七周目 一日目・夜 手がかり
植物に覆われた崩れ落ちたビルを、闇夜に登った白い満月がぼんやりと照らしていた。
かつて渋谷の夜を彩っていたネオンの光も。
多くの人間が夜遊びを求めて行き交ったその交差点も。
待ち合わせで多くの人々が集ったその銅像も。
今のこの世界には、何一つとしてとして存在していない。
全てが壊れて奪われて、アイオーンの手によって新たなおもちゃ箱へと変質したこの世界のその場所は、人間の代わりにネズミが支配していた。
「ヂュウウウウウウッ!!」
やたらと野太い鳴き声を上げながら、黄色く濁ったその瞳を吊り上げて、六歳児ほどの大きさで全身が灰色の毛皮で覆われたネズミが俺に襲い掛かってくる。
俺はソイツの飛びつきを後ろに跳んで躱すと、すぐさま地面を蹴って前へと飛び出した。
「ヂュッ!?」
対応できない速度で俺が飛び出してきたからか、そのネズミ――大ネズミが狼狽の声を上げる。
俺はすかさずその内側へと潜り込むと、貫手を作って顎下から頭を突き刺した。
「チュ、ヴ……」
ビクリと身体を震わせて、大ネズミがぐったりと力を抜いた。
次第に色を失っていくを確認してから、俺は貫手を引き抜いてその手についた血を払う。
「ふー……」
一度、息を吐いて周囲を見渡した。
直前にまで群れていたネズミの姿はもういない。
どうやら、一目で俺の強さを察したようで一匹が瞬殺されると蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていた。
「雑魚に構ってる余裕はないんだけど」
言いながら、それでも全てのモンスターを相手にしないだけマシかと考え直す。
渋谷の街を支配しているネズミモンスターは三種類。
今しがた俺を襲ってきた大ネズミと、ネズミの顔と錆び付いたナイフを持つ二足歩行を行う鼠人間。それと、全長が一メートルを超える体格を誇りながらも、前歯が異常発達し大昔に絶滅したサーベルタイガーを思わせるような鋭い歯を持つサーベルマウスだ。
渋谷の街に到着して約半日が経過した。
渋谷の街で目覚めたプレイヤーは多いのか、それとも俺と同じように人を求めてココに集まってきているのかは分からないが、渋谷の街は立川市や昭島市と比べると多くのプレイヤーが活動していた。
人間、エルフ、妖精、獣人。さらにはドワーフと思われるような背の低いがっちりとした体形のプレイヤーや、頭に角の生えた鬼を思わせるようなプレイヤーまでも居た。
さらに驚いたのは、身長が二メートルを超えるような高身長のプレイヤーが居たことだ。そのプレイヤーが他のプレイヤーと話している内容を聞く限りでは、種族が巨人らしい。
渋谷に集まったプレイヤーは、会話を重ねて情報を交換したり、数人単位のグループを作ってモンスターを狩ったりしていることが多かった。
俺は、渋谷の街を駆け回りプレイヤーの姿を見つけては倒壊したビルの瓦礫の陰や草木の陰に姿を隠して、そのプレイヤーが一周目で会話を交わした浦野なのかどうかを逐一確認していた。
そのプレイヤーが浦野でなければ、【聴覚強化】を使用してかつてあのクソ野郎が騙っていた『クゼ』という名前が他プレイヤー同士の会話で出てくるのかどうかを探る。
そんなことをしている内にあっという間に時間は過ぎ去り、気が付けばこの世界に夜が訪れていた。
「…………さすがに、夜になれば活動しているプレイヤーも少ないな」
約半日ほどかけて浦野とアイオーンの情報を探ってはいるのだが、未だ成果はゼロだ。
このまま無駄に周回を重ねるわけにはいかないので、引き続き情報を集めるために夜も渋谷の街を駆け回ろうとは思うのだが、如何せんこの時間になれば人の姿が激減する。
俺には【夜目】のスキルがあるから問題はないが、このスキルが無いプレイヤーには電気という文明の光を奪われたこの世界の夜は昼間以上に過酷だ。
