??周目 ??日目・夜 答え合わせ
枝が爆ぜるパチパチとした音が、泥の底に沈んだ意識を浮上させた。
ゆっくりと目を開くと、群青色の夜空にばら撒かれた星々の輝きが広がっていた。
音が聞こえる方向へと視線を動かすと、煌々と燃える焚火が目に入る。
天狗に焼かれた木々の炎ではない。
人工的に熾された炎だ。
「……生きてる、のか」
小さな呟きは、確かに俺の声で。
吐き出す俺の言葉を、俺の耳ははっきりと拾っていた。
「…………そう、か」
息を吐いて、目を閉じる。
じんわりと胸の内側が熱くなるのはきっと、あの死闘を無事に乗り越えたのだと確信したからだ。
目が覚めた場所が、あのボロアパートでないのを見る限り、強化周回は発動していない。
満身創痍の瀕死の状況で、山から滑落したあの時は死を覚悟したのだが、どうやら俺の悪運は尽きていなかったようだ。
右腕を動かし、抉り飛ばされた脇腹に触れる。
すると、そこに巻かれた包帯に気が付く。
「――これは、包帯か。……誰かが、巻いてくれたのかな。ありがたい」
そう呟いて、ようやく意識をはっきりとさせた俺は、目を見開いて勢いよく起き上がった。
「包帯、だと! いったい、誰が!?」
周囲を見渡すが、人影はない。
ただ、春先の冷たい外気から俺を守るように、パチパチと音を立て続ける焚火の炎が作り出した影がゆらゆらと揺れていた。
「…………いったい、誰が手当てをしてくれたんだ」
あの山を燃やす炎が、そう簡単に収まったりしない。
それでも俺が、こうして生きているということは、あの山中で誰かが意識を失った俺を見つけて運び出したということだ。
さらにそれだけでなく、体温が低下した俺を温めるべく焚火を熾して介抱までしてくれている。
気が付かなかったが、もしかすればあの山の近くに、他のプレイヤーが来ていたのだろうか。
そんなことを考えていると、がさりと近くの藪が揺れた。
「――――ッ」
息を吐いて、素早く膝立ちになり戦闘の体勢を整える。
ジッと見据える俺の視線の先で、その藪はがさがさと揺れ続けて。
ふいにその揺れが止まったかと思うと、その藪を掻き分けて女性が姿を現した。
歳は俺と同じぐらいだろうか。
まるで作り物のように顔立ちが非常に整った美しい女性だった。日本人ではないのか、髪は雪を思わせるような白銀で、降り注ぐ月光を反射してキラキラと輝いている。瞳は太陽を思わせるような琥珀色をしていて、見つめていれば吸い込まれそうなほど曇りがなく綺麗な瞳をしていた。
彼女は、膝立ちで鋭い視線を向け続ける俺の姿を見つめると、感情が読めない無表情でぽつりと言葉を漏らした。
「…………起きたんだ」
透き通るような鈴の音のような声だった。
彼女は警戒する俺を無視して、俺の目の前にちょこんと座ると俺の顔をジッと見つめた。
「…………」
ただジッと、言葉もなく俺の全身を観察するような視線を彼女はぶつけてくる。
俺はその視線を受け止めながらも、ゆっくりと拳の握りを開くと、警戒を緩めながら口を開いた。
「お前は……。プレイヤー、か?」
「…………」
その言葉に、彼女は何も答えなかった。
ただジッと俺の全身をくまなく見つめていて、それからふいにその細い指を持ち上げると、俺の腹部を指さした。
「……私が、治した」
おそらく、この腹に巻かれた包帯のことだろう。
俺は無意識のうちに脇腹へ手を当てながら、小さく頷く。
「……そう、か。ありがとう。本当に助かったよ。わざわざ貴重な資源を使ってもらって、申し訳ない」
【天恵】があるとはいえ、止血の有無で身体から失われる出血の量は変わる。
包帯は、チュートリアルクエストをクリアすれば貰える物資だ。
この世界で、限りある資源を他人のために使うのは、なかなか出来ることじゃない。
「本当に、ありがとう」
俺は、彼女のその行動に対して深く頭を下げた。
「…………」
彼女は、何も言わなかった。
ただジッと、俺のその行動を見つめ続けている。
彼女の祖の視線に気が付いた俺は、下げた頭を上げて首を傾げた。
「えっと……? 何か、お礼をしたほうが良いかな?」
「…………」
ふるふると、彼女は無言で首を横に振った。
それから、俺たちの間に沈黙が落ちる。
その間にも、彼女は俺を観察するようにその琥珀色の瞳を俺にぶつけ続けていた。
「…………えっと」
ニコリと愛想笑いを浮かべてみるが、彼女は反応を返さない。
このまま、時間を無駄にするぐらいならば立ち去ろうか。
