二日目・昼 『人間』と人間
ぼんやりとした意識が覚醒する。
すると、周囲が真っ黒な空間が目に入る。
俺だけに用意された木組みの椅子。
頭上から降り注ぐスポットライト。
その正面に浮かぶ白のスクリーン。
何もかもが、かつてこの場所へと来た時と同じ。
クソゲーによって植え付けられた『人間』が居座る、俺の中に存在するプレイルーム。
言ってしまえば、俺の意識の奥底。
以前は、その正面に浮かぶスクリーンにリッチとの戦闘を繰り広げる俺の姿が映し出されていたが、今はポーズ画面のようにそのスクリーン映像は静止している。
その画面に、俺は微かな違和感を覚える。
あの画面は、いわば『人間』が俺の身体を操作する画面だ。
それが止まっているということは、『人間』が俺の身体を操作していないということになる。
(……?)
小首を傾げて、周囲を見渡した。
すると、俺の隣に立つその存在が目に入る。
小学生低学年のように幼く、白い髪と青い瞳を持った男の子。
――『人間』だ。
『人間』は、その手に持つコントローラーを操作することなく、憮然とした表情で画面を見続けていた。
「……随分と勝手だね」
と、その男の子は――『人間』は言った。
「自分が勝てないからって、あれだけ毛嫌いしていた僕に、簡単にコントローラーを押し付けるんだ」
そう言って、『人間』は手元のコントローラーを操作することなく弄ぶ。
「前に会った時はコントローラーを返せ、なんてあれだけ言っていたのに。確定した負けイベントになれば僕にコントローラーを押し付ける。酷い話だと思わない?」
『人間』はそう言うと、隣に座る俺へと目を向けてきた。
俺は人間の目を――その青い瞳を見つめる。
(……思わねぇよ。今まで散々、俺を乗っ取ろうとしてきたじゃねぇか。だから、こっちからコントローラーを渡してやっただけだろ)
言葉には出さず、思考する。
ここは俺の意識の中だ。
言葉に出さずとも、考えるだけで『人間』には伝わる。
『人間』は、俺の言葉に不満げな表情を見せると唇を突き出した。
「〈救世〉も〈幻想の否定〉も出来ない確定した負けイベントに手を貸すつもりはないよ」
と、『人間』は言った。
それから俺へと目を向けると、ゆっくりと息を吐く。
「これが普段のボスだったら、喜んで手を貸したけど。君専用に追加されたボス強化のシステムパッチがあまりに酷すぎる。僕自身も、ここまで酷いとは思わなかった。あれは無理だ。勝てないよ」
(……それでも、勝たなきゃいけない)
と俺は『人間』に言い返す。
その言葉に、『人間』は薄い笑みを浮かべた。
「どうして?」
(俺が、ここに居るのはそのためだからだ)
「自分が周回を始めた理由も分からないのに?」
(…………)
「僕は知ってるよ。なんでも知ってる。君が忘れたことも、奪われたものも、全部。これまで何千、何万と繰り返す世界の中で、君の中から全てを見てきた」
『人間』はそう言って、ジッと俺を見つめた。
「僕は君で、君は僕だ。僕らはこの世界で、常に表裏一体。だけど君に働く世界システムも、元はゲームシステムによって創られた僕には通用しない。君が忘れた出来事も、僕は全て覚えている。例えば、この世界で三十日以上を生きてもなお通用しなかった力に屈した君も。圧倒的理不尽によってゲーム開始二日目で命尽きた君も。彼女たちを守るために、ただ一人その身を犠牲にして死んでいった君も。全部、全部知っている」
ピクリ、と。
俺は、その言葉に出てきた単語に反応した。
(……彼女たち?)
俺の言葉に、『人間』は小さく笑った。
「ああ、そうだった。君は、周回前に関わったプレイヤーに関する記憶がないんだったね」
(ちょっと、待て。どういうことだ!?)
