六日目・朝 『神』との対話
「神……」
その言葉は、ミコトが呟いた声だった。
『天使』という種族だからだろうか。
ミコトは久瀬のその言葉に、興味を示したような顔をする。
「久瀬、さん。貴方の他に、同じ種族の方は居ますか? それと、『天使』の種族と貴方の種族は何か関係があったりしますか?」
とミコトは久瀬に問いかけた。
その言葉に、久瀬はミコトを見つめながら表情の読めない顔で言う。
「神は、どの世界においても唯一だ。俺以外には存在しないし、することもない。それに、『神』が他の種族と何かしらの関係を持つことなんてありえない」
含みのある言葉だった。
その言葉の意味を、考えたくなかった。
ファースト・プレイヤーキル・ボーナススキルの存在が頭の中でちらつく。
それは彼女たちも同じだったようで、ミコトは言葉に詰まって、クロエは視線を鋭くしていた。
俺たちのそんな様子に気が付いたのか、久瀬は唇の端をニヤリと持ち上げる。
「……冗談だよ。そう怖い顔をするな。それで、聞きたいことは終わりか?」
――冗談。
果たして、本当にそうなのだろうか。
【直観】は使えないが、先程の言葉には少なからずの圧が加わっていたのは分かった。
久瀬が自らの種族に、何かしらの誇りを持っているのは確かだろう。
……このまま、会話を続けて大丈夫なのだろうか。
いや、ここで会話を打ち切るわけにはいかない。
彼に聞くべきことは、まだある。
「……いえ。まだ、いくつかあります」
と、俺は久瀬の反応を見ながら言う。
「貴方が、トワイライト・ワールドというゲームの、ベータ版のテストプレイヤーだということを聞きました。一カ月も前から、この世界にいると」
「正しくは、一カ月と一週間だ」
「貴方の他に、ベータ版のテストプレイヤーは?」
その質問に、クゼは小さく笑った。
卓上の白パンへと手を伸ばし、小さく手で千切りながらクゼは言葉を続ける。
「みんな、死んだよ」
「……………………」
どうして、とか。
なぜ、とか。
そんな疑問の言葉が渦を巻く。
けれど、それを聞けば後戻りのできないような、そんな気がした。
「……最初のプレイヤーは、何人だったんですか?」
少しだけ考えて、俺は別の質問を久瀬にぶつけた。
「さあ、覚えていない。生きることに必死だったからね、他人のことを気に掛ける余裕なんか俺にはなかった」
クゼは、千切った白パンに角切りのバターを乗せて口に運ぶ。
「少なくとも、それなりの人数は居た、と?」
「そうだね」
「確認ですけど、正式版のプレイヤーと、ベータ版のプレイヤー。ボーナススキルである種族内スキルの獲得は、あくまでもベータ版や正式版、関係なく獲得出来るという認識で大丈夫ですか?」
「ああ、それでいいよ」
「……なるほど」
と、俺は呟いた。
――小さな違和感。
まるで、真っ白な紙の上に真っ黒なインクを落としたかのような。
紙の上でじんわりと広がっていくインクのように、俺の心の中では小さな違和感が疑心となって広がるのを感じる。
知りたいことを聞いて、その全てに答えを貰えているはずなのに。
彼の言葉を聞けば聞くほど、俺の心には真っ黒な染みが広がっていく。
「…………話を変えます。この、トワイライト・ワールドというゲームが、現実に影響を及ぼすこの世界から抜け出すため、貴方はストーリークエストを終わらせる必要があると考えている。確認ですが、ストーリークエストのクリアは、この世界から抜け出すことが出来るという認識で間違いないですか?」
「そうだね。間違いないよ」
久瀬は笑いながら言った。
「…………そうですか」
と俺はまた呟く。
「その、ストーリークエストのクリアのために、貴方はギルドを作ったと聞きました」
「間違いないよ」
「だったら……。本当にそう思っているのなら、貴方はギルドの傍に居ればいい。何かがあれば彼らを助けることなんて、それだけのステータスを持つ貴方にとっては簡単なはずだ」
と俺は久瀬に言い返す。
