六日目・朝 楽園の主
大きな木製の扉を開くと、バニラ香水の甘い匂いがした。
匂いは俺たちが開け放った扉から外に逃げ出して、代わりに扉から吹き込んだ空気が館に充満した匂いを乱す。
獣人である萩野は嗅覚が優れているようで、
「クゼさん、また報酬で変なものを貰ったな」
と言いながら館の扉を全開にした。
「どうぞ」
と、萩野が鼻をつまみながら俺たちへと言った。
俺たちは館の中へと足を踏み入れてから、辺りを見渡した。
玄関ホールらしきその大広間は、床一面に赤い絨毯が敷き詰められていた。
広間の中央には大きな階段が伸びていて、二階へと続いている。
二階部分は、ぐるりとこの玄関ホールを囲むように半円状の廊下が伸びていて、二階からこのホールを見下ろすことが出来るような作りとなっていた。
視線を動かすと、階段の両脇と玄関ホールの左右に別の部屋へと続く扉が見えた。
その内の扉が一つだけ半開きになっていることに気が付く。
その中を覗こうとするが、今の位置からでは見ることが出来ない。
仕方なく、視線を動かし天井へと目を向ける。
天井には光を反射する巨大なシャンデリアがぶら下がり、キラキラと輝いて俺たちを出迎えていた。
何もかもが大きい。
そして、何もかもが豪華だ。
おそらく、このすべてが【創造】によって創られたものだろう。
そんなことを思っていると、萩野がホールの中心へと足を進めながら声を張り上げた。
「クゼさん! クゼさーん!! クゼさんに会いたいって方が居たので、連れてきましたよー!!」
……返事はない。
いや、それどころか物音一つしなかった。
「あれ、いないのかな」
萩野が首を傾げる。
「まあ、適当に待ってれば戻ると思いますよ」
そう言って、萩野が俺たちへと振り返ったその時だ。
――ガタリ。
と、物音が聞こえた。
小さなその音は、半開きになっていたその扉の奥から聞こえてきたようだ。
「あそこは……。食堂ですね」
萩野はそう言うと、何の迷いもなくその扉へと近づいていく。
俺たちは視線を交差させて、萩野の後ろを追いかけた。
扉の奥には、中央に大きな長机が置かれた空間が広がっていた。
その机の上には、香炉のような丸い物体が置かれていて、ゆったりとした煙を吐き出しながら室内を煙で満たしている。
館中に漂っていた匂いが一気に濃厚となって、鼻腔を刺激する。
間違いなく、匂いの原因はあの香炉だ。
「うっ」
萩野が涙目となって呟いた。
それから、萩野の目が大きく見開かれる。
「クゼさん!」
と萩野が叫んだ。
その視線の先へと目を向けると、煙が満ちたその空間の中で、一人の男性が机に突っ伏し燻製にされていた。
「死んでおるのか?」
とクロエが呟く。
「馬鹿なこと言わないでください!」
と萩野は言って、その煙の満ちた室内へと飛び込んだ。
萩野は真っ先に窓へと近づき、勢いよくその窓を開け放つ。
流れ込んできた風にカーテンがはためき、室内の煙が激しく乱れた。
萩野はそのままクゼの元へと近づくと、その肩を力強く揺さぶる。
「クゼさん、クゼさんッ!」
萩野は必死に呼びかける。
だが、クゼはピクリとも動く様子がない。
気を失っているのだろうか。
そんなことを考えた矢先、その男性はもぞもぞと動き出した。
「なん、だ……。だれ……? ここ、俺の家なんだけどぉ?」
寝起きのような、間延びのした声。
その声に、萩野はほっとした表情を浮かべると、クゼに優しく声を掛ける。
「クゼさん、僕です。萩野です」
「はぎ、の? はぎの……」
クゼはそう言って、ゆっくりと身体を起こす。
黒髪で、髪の長い男性だった。
銀縁の丸眼鏡をかけていて、目元にまで伸びた前髪が鬱陶しい。細身の体型をしていて、無精ひげが生えたその姿は、例えるならどこかの研究者のように思えた。
「…………?」
その姿を見て、小さく心がざわついた。
言葉に出すほどでもない小さなそのさざ波は、やがてゆっくりと消えていく。
そのことに俺が首を傾げていると、ちょうどクゼと呼ばれた男性と目が合った。
クゼと俺たちは数秒ほど視線を合わせて、それからクゼの視線が動いて萩野の顔へと向けられる。
「あー、ゲロりん」
「ゲロりんって言わないでください!!」
すぐさま、その言葉に反応した萩野が大きな声で言った。
「今回は吐いてないですよ!」
「前回は吐いた」
「ぜ、前回だけですよ! 今回は吐いてないです」
「毎回吐かれていたら俺が困る」
