一日目・夜 交わらない道
夜色の空が世界を覆う。
春先の冷たい風が俺の頬を撫でて、消えていく。
肌寒さに両手をポケットに突っ込んで、俺は相変わらず半壊したブロック塀から少女を眺めていた。
あれから、数時間が経過した。
俺が倒したゴブリンやコボルドの数も、三十を超えようとしていた。
少女は未だ動く気配がない。
ただジッと俯いて、このクソゲーに打ちひしがれ続けている。
――唐突に世界が変化して。
それを、何の違和感もなく受け入れることが出来る人が、いったいどれほどいるのだろうか。
少なくとも僅かながらに動揺し、困惑し、この現実を〝ありえない〟と一度は否定する。
少女のように、いつまでも悲嘆に暮れる人間は、本来ならば生き残れるはずがない。
――本来ならば。
(……俺、何してんだろうな)
何もかも余裕のない二周目なのに。
絶対に、このクソゲーを終わらせなければならないのに。
あの少女が立ち直るのを、ただただジッと、話かけることなく見守っている。
(……見守るだけなら、話しかければいいのに)
自分自身にツッコミを入れて、ため息を吐き出す。
この数時間、折を見て何度も少女の元へと近づき話しかけようとした。
けれど、足を踏み出そうとすればするほど。
今の俺が、この少女とは絶対に出会ってはいけないような、そんな気がしてしまうのだ。
それは、【直観】による予感。
二周目の俺と、この少女は出会うことを許されていない、と。
そんな、気がしてしまう。
俺は、ただジッと陰から少女を見守り続ける。
それから、さらにしばらくして。
倒したモンスターの数が五十に迫ろうとした頃、その少女はようやく立ち上がった。
(……あ)
と、俺は少女の動きを見守る。
少女は、瓦礫になったその家屋に向けて、これまでに流さなかった涙を一筋流すと、手の甲で目尻を拭った。
固く、固く少女が唇を噛みしめる。
そして、何かを決意したようなその顔で、少女はゆっくりと――だが、確実に。
この世界への一歩を踏み出した。
その背中にある発光する翼が、闇に包まれたその世界で少女の姿を照らす。
それはまるで、少女が自らの存在を主張するように。
この世界にいる誰かに向けて、〝私はここにいる〟と言っているかのように。
少女は、その存在を主張する翼と共に、住宅街の中へと消えていく。
俺は、少女のその後ろ姿を見送って、ゆるゆるとため息を吐きだした。
「……何、やってたんだろうな」
自嘲の笑みを浮かべる。
結局、自分が何をしたかったのか分からない。
けれど、俺の心にはスッとした感情が残っている。
心に残った後悔や懺悔が、この行動でほんの少しだけ薄れたような気がした。
少女と別れてから、モンスターを求めて立川の街をうろつく。
何匹かのゴブリンを狩って、新たなモンスターを求めて【地図】と【気配感知】を発動させたスマホの画面を見ながら彷徨っていると、その場所に気が付いた。
「……どうしようか」
少しだけ逡巡をして、俺はその場所へと足を向けた。
【地図】を確認しながら、都道153号線を進む。
すると、目の前に大きな〝森〟が出現する。
一度立ち止まり、スマホの画面を確認してみる。
【地図】と【気配感知】によって、スマホの画面にはその森の中にいくつかの道が伸びていることと、その中に蔓延る夥しい数の赤い点が存在していることを示していた。
その赤い点は、二周目で足を踏み入れた街のどこよりも多い。
おそらく、この森はモンスターの巣なのだろう。
ポケットの中の小石を数えて、俺は唾を飲む。
「……行くか」
そのモンスター群が、経験値が豊富である保証はどこにもない。
だが、この数時間で得るはずだった経験値を取り戻すには、この巣へと飛び込んでモンスターを狩り続けるのが一番だろう。
「あっちに、入り口っぽい道があるな」
【地図】上で確認したその入り口へと向けて、都道153号線を道沿いに歩く。
やがて、その入り口にたどり着いた俺は、そこにあった朽ちた看板に気が付いた。
「国営、――――公園」
掠れた文字を読み上げる。
どうやら、かつてここは公園だったようだ。
中を覗き込むと、深い森の中には一周目で立ち入った江戸城跡地のように、かつて舗装されていたアスファルトが伸びているのが見えた。
江戸城跡と違うのは、そのアスファルトがまだはっきりと形が残っていることだろうか。
この道ならば、跳弾も使えそうだ。
しばらく、道なりに進むと苔と蔦、草木に覆われた入退場ゲートが見えてきた。
そのゲートを抜けると、正面に大きな湖が広がる場所へと出る。
「……! 水だッ!!」
その光景を見て、俺は思わず駆け出した。
思いがけず見つけた水場に心が躍る。
――これで、ようやく水事情が解決する!