久瀬は俺の言葉に肩をすくめた。
「だが、それだとギルドの彼らが俺を頼る。彼らは成長することが出来ない」
――また、だ。
久瀬のその言葉に、俺は違和感を覚えて眉を動かす。
その違和感をそのまま、俺は口に出した。
「成長? 久瀬さん、貴方は本当にそんなことを思っているのか?」
「……どういうことだ?」
久瀬の目が細められる。
俺は、その目を見据えて言葉を続ける。
「言葉通りの意味ですよ。貴方はボーナススキルの存在を知っていて、それを持っていない浦野さんがいずれ戦えなくなる、もしくは死ぬということを予想していた。そもそも、貴方の言葉通りなら、ボーナススキルはその種族による特定行為によって与えられるものを除けば、ベータ版も正式版も関係なく全て種族内における初めてに対するボーナスだ。つまるところ、そう何人も貰えるものじゃない」
言葉に出せば、違和感が形になっていく。
その違和感をさらに確たるものにするために、俺はさらに言葉を続ける。
「ボーナススキルと呼ばれる種族スキルが強力なのも分かります。そのスキルを持っていなければ、この世界で生き延びることが難しいということも分かります。けれど、貴方は自分がこの世界から抜け出したいがために、ギルドのプレイヤーを強くしようとしている。ボーナススキルを持っていない多くのプレイヤーが存在しているギルドを、だ」
「……なるほど。つまり君は、ボーナススキルを持っていないギルドのプレイヤーを、俺が見殺しにしていると、そう言いたいわけだね」
俺の言葉に、久瀬は確認を取るように言った。
にこやかに笑う彼の表情からは、感情が読み取れなかった。
ただ、彼のその手にはバターナイフが握られていて、その切っ先が俺たちに向けられている。
「――ユウマ、どういうつもりじゃ。あまり、あ奴を刺激するな」
とクロエが小さな声で呟いた。
……彼のステータスは化け物だ。
そのバターナイフ一つでも、彼が本気で振るえば凶器になりうる。
俺はゆっくりと息を吐いて、小さく頭を下げた。
「すみません、そういうつもりではなくて。本当に貴方が、ギルドのプレイヤーの成長を望んでいて、この世界から抜け出すつもりがあるなら……。貴方は、ギルドの傍で彼らを守るんじゃないかと、そう思っただけです。モンスターがプレイヤーと繰り返し戦い、殺せば強化されていくゲームのクソ仕様。それを貴方が知らないはずがないと思いますが」
久瀬は、俺の言葉に目を閉じると、何かを考えているかのようにトントントンと机を叩いた。
萩野が開け放ったままにしていた窓から風が流れ込んで、カーテンがバタバタとはためく。
風は久瀬の長い髪の毛を乱して、その表情を隠す。
久瀬は、ゆっくりと眼鏡を外すと、眉間に手を当てながら口を開いた。
「……そうだね。君が言うことももっともだ。けれど、俺には彼らの傍に居られない事情がある」
「事情?」
「そうだ。このゲームは、周囲のプレイヤーに合わせてストーリークエストのボスの強さが変わる。俺がギルドの傍に居れば、ギルドのプレイヤーが相手をするボスは、とてつもなく強大になっていた」
「…………」
その言葉に、俺は黙り込む。
これまでのボスとの戦いを思い返していたからだ。
今まで、俺たちは常にギリギリの戦いを繰り広げてその度に勝利してきた。
俺たちの隣には死という存在がいつも同居し、どの戦いも一歩でも何かが狂えば確実に命を落とす戦いだった。
最初のストーリークエストのボスが、リッチやトレントであれば俺は確実に死んでいたし、新宿でデスグリズリーと出会っていれば、俺たち全員確実にここに居ない。
周囲のプレイヤーの強さに応じて、ストーリークエストが適切なボスを用意している。
その言葉は、これまでの戦闘を思い返せば限りなく真実に近い。
「今まで俺たちは、ボスに最も近い周囲のプレイヤーの元に、日ごとのストーリークエストが届いていると思っていましたが、それは違う、と?」
