一日目・昼 聴覚強化
それから、太陽が中天から少しだけ西に傾いて。
この街――どうやら八王子市を抜けて昭島市に足を踏み入れていたらしい――の廃墟を手あたり次第に調べ終えた俺は、元はコンビニだったのであろう廃墟の中で腰を落ち着かせながら、探索の成果を眺めていた。
「……跳弾用の丸い小石が十五個、朽ちた包丁が一個、じゃがいも? に、空のペットボトルか」
床に並べたそれらを見て、唸る。
結果だけを見れば大収穫ともいえる。
だが、時間効率で考えれば微妙なものだ。
もう少しまともな成果を期待していたのだが、やはりと言うべきかこの世界ではまず物が見つからない。
この包丁を見つけたのも、幾度となく行った探索の終盤。元は飲食店だったのか、廃墟となった建物の厨房らしき場所に落ちていたものだ。ステンレス製だが、放置された長い年月の間に錆が浮いて腐食が進んでいる。だが、使えないこともない。
……問題は、この包丁が俺のステータスに耐え切れるかどうかだ。
「空のペットボトルを手に入れることが出来たのも、良かったな」
と俺は呟く。
おそらく、この街でゲームを開始したプレイヤーの物だろう。
チュートリアルを終えて、報酬の水を取り出したまでは良いが、飲んでいる途中でモンスターに襲われて逃げたのか、ペットボトルは地面に転がったまま忘れ去られていた。
「そして、このじゃがいものような何か、だが」
とある民家の庭先に自生していた草花。
【直観】を信じて、その下を掘り返したら出てきたものだ。
見た目はよく知るじゃがいもそのものだが、それが大きい。その大きさで言えば、俺の拳ほどもある。触ってみれば固く、ごつごつとしたその見た目からすれば、じゃがいもによく似た岩だと言われれば簡単に信じてしまうだろう。
「そもそも、コレは食べられるのか?」
ひとまず、いくつか掘り起こして持ってきたが、よくよく考えればこれが食べられる保証はどこにもなかった。
……生は無理でも焼けば食べられそうな気もする。
もちろん、焼く道具があればの話だ。
「コレを食うのは、最終手段だな」
言って、俺は岩のようなじゃがいもをナップサックへと入れた。
代わりに、水と乾パンの缶詰を取り出して、朝食と昼食を兼ねた食事を摂ることにする。
「…………」
食料と水事情が解決していない今、一日一食――いや、それ以下にまで絞らないと厳しいだろう。
乾パンの缶詰を開けて、数個を口に運ぶ。
それを飲み込んで、少量の水で喉を潤してから俺は食事を終えた。
「厳しいな」
食事は何とかなるにしても、水はどうにもならない。
記憶が正しければ、人が水なしで生きられる日にちは四日か五日が限度だという。
であれば、水なしで実質活動できるのは三日か四日。それ以上は、意識が混濁しまともに動くこともままならないだろう。
「最初の報酬が、食料や水ならいいけど」
呟いて、俺は乾パンの缶詰の蓋を戻してから、水と共にナップサックへと仕舞う。
それからスマホ上の画面で【地図】と【気配感知】でモンスターの位置確認を行ってから、ステータス画面を開く。
「……ん?」
ふと、スキル欄に新しいスキルが表示されていることに気が付く。
【聴覚強化】と書かれたそのスキルの名前をタップして、すぐにその説明文へと目を通した。
≫【聴覚強化】
≫五感覚のうち、聴覚への情報に飢えた者の証。
≫このスキルの所持者は、聴覚による情報取得が大幅に向上される。
シンプルな文章だった。
だが、その効果と取得した条件がすぐに分かる。
(……多分、一周目の俺が【曙光】を獲得するのかどうか、【集中強化】を使って探っていたからだな。目を閉じて、全神経を集中させていたから取得したのか)
ただ目を閉じて耳を澄ませただけでは獲得出来なかっただろう。
【集中強化】という、限界を超えた集中力を駆使して耳を澄ませた結果、このスキルを取得する条件を満たしたに違いない。
「今のLUKも100を超えてるし、スキル取得の確率も以前に比べれば結構上がってるかもな」
どのくらい上昇しているのかは分からないが、一周目はスキルを獲得するのも容易ではなかった。
そう考えると、レベルやステータスを引き継いだ二周目というこの状況では、多くのスキルを獲得出来そうな気がしてくる。
「【聴覚強化】」
俺は、さっそくそのスキルを発動させた。
同時に、ステータス画面でMPの変動をチェックする。
「…………」
ジッと耳を澄ますと、俺の耳に様々な音が届き始める。
風に揺られて木の葉が擦れる音、舞い上がる砂埃、その位置と荷重に耐えきれなくなったのかガラリと音を出して崩れる瓦礫。