そう、思いながら足を進めていた俺は、やがてゆっくりとその足を止めた。
「…………マジかよ」
思わず、その光景に声が出た。
正面に広がるその湖は、確かに水を湛えていた。
だが、それは水を湛えていただけ。
その表面を覆い尽くす水草は分厚く、水中への酸素供給を遮断している。
長い間放置されていたその湖は、汚泥が沈んで綺麗とは程遠い。
これでは飲み水として使うことは出来ないだろう。
「飲むとすれば、本当に、どうしようもなくなった時、ぐらいだろうな」
そして、その時は腹を下すことを覚悟しなければならない。
腹を下さなくなるスキルがあればいいのに。
なんて、そんなしょうもないことを考えていたその時だ。
――チリッとした気配が俺の産毛を震わせた。
慌てて、周囲へと目を向ける。
すると、そのモンスターの姿が目に入る。
舗装された通路の奥から、俺へと向けて歩いてくるその姿。
成人男性ほどの体格に、緑の肌。濁った黄色い目が俺を見据えて、その口から涎と共に紫色の舌をだらりと垂らす。
「ホブ、ゴブリン」
俺は、その姿に呟く。
そのモンスターはかつて。
吉祥寺のあの街で、俺が倒したストーリークエストのボスモンスター。
そして今は、この公園の中で繁殖し数を増やした雑魚モンスターだった。
「げぎゃぎゃ」
「ぐぎぎ、げぎゃ」
「ごぎゃぎゃぎゃ」
次々と、ホブゴブリンが姿を現した。
その数は、十匹。
そのほかに、ただのゴブリンも数匹ほど混ざっているが関係ない。
「――いいね」
ニヤリと、俺は笑う。
「お前らなら、多少は経験値の糧になりそうだ」
俺は、そう言ってポケットへと手を突っ込んだ。
跳弾用の小石を取り出し、現れたホブゴブリン達に目を向ける。
「お前らほどの強さなら、この辺りのプレイヤーのストーリークエストのモンスターとして選ばれるかもな」
言いながら、俺は【空間識強化】で周囲の空間を完璧に把握する。
大きく振りかぶって、俺は狙い定めたその場所へと向けて全力で投げつけた。
「――まあ、ストーリークエストが始まるまでに生き残っていれば、だけどッ!!」
風切る小石が地面に跳ねて、前に進んでいたホブゴブリンの頭を貫いた。
白目を剥いて倒れていくホブゴブリンを確認して、俺は次の小石をポケットから取り出す。
「――さあ、て。ホブゴブリン狩りだ」
この場所に潜むホブゴブリン。
その全てを、俺の経験値へと変える。
跳弾で倒れたのを見る限り、ホブゴブリンは俺のレベル帯よりも低いモンスターだ。
適正レベルの関係で、経験値の旨味は以前のようにはないのかも知れないが、俺には【曙光】がある。
コボルドやゴブリンよりも、はるかに経験値が美味いのは間違いない。
――ようやく見つけた稼ぎ場だ。
ここで、出来る限りのレベリングに励むこととしよう。