騒ぐ萩野に対して、クゼはどこまでも冷静だった。
なおも言葉を重ねる萩野を無視して、クゼが俺たちへと目を向けた。
「…………君たちか。浦野が連れてきたいと言っていたプレイヤーは。その浦野はどこに?」
「彼は――。彼は、もうここには来ることが出来ません」
と俺は言った。
「どういうことだ。死んだか?」
と、クゼが質問を重ねる。
その言葉に、俺は首を横に振った。
「いえ、強大なモンスターによって、心が……壊れました。立ち直るには時間が必要ですし、立ち直れたとしても、あの様子じゃまた戦うことが出来るかどうか……」
「……そうか。彼はボーナススキルを持っていなかったからな。いつか、そうなるんじゃないかと危惧していたんだ」
クゼはそう呟くと、ゆったりと息を吐き出す。
「それで、君たちは何の用があって俺のところに?」
「その前に、一つ聞きたい。貴方が、ベータテスターか?」
「………………なるほど。そういうことか」
クゼは、俺の質問を聞いてゆっくりと口元に笑みを湛えると、小さく頷いた。
「いいよ。君たちの疑問に、俺が知っている限りの全てを答えよう。ただし、その前に――」
そう言って、クゼが俺たちの顔を見渡す。
「食事にしようか。質問は、その時でも構わないだろ?」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせて頷いたのだった。
館中に匂いを充満させていた元凶である香炉は、前日のクエスト攻略の報酬で貰ったものらしい。
なぜ、そんなものを……。
と思ったが、聞けば報酬に提示されたラインナップが全てゴミだったそうだ。
仕方なく受け取った香炉を使用したまま、クゼは寝落ちをしてしまった。
結果、館中に香煙が充満し燻製になったのだという。
「まさか、延々と煙が出続ける香炉だとは思わなかったよ」
と、クゼは塩で味付けをされた肉を口にしながら言った。
クゼと俺たちの目の前には、クゼが用意した朝食が並んでいる。
塩で味付けされて表面がこんがりと焼かれた動物のもも肉、適度な大きさの野菜がゴロゴロと多く入ったスープに、ふわふわの白パンと小さな角切りのバター。
どれも、この世界で目が覚めてから食べることが出来なかったものだ。
クゼは、これらの食材を全てクエストによって手に入れたらしい。
ミコトやクロエは食事を必要としていない以上、差し出されても何とも思っていないようだが、乾パンと缶詰が主食だった俺にとっては、これらの料理が目の前に並び出した時点で垂涎ものだった。
……だが、クゼという人物の評価が定まらない以上、手軽に手を伸ばすわけにはいかない。
俺は、腹の虫が抗議の声を上げるのを聞きながらも、クゼに質問をぶつけることにする。
「早速ですが、いろいろと聞きたいことがあります」
と俺は口火を切った。
「まず、貴方がベータテスターで間違いないでしょうか」
「……そうだね。とは言っても、僕が自分から名乗りだしたわけじゃない。そこにいるゲロ――萩野たちのギルドが、勝手に僕のことをそう呼び出しただけだ」
「ちょっと、今、僕のことゲロりんって言おうとしました?」
クゼの言葉にすぐさま萩野が反応した。
言い合いを始める二人を無視して、俺はクゼに質問を投げかける。
「貴方がクゼという証拠を見せて貰えますか?」
「ああ、ステータスのこと? いいよ、別に見ても。ただ、俺のステータスは正式版の君たちとは違うけど」
そう言ってクゼはスマホを取り出すと、俺に向けてスマホを滑らせた。
卓上を滑ってくるスマホを受け取り、その画面へと目を落とす。
繧「??繧ェ繝? Lv:92
HP:32304/32304
MP:15374/15374
STR:475
DEF:369
DEX:376
AGI:421
INT:532
VIT:523
LUK:272
所持スキル:譎ゅ→驕句多繧貞昇繧玖? 荳?黄蜑オ騾? 蜑オ騾? 豌ク蜉ォ縺ョ蜀?腸 謾ケ遶 霄ォ菴灘シキ蛹 鬲泌鴨蠑キ蛹 諤ァ蛻・霆「謠
クゼに見せられたスマホ画面を見て、俺は言葉が出なかった。
名前とスキルが分からない。いや、バグってるとでも言うべきだろうか。
レベルとステータスは存在しているようだが、SPの表示はされていない。
ただ、この画面で分かるのは、目の前の男がとてつもないステータスを持っているということ。
何もかもが、規格外を示す数値だけがそこに並んでいた。