今日は夜空に浮かぶ満月がほのかに街を照らしてはいるが、それでも昼間に比べればビル陰は深くなる。
まともなプレイヤーならば、日が落ちる前に拠点を見つけておいて、今頃はそこで寝ているか震えて夜を過ごしていることだろう。
――だが、そんな夜にも活動しているプレイヤーは居る。
「……あれは」
俺は、視界に入ったその姿に目を細める。
渋谷スクランブル交差点から、道玄坂へと続くアスファルト道路の遥か先。
距離にして百メートルほど離れたその場所で、小さな人影がモンスターを相手に戦闘していた。
その身の丈よりも遥かに大きなローブを身に纏い、サーベルマウスを相手に大立ち回りをしているそのプレイヤーは、靴すらも履いておらず素足のままだった。
「妖精族か?」
その見た目から、種族の当たりを付ける。
ローブを羽織っているから、特徴的な羽が隠されているがその見た目から検討が付く種族は今のところ一つだけだ。
「チュウウウ!」
そんなことを考えていると、俺の元にまで聞こえる大きな鳴き声をサーベルマウスが上げた。
それから、大きな前歯を突き刺すように大口を上げてそのプレイヤーへと飛び掛かる。
相対する小さなプレイヤーは、すぐさま地面を蹴ってその前歯から逃れた。
その拍子にローブのフードが外れて、そのプレイヤーの顔が月下の元に露わとなる。
肩口に切り揃えられた栗色の髪の毛と、すっきりとした目鼻立ち。月光に照らされているとは言え、それでもなお青白い肌と赤い瞳。そして、小学校低学年を思わせるような幼い顔つき。
「ッ!?」
その顔を見た瞬間、立川で翼を持つ少女を見た時と同じ様に心臓が大きく跳ね上がった。
同時に、胸に湧き上がる理由のない後悔の念と安堵のため息。
真っ白となった思考の中で、忘れ去られた何かが激しく暴れているかのような感覚。
「……あの、プレイヤーは」
呟きながら、俺は後ずさる。
もはや、考えなくても感覚で理解した。
あの翼を持つ少女と同じだ。
俺はきっと、この周回の中であの少女と出会うことを許されていない。
いや、出会う権利をあのクソ野郎に奪われている!
「――――」
呼吸を止めて俺が見つめる先で、その幼い彼女は地面に落ちていた手のひら大の瓦礫を拾い上げた。
素早く起き上がり、地面を蹴って彼女がサーベルマウスへと飛び出す。
サーベルマウスは彼女を突き刺そうと再び大口を上げて飛び掛かるが、その行動を見切ったかのように彼女は手に持った瓦礫を素早くサーベルマウスの口へと向けて投げ込んだ。
「――!?」
口に入った異物に、サーベルマウスが思わずたじろぐ。
その隙を突いたかのように、彼女はサーベルマウスへと接近すると思いっきりその顎下を蹴り上げた。
もんどりうったサーベルマウスが、無様に地面を転がる。
だが、それだけでは初日のプレイヤーがサーベルマウスを殺すことは出来ない。
サーベルマウスは、渋谷を支配するネズミをモチーフにしたモンスターの中で最も強いモンスターだ。
種族によってプレイヤーごとの初期ステータスが異なるとは言っても、所詮は初日のプレイヤー。
いくら初期ステータスが高くても、今の俺のように楽勝で勝てるような相手ではないはず。
それが、彼女も分かっているのだろう。
彼女はサーベルマウスを蹴り飛ばすと瞬時に地面を蹴って、追撃の体勢を整えていた。
「ッ!」
離れた俺にも伝わってくるような、気迫に満ちた拳の一撃。
顎を蹴り飛ばされ、無様に腹を見せて地面に転がったサーベルマウスの横腹にその拳が深く突き刺さり、傍目から見てもその一撃がサーベルマウスの肋骨を折ったのは分かった。
「ヂュウウウウウウッ!」
サーベルマウスが苦痛の鳴き声を上げる。
彼女は、その鳴き声に耳を貸すことなくもう一度拳を振り上げると、今度はサーベルマウスの心臓部分に向けて思いっきり拳を振り下ろした。
「ヂュッ」
