二日目・昼 山中にて
休憩を終えて、再び山を登る。
水分や食事を摂り、身体を休めたからか幾分か身体が軽い。
【空間識強化】で周囲の空間を把握しながら、一歩ずつ確実に前へ進む。
すると、藪がふいに途切れて。
目の前には、石の階段が現れた。
隙間なく苔が生えたその階段は、例えるなら緑の薄い絨毯を敷き詰めた階段のようだった。
木漏れ日から差し込む陽光が、緑の絨毯に光と影を落としている。
風が吹くとざわざわと木の葉が揺れて、絨毯に落ちた模様が細かな変化を見せた。
思わず、息を吐く。
この場所で、ようやく見つけた人の名残。
全てが消えたと感じていたそれは、この山中にひっそりと残っていた。
「……でも」
と俺は呟く。
その名残も、そう遠くない先で消えるだろう。
よくよく見れば、ところどころ石を割って草木が伸びている。
もう間もなく、この石段さえも自然に還るのだと、その光景が教えてくれていた。
俺は、その石段を登る。
登りながら、試しにどれだけの段差があるのか数えてみる。
「106……。107……。108……」
石段の上に立ち、背後を振り返る。
108段。
それは、人の持つ煩悩だと言われている。
おそらくは、この石段を踏み越えることで自分の中にある煩悩を失くすという意味合いがあるのだろう。
年の瀬に聞かれる除夜の鐘と、同じ様な意味合いに違いない。
「……そう言えば、高尾山には寺院があったんだっけ」
であれば、この階段はかつて多くの参拝客が足を踏みしめたもの。
今ではもう、使われることがない参拝道だ。
俺はしばらくの間石段を見ろしてから、視線を切って前を向いた。
「……あれは」
そしてふと、視界に黒い影がよぎる。
その影は俺の様子を見るように、素早い動きで木々の間を飛び回っている。
影の数は三つ。
いずれも、同じ様な姿だ。
「なんだ?」
ジッと、目を凝らす。
すると、その影が動物であることに気が付く。
「……サル?」
見た目は間違いなくニホンザルそのものだ。
けれど、その姿は大きい。
加えて、その背中にはどこから手に入れてきたものなのか。木の根を削り出して作った棍棒や、太い木の枝に石の破片を蔦で巻き付けた固定したような石斧が、それぞれ蔦を使って身体に括りつけてある。
その武器持ちのサルは、俺の周囲を素早く飛び回り様子を見ていたからと思うと、その背中にある武器をそれぞれ抜き取り、一斉に襲い掛かってきた。
「ッ、モンスターか!」
吐き捨て、俺は鋼索の鞭を構える。
「ふー……」
息を吐いて、俺はサルの動きを観察する。
サルの動きは素早い。おそらく、ステータスの中でもAGIが高いのだろう。加えて、どうやらルナティックモードが適用されているらしい。
元が知能の高い動物だ。
それを元に創られたモンスターであるならば、こいつらもきっと知性が高い。
……ということはつまり、コイツらは考える力があるということ。
本能ではなく知性に従うモンスターは厄介だ。
戦闘を繰り返せば繰り返すほど、その戦闘による経験値を溜めて、より洗練された戦闘スタイルを確立していく。
そしていつか、プレイヤーを殺し強化される。
新たな絶望が誕生してしまう。
「――それは、させねぇッ!」
俺は、素早く動くサルの動きを見切って鞭を振るった。
ビュンッと風切り音を残して鋼索が伸びる。
鋼索は飛び込んできたサルの顔を強く打ち据えて吹き飛ばした。
地面をゴロゴロと転がっていく仲間の姿に、残されたサルたちの顔が怒りで歪む。
「ニン……ゲン。ユルサ、ナイ」
酒で焼けたような、濁った声でサルが言った。
俺はその言葉に唇の端を吊り上げる。
「許さなかったら、どうするんだ? 俺を殺すのか?」
「ソウダ。オマエ、ユルサナイ!」
「そうかよ……。俺も、お前らを逃がすつもりはねぇから、そっちから向かってきてくれるのはありがたい」
言って、俺は鞭を横薙ぎに振るう。
だが、その軌道は見切られていたようで、サルたちは一匹がしゃがみ、一匹は跳んで空中へと逃げた。
