六日目・?? そんな、気がした。
クロエが腰を落とす。
それが攻撃に移る予備動作だとすぐに分かった。
「クロエッ!」
と俺は彼女の名前を呼んだ。
だが、彼女はその呼びかけには答えず、一気にその力を解き放つ。
――姿が消えた。
そう思った次の瞬間、俺の腹に深々と彼女の拳が突き刺さる。
「ぐふっ!」
メキメキと骨が潰され、内臓が潰れて口から血が溢れる。
衝撃は身体を突き抜けて、俺を吹き飛ばす。
吹き飛ばされた身体は勢いよく壁にぶつかり、凄まじい音を響かせて壁をヒビ割った。
「がっ、は――」
肺から空気が抜けて、口腔内に溜まった血と共に口から吐き出される。
激痛が身体中に走り、一瞬で意識が飛び掛ける。
「やめて! やめてェエエエエエエッッ!!」
ミコトの悲鳴が聞こえた。
俺は唇を噛みしめながら、薄れる意識を必死で繋ぐ。
……なんだ、この威力は。
東京駅の地下で、一度手合わせした時とは比べ物にならない。
おそらく、直前に久瀬の手によって強制的に取得したスキルの影響だろう。
【不死者】、【真祖】、【身体強化】、【闇夜を統べる者】…………。
それら新しく獲得したスキルが、クロエのステータスを大幅に強化している。
「ッ!」
膨れ上がる気配に身体が反応する。
視線を上げると、クロエが追撃を仕掛けるように俺へと蹴りを放つところだった。
「……ッ!」
慌てて、身体をずらしてその蹴りから俺は逃れる。
寸前にまで頭があった場所にクロエの蹴りが突き刺さり、壁が砕けて破片が舞った。
「クロエッ!! やめろ!!」
俺は必死で呼び掛ける。
だが、その声に彼女は口元で嗤って答えると、短く、
「【身体変化】」
と呟いてその身体を成長させた。
そのまま、クロエはくるりと反転して腕を振るう。
リーチの伸びた彼女の裏拳が俺の眼前に迫る。
――避けられない。
そう思ったその時、ミコトの叫びが響いた。
「――【遅延】ッ!! 3秒ッッ!!」
瞬間的にクロエの拳が遅くなる。
俺はその拳を掻い潜り、必死でその場から逃げ出す。
きっちり三秒後、俺の背後から壁を打ち砕く轟音が響いた。
それが、彼女の放つ必殺の一撃だとすぐに分かった。
「――――ッッ」
固く、固く唇を噛みしめる。
どうして。
どうして俺たちは戦い合っている?
つい先ほどまで一緒に居て、会話を交わしていたはずなのに。
ほんの数時間前までは、絶望を乗り越えてお互いの無事に安堵し、笑い合っていたはずなのにッ!
――どうして。
――――どうして、こんなことになっている?
全ての謎を解き明かそうと。
この世界の真実を知ろうとしたことが間違いだったのか。
そのために、クゼと呼ばれたあの男の元を訪ねたことが全て悪かったのか。
いや、それとも……。
俺が、あの男の嘘を見破ってしまったことが、全ての始まりだったのかもしれない。
「目障りなスキルね」
とクロエが呟く声が聞こえた。
瞬間。その意識が俺ではなく、ミコトへと向けられたのがすぐに分かった。
「……ダメだ」
クロエ。ミコトは俺よりもステータスが低いんだぞ? それはお前も知ってるじゃないか。
「やめろ」
今の俺の一撃を受けたら、ミコトはあっという間に瀕死だ。……いや、下手をすればそれで死ぬかもしれない。
「クロエッ!」
クロエが深紅に染まった瞳を、ミコトへと向ける。
その目には、はっきりとした敵意が浮かんでいる。
「やめろぉおおおおおおおおおッッ!!」
俺は叫んで、地面を蹴る。
身体の痛みを無視して、ミコトの元へと駆け寄る。
それに気が付いたクロエが、両足に力を入れるかのように腰を落とす。
――このままでは間に合わない。
このままでは、彼女が、ミコトを殺してしまう!
それだけは……。
それだけは絶対に避けなければいけないッ。
「【雷走】ッッ!! 【瞬間筋力増大】!! 【集中強化】ぁああああああッ!!」
持ちうる戦闘系のスキルの全てを出し切って、俺は地面を蹴り飛ばす。
限界を超えた筋肉が脚力を増して、【雷走】がAGIを上昇させる。スキルにより強制的に限界を超えた集中力が、俺を時間感覚が引き延ばされたあの世界へと連れ出す。
クロエが地面を蹴った。
【集中強化】や【視覚強化】、【雷走】を用いてもなお〝速い〟と感じる彼女のその動きに、俺は唇を噛みしめる。
速く。速く、速くッ!
