二日目・朝 文明が消えた場所
朝日に包まれる山麓が、崩壊した街に大きな影を落とす。
樹木に飲み込まれた家屋、洞の中から見える屋根。
風にそよぐ木の葉が、かつて賑わせたあの日の登山客のように、廃墟の麓にざわめいている。
見上げるその駅は、それを飲み込む巨大な枝葉に貫かれていて、その姿を保っていない。
それが駅だと判別できたのは、目印にして進んできた線路がそこで途切れていたのと、〝高尾山口〟と書かれた文字が辛うじて残っていたからだ。
緑に覆われた廃墟の街が、植物に侵略を受けていると表現するならば。
高尾山の麓であるこの場所は、植物に侵略を受けて飲み込まれてしまったと表現するしかないだろう。
見渡す限りの緑の群生。
文明の息遣いはすでに途絶えて消え去った場所。
終末を待つ黄昏ではなく、全ての文明が落陽し終えた暗闇がここには広がっていた。
「…………」
視線を下に向ける。
至る所から顔を出した樹木の根によって、剥がれたアスファルトは土の地面へと変わっている。
それは高尾山へ向けて続くかつての舗装路が、もはや存在していないことを示していた。
「【地図】」
スキルを発動して、スマホ画面で確認する。
……やっぱりだ。
ここから先、道を示す白い線は存在していない。
ただただ深い樹海が存在していることを示す、緑の絨毯が広がっていることをスマホ画面は教えてくれていた。
【気配感知】で高尾山の樹海に生息するモンスターを確認してみるが、緑の中に赤い点が浮かぶだけで、どこに存在しているのかが分かりにくい。
【地図】と【気配感知】によるモンスターの居場所を判別するこのやり方は、道がある場所では便利だが、こういった場所では役に立たないようだ。
なにせ、【地図】で表示されるスマホの地図は二次元地図だ。
道を示す白い線と、建物を示す灰色、森や緑の多い場所は緑色、水がある場所は青に色分けされただけの、簡素なもの。
この【地図】画面だけでは、山岳の高低差などは分からない。
【地図】と【気配感知】のこの使い方でも、モンスターの居場所はおおよそ分かるだろうが、モンスターへ接敵したと思ったらそのモンスターが実は数十メートル上の場所に居たモンスターを示す赤い点だった……なんてことになるだろう。
【地図】上は同じ場所に居たとしても、接敵することが出来なければ意味がない。
俺は早々に【地図】の発動をやめて、【気配感知】だけを発動させた。
二次元地図で把握するよりも、目に見える光球で居場所を見た方が早いと判断したからだ。
「ストーリークエストは開始していない。……と、なると。開始条件は、ボスに出会うところからか」
一周目で受けたストーリークエストを思い出す。
『放浪する小鬼』の開始条件は、ボスであるホブゴブリンとの接敵。
『極夜の街』の開始条件は、新宿という土地で夜を迎えること。
『緑の古王』はクエストの受信と同時に開始条件を満たしていたから、その条件は分からないが……。
「ひとまず、ボスと出会うところからだな」
開始条件は分からないが、クエストを完了させるためにボス討伐することになるのだ。
であれば、うだうだ考えずに進むしかない。
「まずは、山に入るところからだな」
言って、樹海へと足を踏み出す。
視界を遮る枝葉をへし折り、足元の草葉を踏みしめる。
道を切り開きながら進んでいると、やがて蔦と草木に覆われた朽ちた建物のような瓦礫が目に入った。
「……なんだ?」
小首を傾げて、それに近づく。
すると、その瓦礫の奥に蔦と苔生した物体が鎮座していることに気が付いた。
よくよく観察してみると、その物体はケーブルカーの車体のようだ。
以前は観光客やライトな登山客を乗せて稼働していたものだが、今となってはただ静かに朽ちるのを待っているだけに見える。
「ん?」
ふと、それが目に入る。
瓦礫に隠れるようにして地面に転がっていたのは、錆が浮いた黒い綱のようなものだった。
手に取ってみると、それはケーブルカーを運んでいた鋼索だったことに気付く。
全体的に腐食が進んでいるが、瓦礫のおかげで雨露が避けられたのか腐食の進行が遅い。
「どのくらいの長さがあるんだろ」
言って、地面に転がっていた鋼索を手繰り寄せてみる。
腐食によってすぐに千切れたが、それでも使えそうな部位はおおよそ二メートルほどもあった。
「使えるとすれば、鞭のような使い方かな」
その鋼索を巻き取って手に持つ。
本来なら振り回すのも難しい代物だろうが、上昇したSTRの前では造作もないことだ。
練習がてら一度振り回してみると、中々に使い勝手が良さそうだった。
再び鋼索を巻き取り、ベルトに括りつけようとして気が付く。
「……持っていきたいけど、もう持てないな」
ベルトに蔦を使って括りつけられた棍棒が四本。ナップサックに三本。手持ちで一本。合計八本の棍棒だ。一周目の時のように、バックパックならばまだ入っただろうが、ナップサックでは容量が少ない。
鋼索を持っていくならば、せめて手に持つ棍棒を捨てなければならないだろう。
「うーん……」
近接主体で戦う俺にとって、棍棒のような手持ちの武器は捨てがたい。
耐久もないから一撃で砕けるだろうが、それでも一撃は確実に重たいダメージを与えることが出来るのだ。
鞭による中距離か、棍棒による使い捨ての一撃か。
どちらにするべきか悩んで、ふと妙案が浮かぶ。
「――そうだ」