という声と共に、サーベルマウスの息が詰まる。
だが、彼女の攻撃はそこで止まらない。
タンッと地面を蹴って飛び跳ねると、月夜に舞うかのように跳びあがった。
「――【身体変化】、解除!」
そして俺は、ここに来て初めて彼女の言葉を聞いた。
その言葉が発せられると同時にその姿が急速に成長をして、短かった手足がぐんっと伸びる。
「あぁああ!」
気合の叫びが夜の街に響く。
そして彼女は、その長い右足を振り上げると、重力の力を借りて思いっきりサーベルマウスの胸へと振り下ろした。
「――――――」
声の無い断末魔を上げて。
サーベルマウスが身体をビクリと震わせた。
それが、サーベルマウスの致命的な一撃となったのは確かだった。
「ふー…………」
俺は、それを見て知らず知らずの内に止めていた息を吐き出す。
サーベルマウスはまだ死んではいないが、これで彼女の勝利は確実なものとなった。
あとは、サーベルマウスの命が尽きるまで攻撃を加えるだけだ。
「思わず、見守ってしまった」
俺が彼女に見つかればきっと、またこの世界をやり直すハメになる。
――見つかるわけにはいかない。
だが、だからと言って。
彼女が生きようとするその姿を、その戦闘を、すぐさま見限ってその場を離れることなんて出来やしなかった。
「…………行かないと」
未だ、俺の求めるプレイヤーと情報は集まらない。
そろそろ俺自身が受けるストーリークエストの準備もしなくてはならない。
俺のルナティックモードが適用されたボス戦に、他プレイヤーを巻き込まないようプレイヤーが多い渋谷からは出来るだけ離れるべきだろう。
「………………」
彼女から視線を外して背を向ける。
声を掛けられたのはその時だった。
「なに……してる、の?」
鈴の音のような透明な声。
聞き覚えがあるその声にハッとして目を向けると、いつの間にそこに居たのか。
一人の女性が、ジッと俺を見つめていた。
「……君は」
その姿を見て、俺は思わず呟く。
白銀の髪と、作り物めいた整った顔立ち。吸い込まれそうなほど透き通った琥珀色の瞳を持つ彼女は間違いない。
四周目で、天狗を倒し瀕死となった俺を助け介抱してくれたプレイヤーだった。
「なにしてるの?」
ジッと俺を見据えながら、彼女はもう一度同じ問いを繰り返した。
俺は、彼女の姿を見つめながら思考を巡らせる。
彼女と出会い、会話をしても強制周回が発動しないことは四周目の時点で分かっている。
これまでは〝特定のプレイヤーとの接触〟が、どのプレイヤーに当てはまるのかが分からず、渋谷に来てもここで活動するプレイヤーに話しかけることが出来なかった。それゆえに、盗み聞きや遠目からしか情報を得ることが出来なかったけれど、この彼女にならば直接聞くことが出来るかもしれない。
「一つ、聞いてもいいか?」
と俺は尋ねる。
「…………なに」
と彼女は小さな声で返事をした。
「人を、探してるんだ」
「…………人を?」
そう呟いて、彼女が小さく首を傾げた。
「そうだ。浦野というプレイヤーを知らないか? もしくは、クゼと名乗っていたプレイヤーでもいい」
「浦野……。クゼ……」
彼女は透き通る声で二人の名前を呟くと、ジッと俺の目を見つめた。
「両方、知ってる」
「っ!? 本当か!」
思わず、俺は彼女へと身を乗り出した。
彼女は、こくりと小さく頷くと、ついと指を持ち上げて方角を指し示す。
「浦野、というプレイヤーは……。中央区に居る。クゼと名乗っていたプレイヤーは、江東区」
「中央区と、江東区」
クゼが江東区に居るという情報は、事前に聞いていたもので、別段に目新しいものじゃない。
けれど、浦野が中央区に居るという情報はここに来てから初めて耳にするものだった。
俺は、ようやく手に入れることが出来たその情報に、思わず拳を握り締める。
「ッ、助かった! 本当にありがとう!!」