もっと速く動かないと!!
このままじゃ最悪の未来が待つだけだ!!
「ぁあああああああああッッ!」
叫び、さらに両足に力を込める。
筋肉が切れて、骨にヒビが入るかのような音が聞こえた。
激痛で動きを止めそうになるが、それを必死で抑え込みさらに力を込める。
身体が、本能が、それ以上はやめておけと制止をかけてくる。
……だが、それでも構いやしない。
ここで臆すれば、俺はきっとこの瞬間を一生悔やみ続ける。
久瀬が言うこの世界が箱庭で、いくら全てが巻き戻るやり直しが起きる世界だったとしても。
今、この瞬間だけは。紛れもない現実なのだ。
――だったら、藻掻け。
この悪夢に。この絶望に。全身全霊で抗えッ!!
この世界の俺が、きっと何度もそうしてきたように!
今この瞬間の俺が、ここで諦めるわけにはいかないんだッ!!
「間に合えぇえええええええええええええええええッッッ!!」
声を張り上げ、俺は駆ける。
ミコトの視線が俺に向く。
クロエがミコトに向けて蹴りを放つ。
――だが、それよりも速く。
俺は、ミコトとクロエの間に身体を滑り込ませて、その蹴りを両腕で受け止めた。
凄まじい衝撃と共に、俺の身体ごと地面が砕かれる。
「がッ…………」
意識が、一瞬飛んだ。
ハッと意識を戻すと、クロエが追撃の拳を振り上げたところだった。
「くっ!」
慌てて、防御体勢を取る。
だがその次の瞬間。ミコトの言葉が響いた。
「【遅延】ッ、五秒!」
その言葉に、クロエの動きが鈍った。
俺とクロエ、二人の目が共に大きく見開かれる。
俺はすぐさま防御体勢を解くと、クロエの傍に近寄った。
「――クロエ、悪いッ」
言って、俺はかつてのクロエがそうしていたように、背中から全力でぶつかる。
ドッという体重を乗せた衝撃がクロエを吹き飛ばし、クロエが地面を転がった。
その出来た隙に、ミコトがすかさず俺へと【回復】をかけてくる。
「……ユウマさん。クロエさんは元に、戻りますよね」
とミコトは言った。
「…………」
その言葉に、俺は答える言葉が見つからない。
だがミコトが、俺の答えを待つことなく言葉を続ける。
「また、三人で……。私たちは三人でッ! 居られますよね?」
ミコトは、俺の背中から【回復】をかけている。
だから、彼女が今、どんな表情をしているのか俺には見えない。
けれど、震えながら吐き出されたその言葉は確かに、彼女の涙で濡れていた。
「どうして、こうなっちゃたんでしょうね」
ミコトは言葉を続ける。
独白をするように。
俺へと問いかけるように、俺の言葉を待たず言葉を吐き出す。
「どうして、私たちは……。命を削り合うようなことをしているんでしょう」
ミコトが二回目の【回復】をかけてくる。
傷が癒えて、痛みが和らぐ。
「私たちが、一体何をしたんでしょう」
「何もしてない。何もしてないんだ」
と俺は呟く。
俺たちは何もしていない。
ただ理不尽によってここに存在し、理不尽に神を名乗る男に弄ばれ続けている。
「私たちが必死に生きてきた意味って、何ですか」
「……………」
「こうして、仲間通しで命を削り合うため? あの人を――久瀬っていうあの人を喜ばせるため? ただこの現実に絶望するため?」
何かが背中に落ちて、シャツに染みを作った。
それが何なのかは、考えるまでもなかった。
ぎゅっと、ミコトが俺の背中のシャツを握る。
まるで縋るように。
小さな子供がそうするように、彼女は俺へと縋りついた。
「………………ッ」
俺は、力強く拳を握る。
正面へと目を向けると、地面を転がったクロエが起き上がるところだった。
転がった時に傷ついたのか、こめかみに出来た切り傷から真っ赤な血が浮かんで、目尻と頬を伝って涙のように流れた。
クロエは、その血を拭う様子も見せずに、俺たちをただ見つめる。
クロエのこめかみに出来た切り傷は、数秒もすると跡形もなく消えた。
それは、まるで。
物語に出てくる吸血鬼のような、異常な回復力。
クロエは、降り注ぐ月光を背負って俺たちを見る。
それから、拳を握るとまた腰を落とす。
それから、じっと。
クロエは俺たちの準備が整うのを待っているかのように、その体勢のまま俺たちを見据えた。
「――――やるしか、ないのか?」
消えるような声で俺は言った。
これ以上、受け身でいれば俺たちは死ぬ。
クロエは、本気で俺たちを殺すつもりだ。
クロエはもう……、俺たちのことが見えていない。
身体が完璧な種族へなり、心が完全な種族へと成り代わったこの状態を、あのアナウンスは〝種族変化〟と言っていた。
であれば、今のクロエはもう。
本当の意味で、吸血鬼へとなってしまったんだ。
――ああ、そうだよ。だから、彼女を救うためには、彼女を斬るしかない。
頭の中で、そんな囁き声が聞こえたような気がした。
それが誰の声なのかは、考えるまでもない。
俺は、その声に対して首を横に振る。
……できない。
それは出来ない。
クロエと行動を共にしたのはたった数日だ。
だけど、それでも。
俺たちは確かな仲間だったんだ!
