六日目・朝 創造の楽園
「…………」
俺は息を吐いて、彼女たちから視線を逸らす。
【空間識強化】の影響だろうか。
酷い眩暈は感じるが、彼女たちほど酔うことはない。
俺は周囲へと視線を向けて、その光景に身体を固めた。
「――――これは」
思わず、言葉が漏れる。
俺たちが立っているその場所は、崩壊していない住宅街の中だった。
どこか見覚えがあるようで、けれど知らない街並み。
家屋を覆う植物も、崩れた廃墟も、割れたアスファルトもここには存在していない。
視線を上へと向ければ、直前に見たはずの空の青と、朝焼けの赤が混じった黄金色がそこには広がており、それを隠すように伸びた電線が目に入る。
どこにでもある、住宅街だ。
どこにでもあるからこそ、ありえない街並みだ。
だからこそ、俺は困惑する。
「――なんだ、ここは」
その言葉に、ようやく彼女たちも顔を上げた。
そしてすぐに、俺と同じように表情を失くす。
「どこ、ですか……、ここは」
そう呟くミコトの顔からは、直前にまで苦しめられていた眩暈や酔いの症状は見られない。
あまりの衝撃に、眩暈や酔いの症状が吹き飛んだようだ。
それは、クロエも同じようで、目頭を真っ赤にした顔でぽかんと辺りを見渡していた。
「本物、か?」
言って、クロエが傍にあるコンクリートブロックの塀を叩く。
すると、硬い音を返してコンクリートブロック塀は本物だということを知らせてくれる。
俺は、未だ吐き気で蹲っている萩野へと声を掛ける。
「萩野、ここはどこだ?」
「……どこって、クゼさんが居る場所ですよ」
萩野は眩暈を堪えるように、しかめっ面で言った。
その言葉に、俺はすぐさま言い返す。
「だから、それが一体どういうことなんだって聞いてるんだよ! これじゃあ、まるで――」
「まるで、ここがこの世界で目覚める街そのものだ。そう、言いたいんですよね?」
萩野は、俺の言葉を遮るようにそう言った。
それから、萩野は深呼吸を繰り返すと、ようやく落ち着いたのか。
多少色の失った顔のまま、にこりと笑って言葉を続ける。
「ここは、クゼさんが創った街。クゼさんがこのゲームの報酬で貰った、この世界で唯一のセーフティゾーン。クゼさんは、ここを〝失楽園〟と呼んでいます」
▽
「クゼさんは、この場所を崩壊した世界における、唯一の楽園だと言っていました。けれど、本物の楽園は、僕たちが目覚める前に居た世界。だから、この場所は仮初の楽園。だから〝失楽園〟というそうです」
萩野は、俺たちを先導して歩きながらそう言った。
【座標転移】の副作用とも言うべき、酷い乗り物酔いから覚めた俺たちは、萩野によってクゼの元へ案内してもらっている。
聞けば、【座標転移】は必ずあの状態に陥るらしい。
萩野は、「だからあまり使いたくないんですよね」と言って笑っていた。
萩野の言葉を聞きながら、俺は周囲を見渡す。
二階建ての一軒家に、軽量鉄筋のアパート、平屋建ての住宅。
どこにでもある、ありふれた住宅街だ。
歩く道は舗装されたアスファルトで、ヒビもなければ雑草のような草木も生えていない。
どこまでも精巧に作られた、どこまでも偽物の街。
萩野は、クゼがこの街を造ったと言っていた。
聞けば、クゼには【創造】という無から有を作り出すスキルがあるらしい。
なぜそのスキルを持っているのかを問いかけると、萩野は首を傾げた。
「さあ? なんででしょうね。クゼさんなら持っててもおかしくないし、深く考えたこともなかったです」
萩野は、細かいことまで気にしない性格のようだ。
羨ましいとも思ったし、この世界ではそれが致命傷にもなりそうだな、と俺は思った。
俺は、クゼの言う〝失楽園〟に入ってから何度目になるか分からない【気配感知】を発動させた。
――だが、発動したはずの【気配感知】は空振りに終わる。
それだけじゃない。【地図】も、【視覚強化】も、【集中強化】でさえも、全てのスキルが発動することなく空振りで終わった。
その事実に眉を寄せていると、それに気が付いた萩野が声を掛けてきた。
「どうしました? トイレですか? でしたら、そのあたりの家に入って適当に使ってください」
「違げぇよ! というか、勝手に入っていいのか」
「ええ、創られただけで、家は無人ですからね。この辺りの家は。僕も、浦野さんに初めて連れてきてもらった時は、トイレに駆け込んだものです」
……それは、絶対に【座標転移】による酔いで嘔吐が目的だったに違いない。
このままだと、勘違いをされる。
そう思った俺は、ため息を吐いて考えていたことを伝えることにした。
「……ここに来てから、スキルが使えないんだよ。どのスキルを試しても、全部発動しない」
「あぁー……。ここは、クゼさんのセーフティゾーンですからね。クゼさんを除く、全員のスキルが発動しないんですよ」
「全員のスキルが発動しない? でも、お前は【座標転移】で俺たちをここに連れてきてくれたじゃないか」
俺は、その言葉に反論した。
全てのスキルが発動できないなら、そもそもスキルによってここに来ることも出来ないはずだ。
萩野は、その言葉に慌てたように弁解をする。
「えっと、言い方が悪かったですね。正確に言えば、ここでクゼさん以外の人がスキルを使いたいなら、事前にどのスキルを使用するのかクゼさんの許可を取る必要があるんです」