彼女に向けて深く頭を下げて、俺はすぐさま浦野が居るという中央区へと足を向けようとして――――。
「……待って」
そんな声と共に、動き出そうとした俺の身体を彼女が不意に俺の腕を掴んで引き留めた。
「っ、なんだ?」
振り返り、彼女の顔を見つめる。
すると、ジッと俺を見つめる彼女の瞳と視線がぶつかった。
「………………」
言葉を発することなく、彼女は俺を見つめる。
「どうした? 何かあるのか?」
対して、彼女へと掛ける俺の言葉には隠しきれない焦燥が滲み出ていた。
ここから中央区へと向かえば、また時間を消費する。
ストーリークエストが始まれば、浦野と接触することも出来なくなるだろう。
それまでに何としてでも接触をしておきたい。
彼女には命を助けてもらい、さらには貴重な情報を貰った。だから、無碍にはしたくはないけれど時間が惜しい。
――そんな想いが漏れ出た俺の表情を見て、彼女が微かに眉根を寄せたのが分かった。
「…………おかしい」
俺の腕を掴みながら、彼女が静かに口を開いた。
「おかしい? 何が?」
と、俺は彼女に問いかける。
「あなたの、その質問」
と、彼女は俺を見て要領の得ない答えを言う。
「質問? ああ……」
その答えに、俺は彼女が何を言いたいのかを察した。
きっと、彼女は浦野とクゼが俺にとってどんな関係なのかを知りたいのだろう。
目が覚めればモンスターの蔓延る何もかもが崩壊した世界だ。
誰しもが他人を思いやる余裕なんて無いそんな世界で、他プレイヤーを探す意味が分からないといったところだろうか。
「二人とも、俺の知り合いなんだ。とても大事な人だから、どうしても会わなくちゃいけない」
と、俺は彼女に向けて言った。
浦野は、あのクソ野郎に繋がる大事なキーパーソンで。
クゼは、あのクソ野郎が騙っていたプレイヤーネームだ。アイツは大事な俺の攻略ボスなのだから、嘘は言っていない。
彼女は、俺の言葉を耳にするとさらに眉根を寄せて、ふるふると無言で首を横に振った。
「ちがう」
「ちがう? 何が」
「本当に、その二人は……。あなたにとって、大事な人?」
何もかもを見透かすような、琥珀色の瞳が俺の視線を貫いた。
「ッ……、あ、ああ。本当だ」
俺は、その言葉に再度頷きを見せる。
彼女は、ジッと俺の目を見つめ続けていたが、やがて何かに気が付いたのか。
その瞳を大きく見開かせると、パッと俺の腕を掴んでいたその手を離した。
「…………なるほど。そういうこと」
彼女が、納得した様子で言った。
「混濁……。齟齬……。違和感……。やられた」
顔を俯かせて、彼女は小さな声でぶつぶつと呟く。
それからハッとした顔で俯かせていた顔を持ち上げると、悔しそうな顔でその薄い唇を噛んだ。
「時間切れ……」
そう呟き、それから彼女は俺をもう一度見つめると口を開く。
「浦野は、今……。江戸川区。会いたいなら二日目、東京駅」
「えっ?」
「あなたの会いたいクゼは、江東区に居るけど、今は会えない」
「おい、それってどういう――――」
そう、俺が声を出したその時だ。
「お主……。プレイヤーか?」
俺の背後から、今は聞きたくもないその声がはっきりと耳に届いた。
「――――――」
ゆっくりと、俺は振り返る。
彼女との会話に夢中になっていたことで、俺の後ろに近づくその存在に気が付かなかった。
そこに居たのは、つい先ほどまでサーベルマウスを討伐していた女の子。
戦闘を終えたばかりなのか、その姿は幼い姿ではなく成長したあの姿のままで、訝し気に見つめる彼女の赤い瞳にはっきりと映る俺の姿が見て取れた。
≫≫特殊システム:強化周回の効果を確認しました。
≫≫特定プレイヤーとの接触を確認。強化周回を発動します。
「しまっ――――」
そう呟く言葉も言い終えないまま。
俺の意識は、ブツリと途切れてまた闇へと沈んだ。