そんな考えが頭を過ぎったが、俺はすぐにその考えを改める。
彼女は、死にかけだった俺を助けてくれた恩人だ。
それなのに、目が覚めたからといってすぐさま立ち去るのは失礼だろう。
仕方なく、俺はしばらく会話を続けることにした。
「焚火を熾してくれたのは、君?」
こくり、と彼女は小さく頷いた。言葉はない。
「……俺を、山の中から助けてくれたのも?」
また、こくりと彼女は頷く。やはり、言葉はない。
「…………俺を運ぶのは大変だっただろ?」
ふるふると、今度は首を横に振った。だが、言葉を発することはなかった。
「…………」
「…………」
俺と彼女、二人の沈黙が落ちる。
俺は、どうしたものかと視線を彷徨わせると、彼女の容姿に理由を思い当たってすぐに口を開いた。
「もしかして、日本語を上手に喋られない、とか?」
「……問題ない」
俺の言葉に、彼女は即座に反応した。
「……だったら、どうして話さないんだ?」
俺の問いかけに、彼女は無言で俺の目を見つめた。
それから、ゆっくりとその指を持ち上げると俺の顔を指し示す。
「希望」
とても短い言葉だった。
その言葉に、俺は微かに眉根を寄せる。
「……希望?」
問い返す俺の言葉に、彼女は何も話さなかった。
彼女の指が俺の顔から逸れて、今度は俺のズボンを指し示す。
「時間」
再び呟かれたその言葉は、またもや短かな単語だった。
「…………」
彼女が何を言いたいのかが本気で分からない。
そんな気持ちが、ありありと顔に出ていたのだろう。
彼女は俺の表情を見て、少しだけ寂しそうに眉根を下げると俺の背後を指さした。
少しだけ待つが、彼女から発せられる次の言葉はない。
仕方なく、俺は背後を振り返る。
すると、そこには今なお燃え続ける高尾山の姿が目に入った。
ここからあの山まで、少なくとも一キロは離れている。
それはつまり、彼女が俺をこの場所まで運んできた距離となる。
「あんなに遠く……。俺を運んで、時間が掛かったってことか?」
そう言いながら、俺は視線を彼女へと戻して、思わず固まった。
「――――えっ?」
彼女の姿が跡形もなく消えていた。
まるで、その存在が夢幻であったかのように。
忽然とその姿を消したのだ。
「…………どういう、ことだ」
【気配感知】が途切れたのかと、スキルの発動を確認してみるがちゃんと起動している。
強化系のスキルを総動員してみるが、彼女の存在を確認することが出来なかった。
「【隠形】……っていうスキル、か?」
可能性があるとすれば、隠密系のスキルを彼女が取得していて、俺が視線を外したその瞬間に発動したか。
「だったら、どうして……。このタイミングで?」
彼女の行動が理解出来ない。
いや、そもそも。彼女はプレイヤーだったのだろうか。それさえもはっきりとしない女性だった。
「まさか、モンスターだったりして」
呟き、その考えを一笑する。
モンスターが人助けをするなんて、あり得ないことだ。
現実的に考えて、彼女はプレイヤーで。その種族の特徴か、その初期ステータスの高さで隠密系のスキルを獲得していたのだろう。
「ふぅ……」
息を吐いて、俺は残された焚火の炎を見つめる。
しばらく揺れ動く炎を見つめていて、ハッと気が付いた。
「そうだ、レベルと報酬を確認しないと」
ストーリークエストのボスである天狗は、確かに討ち取った。
あれだけの強敵だったのだ。
きっと、多くの経験値を獲得してレベルも相当上がっているに違いない。
「報酬……。武器ならいいけど」
モンスターから武器を手に入れることが出来るとはいえ、やはり専用の武器は欲しい。
そんなことを思いながらスマホの画面を開いた俺は、その画面に映り出された数字が真っ先に目に飛び込んできた。
4月3日 23時56分。
「――なん、だと!?」
声を張り上げ、食い入るようにその数字を見つめる。
だが、いくら見つめたところでその数字が変わることはない。
ただただ、俺が丸一日以上眠っていたことを示す事実が、そこには無情にも表示されていた。
「――――ッ!」
ハッとして、忘れていた事実が蘇る。
それは、この周回を始めた当初の考察。
この世界が繰り返される無限ループの世界ならば、この世界に存在するユウマと、周回を繰り返す俺という存在が引き起こす矛盾。
そして、その事実がはっきりとするのが。
――これから来るであろう四日目だった。
「――――――」