衝撃的なその言葉に、俺は椅子から身体を持ち上げる。
だが、俺の尻は椅子にへばりついたまま、腰を浮かせることも出来ずにガタガタと音を鳴らした。
≫≫システムエラー:トワイライト・ワールドにおける種族との同化率が50%を超えています。種族命題に反する行動は現在できません。
空間に、その声が鳴り響く。
俺はその声に舌打ちをすると、椅子から立ち上がることを諦めた。
椅子に腰かけながら、『人間』へと視線を向ける。
(俺が、他プレイヤーの記憶を失っているだと? そんなの……。そんなこと、ありえない。俺は覚えている。一周目の記憶を、その全てを俺は忘れちゃいない)
「それじゃあ、聞くけど。君の一周目に、君の傍には誰か居たかい?」
(いるわけない。俺は、常にソロ攻略をしていた――)
「それが、間違ってるんだよ」
『人間』は俺の言葉を遮った。
「君が呼ぶ一周目――無限に繰り返されるあの世界で、君の傍には必ず共に行動し、命を預け合ってきた仲間がいたんだよ」
(なっ……)
ゆっくりと、けれど確信を持ったその言葉は、俺の脳を衝撃で揺らす。
そんな俺に向けて、淡々と『人間』は言葉を吐いていく。
「おそらくだけど、それが『強化周回』のデメリットだろうね。プレイヤーとの関わりを無かったことにして、君の記憶そのものを作り変える。いつでも、ソロで攻略していたことにしてしまう」
(どうして、そんなことを……。記憶を作り変えたとして、アイオーンにとってのメリットなんてないはずだ)
「……君だから、だと思うよ」
『人間』は、小さく笑って言った。
(俺だから?)
と、俺はその言葉に眉根を寄せる。
『人間』は、一度小さく頷くと言葉を続ける。
「君が、君の存在が……。あの選択が、彼女たちの影響を多大に受けたうえでの選択だったから。君という執念が導き出したその答えの理由に、気が付いたから。だから、あの人は君から――君の中から、彼女たちの存在を、プレイヤーと関わったその記憶を消したんだ」
(……意味が分からない)
「だろうね。今の君には分からない話だよ」
と『人間』は表情の読めない顔で笑った。
「……でも、あの人のことだ。この周回における本当のデメリットはきっとそれじゃない」
(本当の、デメリット?)
「まあ、それも僕には分からないけどね。今は、だけど」
言って、『人間』は薄い笑みをその顔に浮かべる。
その顔を見つめながら、俺はふと疑問を覚えた。
――どうして。
どうして、コイツはそんなことを俺に教えたのだろう。
仮に、俺が周回によって失ったものがあったとして。
コイツにはそれを俺に伝えるメリットなんてあるはずがないのに。
どうして、コイツは俺にそれを伝えるのか。
そう思っていると、俺の思考を読んだ『人間』が口を開いた。
「どうして、か。そうだね……。なんて言えば良いかな。あの時の君が、『既知』ではない『未知』の可能性を、僕に見せてくれたから、かな」
(『未知』の可能性?)
俺はその言葉に首を傾げた。
『人間』は、そんな俺の様子に小さく笑うと言葉を続ける。
「……この繰り返しの中で、僕は幾度となく君を見てきた。だから、僕は素直に驚いたんだよ。君が、まさかあの人と取引をしてまで、この地獄に屈せず抗おうと決めたことに。何万と繰り返してきた中で、初めてのことだったから。……正直に言って、興奮したよ。これで、ようやく僕は本当の意味で自分の命題を果たすことが出来るって」
(本当の、意味だと?)