離れた場所にいるコボルドナイトの息遣いと、その鼓動。動きに合わせて衣擦れする皮の鎧。踏み出す足が鳴らす土の音が、まるですぐそばにいるかのように聞こえる。
しばらくの間、俺は耳を澄ましてから小さく頷いた。
【聴覚強化】の効果は、至極単純だ。
周囲の音――それが、どんなに細かく小さな音でも拾うことが出来る。
【地図】と【気配感知】から察するに、その効果範囲は300メートルといったところか。
MPは消費しないようで、【視覚強化】と同じく持続発動が可能なスキルだった。
「索敵と探索向けだな」
と俺は結論を下す。
索敵に関しては【気配感知】があるので、あまり必要ない。
使う場面があるとすれば、その感知した気配が何者なのかを探ることぐらいだろうか。
【聴覚強化】の使用中に、大きな音が出ればその音が拡大されて爆音で拾いそうだ。
そんなことを思いながら、俺は【聴覚強化】の発動を切ろうとしたその時。
ふいに、二つの気配が俺の感知に引っかかった。
「なんだ?」
その気配に意識を向ける。
【気配感知】の範囲は500メートルだ。
今、引っかかったということは、この気配は移動してきているということ。
その証拠に、目を凝らすと気配を示す光球が街の中を動いているのが分かる。
「コボルドナイト、か?」
……いや、それはないだろう。
これがモンスターだとすれば、光球の動きがおかしい。
ふよふよと漂いながら動くその様子は、明らかに何かから逃げている者の動きだ。
――やがて。
その気配は徐々に俺の方へと近づいて、【聴覚強化】の範囲に入る。
すると、すぐにその気配の音が耳に届き始めた。
「――ヤバい。ヤバいヤバいって! 何なんだよアイツは!?」
ドタドタと走る音と、荒い呼吸。早鐘のように響く心臓に、焦りを含んだ男の声。
それに対して、男と同じように心臓をバクバクと打ち鳴らせた女の声が聞こえる。
「知らないわよッ! それよりも、もっと速く走って! じゃないと、アイツから逃げられないっ」
「これでもッ、全力だよッ!!」
「それで全力!? いくら何でも遅すぎでしょ!」
「うるせぇッ!! あー、くっそ!! こんなに走ることがあるなら、タバコなんてあの時にやめときゃ良かったッ!」
……どうやら、男女二人組のプレイヤーのようだ。
女は軽快に走っているのに対して、男の足取りは重たい。
その差は単純な身体能力の差というよりも、ステータスによるものが大きいのだろう。
トワイライト・ワールドは、選択した種族に応じて初期ステータスが異なる。
男の動きが悪いのは、きっと俺の『人間』のような、初期ステータスが低い種族を選択したからだろう。
彼らの会話を聞くに、何かから逃げているように感じた。
一体、何から?
俺の【気配感知】には、何も引っかかっていない。
だが、背後に迫る恐怖を確信し、必死で逃げる彼らはさらに言葉を重ねた。
「も、もう駄目だ……。限界ッ……」
「はぁ!? ちょっと、マジで言ってんの!?」
「マジだよッ。ちょ、ちょっと休もうぜ。流石にもう、走れない……」
「……はぁ。まあ、結構逃げてきたからね。流石に、ここまでは追ってこない――――」
女の声は、そこで途切れた。
同時に、俺の【気配感知】にもその気配が引っかかる。
彼らの遥か後方。
そこに存在する、コボルドナイトとはまた違う気配。
圧倒的なその気配は、彼らへと濃厚な死を届けるように、ゆっくりと、だが確実に彼らとの距離を詰めてきている。
「き、来た来た来た来た来た来たッッ!! やっぱり、追ってきてるって!!」
女の声が恐怖で震える。
「やっぱり、アイツは私達を逃がすつもりがないんだッ!!」
「逃がすつもりがないって、なんでだよッ!!」
「知らないわよッ!! 元はといえば、アンタがあの場所に近づこうとしたからでしょ!? こんなことになったのも、アンタのせいじゃない!!」
「はぁ!? お前だって、賛成したじゃねぇか!!」
恐怖に駆られた怒り。
責任のなすりつけ合いを始めたその男女に、ゆっくりとその気配が近づいていく。
「「ひっ――」」
二人が、同時に息を飲んだ。
それから、すぐに女の声が耳に届く。
「……わ、私ッ、知らないから。あんたがどうにかしてよッ!!」
言って、その女が走り出す音が聞こえた。
「ちょッ、ちょっと待てよ、おいッッ!!」
その後ろ姿に向けたものなのか、男が声を荒げる。
だが、その男の声に立ち止まる様子もなく。
女の足音は遠ざかっていき、すぐに俺の【聴覚強化】の範囲から消えた。
(……どうする。助けるか?)