言葉を交わし、背中を預け、互いの無事を喜び合った仲間だったんだッ!
そんな彼女を斬ることは、俺には出来ない――――。
「……ゆう…………ま。み…………こ……と」
――――ふいに、そんな声が聞こえた。
ハッとして目を向けると、クロエは変わらない体勢で俺たちを見据えている。
ぎょろりとした深紅の瞳は変わらない。
だが、その目には涙が浮かび、ゆっくりと頬を伝っていた。
「わ…………れを、こ……ろ……………せ」
クロエは、何かに抗うかのようにその言葉を呟く。
その言葉に、ミコトが小さく息を飲んだのがすぐに分かった。
「クロエさんッ! クロエさんッ!! そこにいるんでしょう!? 戻ってきてくださいッ!!」
ミコトが泣き叫ぶように言った。
その言葉に、クロエはまた涙を流しながら小さな声で言う。
「……む、り……じゃ。も……う、げ……か………………。はや……く」
「馬鹿言ってんじゃねぇッ!! 俺がッ!! 俺たちが助けてやるッ!! だから、負けずに抗うんだッ!!」
目頭が熱くなり、涙が浮かぶ。
ミコトのように言葉を震わせて、俺はクロエに向けて叫ぶ。
クロエは、俺たちの声を聞くと、小さく笑った。
「…………おぬ……し……あえ……て。よ……か…………った」
それ以上の言葉は続かなかった。
クロエはまた、何かに操られたかのようにニヤリとした笑みを浮かべると、一気に俺たちへと向けて駆けてくる。
「クロエッ!!」
俺は叫び声を上げた。
だが、クロエは止まる様子がない。
真っすぐに駆けよってくるクロエが、大きく足を振り上げたその時。
彼女の――ミコトの泣き叫ぶような声が、円形ホールの中に響いた。
「【遅延】ッッッ!! 三秒ッッ!!」
慟哭のような叫びは、クロエの動きを阻害する。
それからミコトはすぐに俺の前に飛び出ると、さらに言葉を叫ぶ。
「【神の光楯】ッ!!」
瞬時に出現した光の盾が、【遅延】の切れたクロエの蹴りを受け止めた。
燐光が激しく舞って、俺たちの顔を淡く照らす。
ミコトはクロエを見据えたまま、涙を流しながら言った。
「ユウマさんッ!! 戦いましょう!! クロエさんの、クロエさんのお願いですッ。身体を種族に乗っ取られながらも、クロエさんは必死に抗って私達に声を掛けてくれたッ!! であれば、私たちはその声に応えるべきですッ!!」
クロエが出現した光楯を破ろうと、全力で拳を叩きつけた。
また激しく燐光が舞って、俺たちを照らす。
「ユウマさんッ!! クロエさんのお願いを、クロエさんの覚悟を無駄にするつもりですかッ!」
ミコトが涙を流して叫ぶ。
俺は、その言葉にグッと唇を噛んで、野太刀を握る左手に力を込める。
「…………ああ、そうだな」
途切れなく溢れる涙が視界を濡らす。
俺は、一度目元を拭って野太刀を構えた。
「ふー…………」
ゆっくりと、息を吐く。
これまでに何度も繰り返したルーティン。
それを、俺は眼前の少女へと向けて行う。
「――――クロエ」
俺は、小さく言った。
「ありがとう」
――その言葉に、クロエが小さく口元を綻ばせた。
……そんな、気がした。