言葉を失くして、俺はスマホの画面を見つめた。
同時に、あの女性が指さした場所と言葉の意味を理解する。
(そう、か。彼女は、俺のズボンじゃなくてそのポケットを……。そこに入っていたスマホを指さして、時間を教えてくれたんだ。俺が、丸一日以上眠っていたことを知っていたから。この世界に訪れる、新しいストーリークエストの発生を、彼女は知らせていたんだ)
姿を消した彼女が、どこに向かったのかは分からない。
だが、この時間とタイミングを考えるに、彼女はこれまで受けたクエスト関係で何かしら思うところがあったのだろう。
「…………」
深く、深く、姿を消した彼女を思って息を吐く。
どこに向かおうが、この世界で生きている限りはクソったれなこの現実から逃れることなんて出来やしない。
俺たちの現実は、あの過去の日常ではなく未来の終末であるココなのだ。
俺たちが、あのクソ野郎が作り出したゲームのキャラクターである限りは、どこに向かおうが絶望の時間は必ずやってくる。……やってきてしまう。
「…………」
見つめる先で数字が加算された。
俺は頭を振って思考を切り替える。
俺を助けてくれた彼女のことは非常に気になるが、今は目の前のことを考えよう。
「この世界における俺の存在矛盾がどうなるか分からないけど。……もし仮に、このまま何も起こらなかったとしたら――」
その時、俺はこのままクソゲー攻略を続行することになる。
だが、そうなった場合の問題点が新たに浮上する。
「俺が天狗を倒したのは、二日目だから……。きっと、気を失っている間にも、俺は次のストーリークエストを受けているはずだ」
もちろん、気を失っていた俺はその内容を知らない。
このクソゲーが、クエスト発生のアナウンスを繰り返すことなんて今まで聞いたこともない。
それはつまり、今の俺は……。
このまま、世界の矛盾で何かしらが起きたとしても、何も起きずにこのままクソゲー攻略を続行しようとしたとしても。クエストそのものを知らないために、どちらに転ぼうが攻略そのものが出来ない状態だということだ。
「……クエスト発生の内容ぐらい、アナウンスじゃなくて文章で残せよッ!」
今までは気にしていなかったが、プレイヤーにとって不親切なゲーム仕様だ。
改めるまでもないクソゲー仕様。
俺は、眉間に深い皺を刻みながらスマホを持つ手に力を込める。
「…………とりあえず、クエストのことは一端置いておこう。まずは、これからのことだ」
自分に言い聞かせるように言って、沸々と湧き上がる怒りをなんとか抑えた。
息を吐いて、俺は画面を見つめる。
見つめる先で、時間に数字が加算される。
一分が。いや、数秒が長く感じる。
事前に予想していた運命の分かれ道。
仮説と考察と、矛盾。
待ちわびたとも言ってもいいその答え合わせが出来るこの瞬間、この時間に対して自然と肩へと力が入り、心臓の鼓動が大きくなった。
――そして、最後の数字が加算されて。
スマホの画面を示す時間は全てがゼロになり、呆気なくこの世界に四日目が訪れた。
――瞬間。
俺のスマホからアナウンスが鳴った。
≫≫対象コードを確認。検索します。
そのアナウンスは、これまでとは違うものだった。
≫≫……ERROR。貴方の存在が、見つかりません。
ただ、無機質に。
感情もないままに、淡々とその事実を告げてくる。
その言葉の意味を、俺はすぐさま察した。
「――ああ、やっぱりか」
≫≫貴方は、この先の黄昏世界での存在が許されていません。
≫≫特殊システム:強化周回を確認しました。
≫≫特殊システム:強化周回が発動します。
あのクソ野郎が、そう簡単に俺を攻略させるはずがない。
俺は最初から――俺の知る一周目であるこの世界において、四日目以降の存在を認められていないのだと。
……そう、このアナウンスは言っていた。
「――なるほど。だから、〝このやり方を繰り返す度に〟って言ったのか」
あのクソ野郎は――アイオーンは、最初から仕組んでいたのだ。
俺が、この世界で四日目になる度に強化周回を強制発動させて、永遠と時間の牢獄に囚われることになるように。
俺が任意で強化周回を発動しようがしまいが、アイツは俺の〝何か〟を確実に削ぎ落すようにしていたのだ。
「クソ野郎が……」
呟き、俺は奥歯を噛みしめる。
そして、次の瞬間にはブツリ、と。
俺の意識はまるで、ゲーム機本体の電源を落とされるように、唐突に暗闇へと落とされた。