残された男の、恐怖に駆られた心臓の鼓動の音を聞きながら、俺は考える。
俺の中にいる『人間』が反応をしているのか、意識が残された彼を助けるべく向く。
だが、その意識を無理に抑え込んで。
俺は冷静に状況を判断する。
(……ここで、俺が助けるメリットは薄い。男に迫ってるあの気配が何者なのか分からないが、俺が出れば助けることは出来るだろう。だが、問題はその後だ。この初日で、難なくモンスターを圧倒しているプレイヤーがいれば、きっと。俺は、怪しまれる)
怪しまれるだけならば、まだいい。
問題は、依存された時だ。
――コイツに付いていけば、生き残れるかもしれない。
そう思われたら厄介だ。
二周目の現状、俺には余裕がない。
ここが一周目を辿るA世界であるのなら、俺には時間が限られている。
そんな中で、誰かを助けその上で一緒に行動していく余裕なんて、今の俺には…………ない。
男へと迫る気配が濃くなる。
その気配の正体を目視したのか、男がもう一度息を飲んで、身体を震わせたのが分かった。
「に、ににに、逃げないと…………」
言って、続くドサリと何かが倒れる音。
それが、男の腰が抜けた音だとすぐに分かった。
「……誰か」
男が呟く。
恐怖に震わせながら、目の前に迫る確定した死の気配にカタカタと奥歯を打ち鳴らす。
「……誰でもいいッ」
そして、男は呟く。
俺にとって、呪いとも言えるその言葉を。
今、この現状に置いて聞きたくもなかったその言葉を呟く。
「た、助けてくれッ!!」
――――ピクリ、と。
身体が反応して動いた。
「ッ、ふー……」
俺は、無意識で反応する身体を抑えつけるように、深く息を吐き出す。
奥歯を噛みしめて、必死にその誘惑に抗う。
――あのプレイヤーを助けなければならない。
そんな言葉が、俺の中から聞こえてくる。
「黙って、ろッ!! そんな、余裕……。今の俺にッ、ねぇ、んだよッ!!」
俺は自らの中に居座るソイツに向けて、そう言い放つ。
【聴覚強化】によって、強化された耳が男の恐怖の音を拾う。
命を請いながら、抜けた腰で必死に立ち上がろうとする音を伝えてくる。
恐怖に震える身体を、これまで以上に激しくその存在を主張する鼓動の音を、浅く繰り返される呼吸を、俺に教えてくる。
「ッ、【聴覚強化】解除ッッッ!!」
俺は、唇を噛みしめながらスキルの発動を切った。
これ以上、あの恐怖を耳にすれば自分を抑えつけられる自信が無かった。
――だが、それでも。
【聴覚強化】を切ったところで、聴覚そのものを失くしたわけじゃない。
一瞬の間が空いて。
静まり返った終末の世界に、男の悲鳴と絶叫が轟いた。
「――――――」
【気配感知】によって感知していた気配の一つが消える。
その結果が、どういう意味を示すのか。
俺は、考えることなくすぐに理解した。
――君のせいで、一つの命が消えた。
そんな言葉が耳に聞こえてくるかのようだった。
「黙れッ!」
俺は言葉を吐き出し、耳を覆う。
俺は、俺は悪くないッ。
ただ、何もしなかっただけだ。
それなのに、どうして俺が責められるッ!?
――いいや。君のせいだよ。力があるのに、何もしなかった。救える命を、君は見捨てた。
声のない言葉が、俺を責める。
その言葉に、俺は強く唇を噛みしめる。
「ふー…………」
ダメだ。落ち着け。
『人間』の言葉に耳を貸すな。
あの場では、あれがベストな選択だった。
救える命には限りがあると、俺は一周目で学んだじゃないかッ!!
何度か深呼吸を繰り返すと、種族の声が落ち着き始める。
俺はゆっくりと息を吐いて、すぐにこの場から離れようと立ち上がった。
――その咆哮が聞こえたのは、その瞬間だった。
「ガアァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
【聴覚強化】を使用しなくても、はっきりと聞こえる獣の声。
同時に、息絶えた男へと迫っていたあの気配が、一回りほどその気配を大きくする。
それが、何の声で。
何が起きているのかを、俺はすぐに理解した。
「――まさか。あのモンスター……。プレイヤーを殺したことで、強化されたのか!?」
かつてのデスグリズリーのように。
戦闘の繰り返しとプレイヤー殺しによるモンスターの強化。
それが、たった今行われた。
【気配感知】で引っかかる気配は、まだデスグリズリーほど強大とは言えない。
だが、それでも。
たった一人のプレイヤーを殺したことで、あのモンスターは強化された。
(あの男以外のプレイヤーを殺してたのか!? まだ、初日だぞ! これでアイツが暴れて、プレイヤーを殺しまくったら……)
その結果を想像して、背筋が凍る。
今はまだいい。
俺一人でも倒せる強さだ。
だが、デスグリズリー級となれば、今の俺は絶対に一人では勝てない。勝つことが出来ないッ!
「……だったら、今、やるしかない」
言って、俺は腹を括る。
たった今、生まれた絶望の芽を摘み取るために。
その芽が育ち切る前に、俺はあのモンスターを殺すことに決めた。