俺は、すぐに手元を返して空中に逃げたサルへと狙いをつける。
「ふっ!」
気合の声と共に、空中のサルへと逆袈裟で斬るように鞭をしならせた。
「クッ」
サルの顔が歪む。
だが、確実に届いたと思ったその一撃は、サルがその手に持つ武器によって防がれた。
空中で身動きの取れないサルは、その手に持つ棍棒を迫る鋼索へとタイミングよくぶつけて、軌道を逸らしたのだ。
鋼索の先端はサルの顔を掠めて皮膚を切ったが、大したダメージにはなっていない。
その事実に俺は唇を噛むと、もう一度鞭を振るう。
だが、サルたちはすぐにそれを回避して。
鞭は地面を叩いて、土を周囲に飛び散らせた。
「くそっ」
鞭は中距離に適しているが、素早く動く敵には不利だ。
いや、上手く扱えれば問題ないのかもしれないが、今の俺にはそれを扱えるだけの技術がない。
「――だったら!」
俺はその鞭を無造作にベルトへ突っ込み、代わりにそこにぶら下げられた棍棒を二つ、蔦を引きちぎって手にする。
「ふー……」
息を吐いて、俺は二つの棍棒を構える。
【集中強化】ではない、純粋な俺の集中力を高める。
これまでの戦闘で培った感覚を研ぎ澄ませていく。
「――――――」
ジッと相手の動きを見据えて。
俺は、完全なカウンターの体勢を整えた。
「シネ!」
叫びをあげて、二匹のサルが一斉に動く。
一匹は俺の右から石斧を構えて、もう一匹は左から棍棒を構えて。
左右同時、寸分の狂いもない挟撃を俺へと繰り出そうとする。
その、瞬間。
「【雷走】、二秒」
呟き、俺はAGIを上昇させた。
右手に持つ棍棒を右から迫るサルの顎に横薙ぎに打ち付けて、素早く左の棍棒を振り下ろす。
一撃目でサルの脳を揺らして、二撃目で行った強打はサルの頭蓋を砕いた。
砕け散る棍棒の破片を、【視覚強化】によって強化された動体視力で捉える。
俺はその破片を右手で掴むと、左から迫る棍棒を左腕で受け止めた。
「ぐっ……」
その勢いに左腕の骨にヒビが入る感覚がして、激痛が走った。
……だが、もはやその痛みも慣れたものだ。
俺は奥歯を噛みしめると、棍棒を振るって隙が出来たそのサルへと右腕を振りかざした。
「俺の腕の代償は、デカいぞ!」
叫び、その右手に持つ破片をサルの左目に突き立てる。
ぐちゅりと目が潰れる感覚がして、サルの絶叫が響いた。
俺はすぐに左足で蹴りを放つと、そのサルを吹き飛ばす。
「――ヨクモ」
その時、俺の右側から言葉が聞こえた。
棍棒で頭蓋を砕いたサルだ。
素早く目を向けると、顔の半分までを潰しながらもゆっくりと起き上がるところだった。
「化け物、かよ!」
叫び、俺は体勢を整える。
本来ならば確実に息の根を止めた一撃だったはずだが、ルナティックモードの影響だろう。
そのモンスター本来の体力までもが強化されている。
俺は鋼索をもう一度取り出すと、そのサルに向けて振るった。
顔の潰れたサルは起き上がることは出来たものの、それ以上動くことは出来なかったようだ。
激しく鞭に打ち据えられて、身体がビクリと震える。
ぐるりと眼球が反転して、サルはその場に倒れ込んだ。
その身体が色を失い始めたことを確認して、俺は残りのサルに目を向ける。
目を潰されたサルは、左目から血を流しながら起き上がるところだった。
俺に蹴り飛ばされたダメージが響いているのか、その身体がふらついている。
だが、残された右目には憎悪の炎を灯して真っすぐに俺を見据えていた。
「しぶといな」
言って、俺は地面から死んでいったサルが作ったであろう石斧を拾う。
手斧サイズとやや小さいが、アイツの息の根を止めるにはそれでも十分だ。
「来いよ」
といって、俺は石斧を構える。
そこでふと、違和感に気が付く。
――最初に鞭で吹き飛ばしたサルがいない。
逃げたか? いや、ありえない。顔の潰れたサルにトドメを刺す時は、まだ【気配感知】でその気配を感じていた。
だが、そこからだ。アイツの気配が消えたのは。
いったい、どこへ?