「いいや、違わない。それも正しいことだ。俺が言っているのは、周囲のプレイヤーレベルに応じて、ボスモンスターの強さに補正が付いている。そういうことだ」
――ボスモンスターへの補正。
もし本当に、それが事実なのだとすれば。
レベルがかけ離れたプレイヤー同士が手を組むことすら容易じゃないということになる。
……つまり、久瀬の話を纏めるとだ。
日ごとに届くストーリークエストは、ボスの周囲にいるプレイヤー全てに届く。
彼がギルドを立ち上げたのは自分がこの世界から抜け出すためであり、その手段としてストーリークエストを終わらせるため、ギルドのプレイヤーにはどうしても成長してもらわねばならない。
だが、自らが傍に居れば周囲とのレベル差が大きく、その影響でストーリークエストのボスに補正が掛かるため、ギルドの傍にいることは出来ない。
――久瀬は、そう言うことを言っている。
「――だったら」
と俺は呟く。
「だったら、貴方が一人でストーリークエストを終わらせればいい。それだけの力が、貴方にはあるでしょう」
「俺に、それは出来ないんだよ」
「なぜです?」
「それは、俺が『神』だからさ」
まるで、それが当たり前であるかのように。
何もかもを知り尽くしたような、そんな表情で久瀬は言った。
「…………」
その言葉の意味を、聞くべきかどうか悩んだ。
けれど、その問いかけの言葉が出てこない。
聞けば何もかもが終わってしまいそうな。
まるで、自分が薄氷の上に立っているかのような、そんな感覚に陥ったからだ。
「……分かりました」
結局、俺は久瀬にその問いかけを行わなかった。
「他に、何か聞きたいことはある?」
と、久瀬は残った白パンを口に運びながら言った。
聞くべきことは、あらかた聞き終えた。
知るべきことも知った。
もう、これ以上聞くべきことは何もない。
「……ありがとうございます。もう、十分です」
と俺は久瀬に言う。
久瀬は最後の白パンを口に運んで、ゆっくりと噛んで飲み込んでから口を開く。
「どういたしまして。これからのゲーム攻略に役立ちそうかな?」
「……ええ、とっても」
と俺は口元にだけ笑みを浮かべて言った。
「そうだ、良ければ部屋を貸すから身体を休めるといい。風呂場もあるから、身体の汚れも流してきたらどうだ?」
久瀬は、にこやかに笑いながら言った。
「「お風呂」」
と、女性陣二人が微かに反応を示したのが分かった。
けれど、すぐにハッとして俺の顔色を窺ってくる。
デスグリズリーとの戦いの後、そのままここに来ているから俺たちの全身は血と泥にまみれた酷い有様だ。
汚れを落とせるのならば、願ってもいないことだが……。
「君も、少し身体を休めた方がいい。そうだろ?」
久瀬は、俺の目を見つめながらそう言った。
どこまでも感情の読めない瞳が、俺を見つめてくる。
頭の中でちらつく、彼のステータスとプレイヤーキルの言葉。
同じプレイヤーでありながらも、目の前で笑う男は俺たちとは違う。
おそらく、この世界で最強の生物。
それが、『神』を種族とするこの男だ。
――今は、下手に逆らわない方がいい。
俺は、そう判断を下す。
「そうですね。もしよろしければ、休ませてください」
その言葉に、久瀬はゆっくりと頷いた。
手に付いたパン屑を落としてから彼は席を立つ。
「それじゃあ、ついておいで。部屋にまで案内するよ」
その後ろ姿に、俺は頭に浮かんだ最後の質問を投げかける。
「久瀬さん。貴方は今でも人間ですよね?」
その言葉に、久瀬が立ち止まり振り返った。
「さあ、どうだろうね」
と久瀬は言った。
それから、すぐに久瀬は歩き出す。
その後ろ姿を見て、俺たちは視線を交わした。
「……大丈夫、でしょうか」
とミコトが不安げに呟く。
「ユウマ、何かあったのか? 途中からやたらと突っ掛かっておったが」
とクロエが言う。
その言葉に、俺は小さくただ一言だけ返した。
「……あとで話すよ。今はただ、アイツに付いていこう」




