??周目 ??日目 終わりの始まり
二部 二章のプロローグ的なやつです。
「ふー……! ふー……! ふー……ッ!」
知らず知らずのうちに荒くなる呼吸が、床に積もった分厚い埃を舞い上がらせた。
夜明けを知らせる陽光が、埃で煤けた窓ガラス越しに室内に降り注ぎ、舞い散る埃を星屑のように照らしている。
「ふー…………」
早鐘のように打ち鳴らす心臓の鼓動がやけに大きく耳に響く。
意を決して握り締めた匕首を持つ手が震える。
乾いた口の中を湿らそうと唾を飲み込むが、口の中は緊張で唾液すらも出ていなくて。無理に嚥下した喉は引きつったような痛みが走った。
「大丈夫だ……」
自らに言い聞かせるように、俺は呟く。
「大丈夫、大丈夫だ」
何度も、俺は呟く。
目線を下に向ければ、匕首を引き抜いた腹はゆっくりと傷が塞がり始めていた。
埃で真っ白だった床のキャンバスを彩っていた赤色も、放っておけばやがてその侵食を止めるだろう。
「――――っ」
階上から聞こえる物音に、俺はビクリと身体を震わせた。
その物音が聞こえてから、きっかり一分と三十二秒後。このアパートは、崩壊を始める。
巻き込まれないようにするのなら、今すぐに動かなければ。
まだ十七秒以内にアパートを出れば、俺は俺に出会うことなく、この世界に足を踏み出すことが出来る。
「……踏みだすことが出来る? ……踏みだして、どうなる?」
思わず、脳裏に過った考えに俺は笑った。
足を踏み出した俺が、どうなるのかなんて、とうに分かり切っている。
俺は、このトワイライト・ワールドで四日目を迎えることが出来ない。いや、許されていない。
それは、この三十二周目となった今、もはや考えるまでもない確定した事実だ。
永遠に繰り返される三日間。
終わりと始まりが繋がった円環の牢獄。
手を伸ばせる範囲にある未知は全て消えて、ただ形骸化した既知が残る世界。
強化周回という手段を手に入れた俺を閉じ込める箱庭をぶち破らなければ、俺はただこの世界でゆっくりと飼い殺しにされていく。
「ふー……! ふー……ッ、ふー…………!」
荒くなった呼吸は止まらない。
これから行うことへの恐怖が、繰り返される周回の中で摩耗した心を震わせている。
もし、これで失敗をしたら――。
そんな言葉が頭に思い浮かんだが、その言葉を打ち消すように首を横に振った。
失敗は許されない。
だがこの箱庭を抜け出すため、他に道はない。
時間の牢獄に囚われた俺に、どちらにせよ選択肢はないのだ。
「ふー……」
ゆっくりと息を吐き出し、目を閉じる。
そして俺は、この繰り返しの中で取得したスキルを発動させる。
「【明鏡止水】」
瞬間、乱れた心が凪のように鎮まった。
恐怖によって震えていた手も止まり、荒ぶっていた鼓動の音も落ち着いていく。
「――――――」
ゆっくりと、目を開く。
それから、手に持った匕首を俺の喉元に向けて真っ直ぐに構える。
刃先をピタリと喉元に押し付けると、プツリと皮膚が切れて血が玉のように浮かぶのが分かった。
「【痛覚遮断】」
呟き、そのスキルを発動させた直後。
俺は、一気に自らの喉元へと匕首の刃先を突き刺した。
「ぁ―――っ、か―――」
【急所突き】が発動した刃先は容易に俺のDEFを突き破り、延髄へと到達して貫通する。
――だが、それだけでは俺の意識は落ちない。
もはや化け物同然の俺のステータスはそれでもゼロになることがなく、相変わらず【天恵】を発動させて俺の命を繋ぎとめようとしている。
だから、俺はそれを断ち切るように。
突き刺した匕首を一気に横へと動かして自らの喉を首の半分から切断した。
「――――――!!」
視界が明滅する。
飛び散った血が、埃のキャンバスに夜空の星々のように水玉を飛び散らせた。
――けれど、それでも俺は死ななかった。
「か――、こひゅっ……」
もはや息をしているのかどうかも分からない。
切り裂かれた気道から漏れた音が奇妙な音を漏らして、その音を耳が拾っている。
俺は、震える手に力を込めて。匕首を持つ手をもう一度構え直すと、自らの心臓部分へと一息に突き刺した。
「が………………」
【急所突き】が発動した匕首が、確実に俺の心臓へと突き刺さる。
俺はふらふらと身体を揺らすと、その場へ崩れ落ちるように倒れた。
俺の身体を【天恵】が癒しているが、あふれ出る血の量と自ら付けた傷の具合からして、間に合うことはないだろう。
血の量と引き換えに視界はどんどんと暗くなっていく。
指先から広がる冷たい死の感覚が、急速に全身へと広がっていく。
もう間もなく、俺は死ぬ。
確定した事実を、微かに残された思考が判断した。
――そして、その声が聞こえたのはそんな時だった。
≫≫特殊システム:強化周回を持つプレイヤーの死を感知しました。
≫≫特殊システム:強化周回が発動します。
その声に、俺は思考が凍り付く。
「っ……、……!」
胸に広がる絶望を口に出すことも出来ず。
ただただ自らを縛り付けるそのスキルに俺は声のない絶叫を上げる。
――これも、ダメだった。
――どうすれば、この牢獄から抜け出せる?
――誰か、俺を救ってくれ!!
声のない叫びをあげて。
俺は、また意識のブレーカーを落とす。
……その間際。
俺の脳裏には、走馬灯のようにこれまでの周回の記憶が蘇っていた――――。
時間遡って、次回は五周目から。
ユウマがなぜこの行動を取るに至ったのか。そしてこの牢獄の行き着く先はどこなのか。
そんな物語になる予定です。