「――――」
思わず、眉根を寄せる。
声が聞こえたのはその瞬間だった。
「【隠形】、カイジョ」
聞こえたその声と共に、背後に膨らむ気配。
「――ッ!!」
慌てて、俺は振り返る。
だがそれよりも早く。
俺の後頭部は硬い何かで激しく打ち据えられた。
「――がッ」
一瞬、視界が暗転する。
崩れる身体を支えるために必死でたたらを踏んで、何とか耐える。
「ぉおおおおっ!」
そして、俺はそのまま手に持った手斧を振り向きざまに振るった。
――ゴキッ。
という音と共に、手斧は背後から奇襲を仕掛けてきたソイツの首元に突き刺さった。
首の半分までを潰し、血を噴き出しながらソイツが地面に転がる。
「く、そ」
どろりと何かが流れる感覚がする。
打ち付けられた場所に手を当てると、生暖かい水に触れた。
それが血であることはすぐに分かった。
俺は、地面に転がったソイツへと目を向ける。
俺を襲ってきたのは、あの最初に鞭で吹き飛ばしたサルだった。
どうやら、気配を消すスキルを使用し奇襲を仕掛けてきたらしい。
まだ辛うじて息があるのか、潰れた喉で必死に呼吸をしてヒューヒューとした音を口から鳴らしていた。
「…………」
俺は無言でそのサルへとトドメを刺す。
ビクリと身体が震えて、そのサルが空気に溶けることを確認してから、俺はその手斧を奪った。
「……気配を消すスキル」
呟き、そのあまりに厄介なスキルに顔を顰める。
今後、こいつらのように動きが素早い敵がそのスキルを使ってくるとなれば、非常に面倒だ。
【気配感知】で気配を探れないとなると、奇襲を受ける可能性が高い。
まだ、ボス級のモンスターがそれを使ってこないだけラッキーと思うべきか。
俺は、そう考えて残された一匹へと目を向ける。
「残り、一匹」
左目が潰れ、蹴られたダメージで足元がおぼつかない相手だ。
もはや消化試合に近い。
「ヨクモ、ヨクモ、ヨクモ、ヨクモッ!!」
サルが叫び、棍棒を構える。
俺はゆっくりとそのサルへと向き直って、その石斧を振りかざす。
「ああ、恨んでくれて構わない。プレイヤーとモンスターは、そういう関係だからな」
言って、俺は石斧を投げる。
石斧はサルの額に突き刺さって、サルは白目を剥いて仰向けに倒れた。
色を失っていくのを見て、俺はゆっくりと息を吐き出す。
そのサルが手に持っていた棍棒が残されていたが、俺はそれを無視した。
棍棒よりも、石斧のほうが威力はある。
ナップサックにもまだ棍棒はあるし、持ち切れない手荷物を増やすことはない。
「……ふぅ」
目に入る血を拭って、俺はまた歩き出す。
山頂はもう近いはずだ。
ストーリークエストの開始条件はまだ満たしていない。
けれど、そこに辿り着けばきっと、何かしら起きることだろう。




