさを、俺はまだ覚えていた。
「ふー…………」
息を吐き出し、ゆっくりと手に握る匕首の柄を強く握り締めて前を向く。
これは夢じゃない。現実だ。現実なのだ。
彼女が何者なのかは分からないけど。それでも今は、言われた通り行くしかない。
これまで引きこもっていた暗闇は、彼女の手によって無くなったのだから。
「……行こう」
俺は足を踏み出す。
何もかもが見慣れた既知の世界へ。
緑の植物と灰色の廃墟が織りなす終末の世界へ。
――カチリ、と。
俺の中で何かが動き出した音が聞こえたような気がした。
それはきっと、あの日で止まっていた時計の秒針が動き出した音なのかもしれない。
いや、それとも。あの日で電源を落としていた、クソッたれなゲームを起動させる音なのかもしれない。
どちらにせよ、この出会いが――俺の知らない未知へと続くことは間違いないだろう。