俺は、手に持っていた棍棒の先端に鋼索を結び付けることにした。
本来ならば結び付けることなど出来ない代物だが、100を超えたSTRは鋼索をまるでビニール紐のように捻じ曲げ、締め付ける。
二重、三重にしっかりと結び付けて、俺は棍棒と鋼索を合わせた鞭を見た。
「……見た目は悪いけど。まあ、いいか」
これで使い勝手が悪ければ解体して別々にするか、棍棒へと巻き付けて耐久と威力を上げることにしよう。
「これと、棍棒がメイン武器か……。刀剣類の武器が欲しい……」
切実に、俺はその言葉を漏らす。
俺の記憶では扱い始めて数日の武器だが、異常なほどしっくりと手に馴染む武器だった。
おそらくだが、何度も繰り返すこの世界の中で、俺が幾度となく扱ってきた武器だったのだろう。
「この山のどこかに台座があって、突き刺さってないかな」
もしあるとすれば、それを選定の剣と呼ぼう。
もしくは、魔を退ける剣と呼んでもいい。
そんなくだらないことを考えながら、俺は小さなため息を吐き出す。
「さて、と」
気を取り直すように呟く。
それから、俺はその場所を見上げる。
ケーブルカーがあったということは、この先はストーリークエストの場所である高尾山だ。
ここから先は、何が起きてもおかしくない。
足を踏み入れた瞬間に、ボスとエンカウントする可能性だってあるのだ。
平地と違って、山の斜面で戦うとなればいつも以上の苦戦となるだろう。
「……それでも、俺は勝つ」
固い決意の言葉を、俺は吐き出した。
どんな絶望が待ち受けようが、どんな強敵がそこに居ようが、俺はその全てを打ち砕く。
その全てを否定し、このクエストを終わらせる。
そのためだけに、二周目のユウマという人間は、この世界に存在している。
「行くぞ」
誰にともなく俺はそう呟いた。
周囲を見渡し、長い間放置された登山道が閉ざされていることを確認する。
少しだけ歩くと、山の中へと入れそうな場所を見つけた。
生い茂る草木をへし折りながら、山の中へと足を踏み入れる。
足を踏み出すごとに草木は密度を増して、やがて藪へと変わった。
平地は斜面へとなって、土の地面は腐葉土へと変化していく。
「……ふぅ」
高尾山に足を踏み入れて間もないのに、思わず息が漏れた。
じんわりと額に汗が浮かぶ。
汗を吸い取ったシャツが、べったりと背中に張り付いてくる。
腐葉土となった地面が柔らかく、足を踏み出す度に深く沈み込んでは俺の足へと纏わりついてくるのが煩わしい。
進めば進むほど、行く手を遮るように枝を伸ばしてくる草木が非常に邪魔だった。
――装備もなしに挑む、ガチの登山じゃねぇか。
そんなことを考えて、いち早くこの場所のクエストを終わらせようと気持ちが急いたその時だった。
「っ、と……」
踏みしめた腐葉土に足を取られて、身体が傾いだ。
斜面を滑り落ちそうになるのを、周囲の草木を咄嗟に掴んで防ぐ。
「――あっ、ぶねぇ」
滑落を免れて、安堵の息を吐き出した。
登り始めて間もないとは言え、このまま滑落していれば下まで落ちていただろう。
ステータスの影響で即死はない……と、思うが流石に頭を打ち付けたり身体の急所に物が当たったりすればタダでは済まない。
ゆっくりと体勢を整えて、今度は滑落しないようにと気を付けて足を踏み出したその時だ。
「っ!」
【気配感知】に、一つの気配が反応する。
慌てて目を向けると、斜面の先から一つの光球が俺へと向けて近づいてくるのが見えた。
「……新種のモンスターか?」
周囲へと目を向けて、太い樹木を見つける。
その樹木へと近づき、その幹を背後にして俺は立つ。
「…………」
ジッと、その光球へと目を向ける。
光球は徐々に近づき、やがて藪の中からその姿を俺の前へと現した。
「ッ、鹿かッ!!」
茶色の毛皮と、細いながらも強靭な四つ足。その体長は二メートルほどと一般の鹿と変わりないが、頭上に左右へと伸びた角の先端は刃が磨かれたように鋭利で、その角に当たった草木の枝がスッパリと切断されていた。
「マジ、かよッ!」
山の斜面を平地であるかのように、その剣の刃のような角を持つ鹿は、俺へと向けて真っすぐに駆け降りてくる。
俺は咄嗟にその場から逃げようと、横っ飛びをした。
――だが、俺のステータスに地面の腐葉土が耐えられなかった。
力を込めると同時に、足元の腐葉土はまるで土砂が崩れるように。その表面をボロボロと崩したのだ。
「なっ!?」
体勢が崩れて、俺は地面に転がる。
その背後を、刃の角を持つ鹿が駆け抜けた。
「くっ」
滑落を防ぐために、慌てて地面へと手を付く。
だがそれだけでは勢いを殺すことが出来ず、俺は勢いよく滑り落ちてしまう。
「ッ!?」
背後を振り返ると、眼前には大木の幹が迫っていた。
「っ、ォオオッ!」
左手に持っていた手製の鞭を振るう。
先端の鋼索が傍の樹木の枝に巻き付き、滑り落ちる勢いを殺した。
勢いが殺されるのと同時に、俺は大木へとぶつかってようやく滑落を免れる。
「っ、どこだ!?」
慌てて周囲へと目を向ける。
すると、斜面の下で方向を変えたその鹿が、また俺へと向けて斜面を駆けあがってくるのを見つけた。
「何度も、同じ手を食らうかよッ!」
言葉を吐き捨て、俺は腰のベルトから棍棒を一本引き抜く。
突進してくる相手に合わせて、俺はその右手に持った棍棒を上段から全力で振り下ろした――。