「そうだよ。言っただろ? 僕の命題は〈救世と幻想の否定〉だ。僕はその命題に縛られ、その命題こそが僕そのものだ。けれど、それを果たすには自分の手ではなく、君という存在を介さなければならない。…………君には想像できる? 幾度となく繰り返し何もかもがリセットされるこの世界で、永遠に繰り返される自らの存在証明が出来ない苦痛を! 僕が、僕としてココに居る理由すらも分からなくなるその現実をッ!」
『人間』が、その手に持つゲームのコントローラーを握り締める。
よほど鬱憤が溜まっているのか、歯を剥きだしにするその表情は怒りに歪んでいた。
「だから、僕は君に言うのさ。早く、その場所を変われ。僕に君を操作させろ――ってね。僕ならば、ボスモンスターを効率よく倒すことが出来る。何万と繰り返されるこの世界で培った経験が、ボスの攻略方法を知っている」
(……だったら、あのボスも倒せるだろ。コントローラーを渡したんだ。さっさと殺してくれ)
「無理だよ。言ったでしょ、君専用のボス強化パッチがあるって。……僕がこれまで、君の身体を操作してボスを倒せたのは、僕にとってこの世界のモンスターはどれも初見じゃなかったからだ。過去の君は確かに天狗と戦っているし、その攻撃方法も僕は知っているけど。アイツはあの時と全く違う。同じ名前の、別のモンスターだ。君が選択した〝強くてニューゲーム〟がこの世界にとっての初めてだったように。僕にとってもあのモンスターは初めてだ。そして、僕はあのモンスターに敵わないことを君と同じ様に悟った」
『人間』はそう呟くと肩をすくめた。
「今の君では、ストーリークエストをクリア出来ない。コレは絶対だ。揺るぎのない事実だよ」
俺はその言葉に唇を噛む。
……どうすれば。
どうすればいい。
今の俺でも、『人間』に頼ってでも勝つことが出来ない。
これ以上、今の俺に出来ることは何もない。
「――だったら」
と『人間』が言った。
「だったら、また覆せばいい。この現実を否定すればいい。君は、君という存在は。君の魂そのものに刻み込まれた執念は、こんなところで諦めることが出来ないだろ? だったら、またこの現実を否定するんだ。そのやり方と、その資格を、君はもう与えられてるはずだ」
人間は、そう言うとその手に持つコントローラーを俺の膝の上に置いた。
「僕は確定した負けイベントに、全力で挑む気はさらさらないよ。操作は君に返す。ここからの先の選択も、君次第だ」
そう『人間』が呟くと同時に。
真っ暗な空間の中で浮かぶスクリーン画面の、静止したその画面は動き始めていた。
『人間』からの操作権を無理やりに渡されて、俺はハッと意識を取り戻す。
慌てて目を向けると、天狗が動き出すところだった。
「でハ、いくゾ」
天狗が呟き、腰を落とす。
次の瞬間、その姿が消えて。
気が付いた時には俺の腹部へと、その拳が突き刺さっていた。
――ぶちゅっ、と。
何かが潰れる音と、
――バキバキゴキキッッ、と。
骨が砕ける音が耳に届いた。
そう思った次の瞬間には俺の両足は地面を離れていて、気が付けば高尾山の頂上からその身体が放り出されていた。
ふわり、とした感覚。
言葉を発することの出来ない痛み。
次第に遠のく意識。
轟々と耳元で流れる風の音が、俺が落下していることを教えてくれている。
「くそ、げー…………が」
吐き出した言葉は酷く細い。
自分の命の灯が消えようとしているのを直観的に悟る。
このままでは、俺は死ぬ。
『人間』にも諦められたこの無理ゲーに殺される。
……どうすれば。
どうすればいい。
どうすれば、この現実を否定出来る!?
――そのやり方と、その資格を、君はもう与えられてるはずだ。
ふと、『人間』に言われた言葉が蘇る。
その言葉の意味にようやく気が付く。
「ァ……ぁ……が――」
痛みで発することが出来ない喉を震わせ、俺は心の奥底で燃え続ける執念の炎をさらに燃やす。
今の俺で、最初のストーリークエストさえも乗り越えられないのならば――。
そのクエストを乗り越えられるまで、何度も繰り返すだけだ。
「――強くて」
俺にだけ与えられた特権。
この世界を周回することが出来るその言葉。
『人間』は言っていた。
この周回にはデメリットが存在していると。
アイオーンは言った。
この周回を繰り返す度に、俺という存在を失くしてもらうと。
――そんなの。
そんなの、知ったことじゃねぇ!!
俺が、俺という存在が、この世界に居る理由はただ一つ。
このクソゲーを終わらせることだ。
名前も知らない誰かを救うことだ。
アイオーンというクソ野郎を殺すことだ。
それが成し遂げられないまま、死ぬことは俺自身が許さない。
俺は、絶対に死なない!!
「ニューゲームだ」
俺はその言葉を呟く。
二周目が無理なら三周目へ。
この最初の試練を乗り越えるための力を蓄えるために。
俺は、次の俺へとこの執念を渡していく。
「今に、見てろよ」
呟く俺の声は風に掻き消えて。
俺の意識はまた、ブツリとブレーカーが落ちるように途絶えた。
そして三周目へ。
心の執念を、その炎を滾らせて。