「スキルの許可を?」
「はい。ここは、セーフティゾーンです。見ず知らずの人がスキルを使って好き勝手に暴れるなら、それはセーフティゾーンと呼べないでしょ?」
なるほど。それは確かにそうだ。
セーフティゾーンと言いながら、誰しもがスキルを使うことが出来れば心休めることも出来ないだろう。
クゼのセーフティゾーンと言っているのを聞く限り、ここでの絶対優先権利はクゼにある。
クゼ以外のプレイヤーがスキルを使いたければ、クゼに許可を取らなければそもそもスキルが発動しないようだ。
「のう、さっきから言っておるセーフティゾーンって、なんじゃ?」
クロエが俺たちの会話に不思議そうな顔で言った。
乗り物酔いから覚めたのか、剥がれていたキャラ作りの仮面をクロエはもうすでに装着していた。
その言葉に、俺と萩野は顔を見合わせる。
「ええっと、簡単に言ってしまえばMMORPGなんかでよくある、街中は攻撃禁止ってやつですね」
と萩野が言った。
それに対して、俺が言葉を付け加える。
「ゲーム内における、安全地帯ってやつだ。俺たちはゲーム内のステータスが現実に反映して、そこにあるスキルを使ってるだろ? MMORPGだと、安全地帯での攻撃はゲームシステムが攻撃行為そのものを禁止しているけど、この世界のセーフティゾーンはおそらく、ゲームシステムそのものが現実に反映されなくなる場所みたいだ」
「とは言っても、反映されなくなるのはスキルだけですからね」
と萩野が補足をする。
その言葉に、クロエは難しい顔で唸った。
「スキルだけが使えなくなっても、ステータスが反映されてれば意味がないと思うが」
そう言って、クロエは唐突に、傍にあるコンクリートブロック塀へと拳をぶつけた。
拳はいとも容易くブロック塀を破壊して、ブロック片が辺りに散らばる。
「ちょっと!?」
と萩野が声を荒げた。
「ほらの、我らはステータスさえあれば、スキルがなくともプレイヤーを攻撃することが出来るぞ」
と、クロエは落ちたブロック片に向けて視線を向けながら鼻を鳴らした。
異変が起きたのはその時だ。
あたりに散らばったブロック片が色を失い、空気に溶けて消え始めたのだ。
それはまるで、モンスターが倒れて空気に溶けて消えるように。
スキルによって創られたそのブロック片は、まるで最初からそこに存在していなかったかのように、ゆっくりと消えた。
残されたのは、クロエが壊したブロック塀のみ。
まるで、最初からそのブロック塀は壊れていたかのように、ただ自然な在り方でそこにあった。
「――これは」
と、ミコトが短く声を出す。
「どういうことじゃ」
とクロエが萩野を見る。
萩野は、二人のその視線に気が付くとゆっくりと口を開く。
「モンスターが倒れて死ぬ時みたい、ですよね。皆さんが言いたいことは分かります。……ですが。この街が、【創造】で創られた街と、僕は言いましたよね? 無から有が創り出されたこの場所は、壊れれば元の無へと戻ります」
と、萩野が指を差す。
その先を追って、俺たちの視線が動く。
だが、その先には何もない。
――いったい、何があったのか。
そんなことを思いながら視線を戻すと、壊れたはずのブロック塀が元の姿へと戻っていた。
「っ!?」
その様子に、俺たちはひどく驚く。
萩野は、悪戯が成功した子供のように笑いながら、言葉を続けた。
「こうして、誰も壊れた場所を見なければ元の姿へと戻る。【創造】とは、このようなスキルらしいです」
その言葉に、俺たちは何も言えなかった。
いろいろな言葉が俺の頭の中を過る。
強力なスキルだ、だとか。
全てが崩壊し何もないこの世界で、あまりにもチートすぎるスキルだ、だとか。
その中でも、とりわけ強く頭に浮かんだのは、その【創造】が生物も創り出せるのではないか、ということ。
それはすなわち――。
クゼそのものが、この世界を創っているのではないか。
そんな、言葉だった。
だが、その言葉に先手をうつように、萩野は笑って言った。
「あ、でも。生き物は【創造】で創れないらしいです。創り出せるのは無機物だけだと、クゼさんは笑ってましたね」
その言葉に、俺はゆっくりと息を吐き出す。
無機物限定の【創造】ならば、クゼがモンスターを創り出すことはできない。
クゼという人物が、モンスターさえも創り出しているんじゃないかと思っていたが、そうではないらしい。
クロエも、俺と同じことを考えていたのか、
「なんじゃ。クゼが全ての元凶かと思ったが違ったのか」
と萩野を見つめながら言った。
「違いますよー。もし、僕らがこの世界で目が覚める原因だったら、そもそも僕らの前に気軽に姿を見せませんよ」
と萩野は笑う。
俺たちは萩野に質問を重ねながら、偽物の街を歩く。
「報酬でセーフティゾーンを貰った、と言っていたな。それはストーリークエストのことか?」
「だと思います。クゼさんは、そこまではっきりと言いませんでした」
「ここは、どこなんですか?」
とミコトが言った。
「それは、元の場所は……という意味ですよね? えっと、確か、ここは中央防波堤埋め立て地? と言う場所みたいです。東京湾にあった、人工の島ですね。僕はあまり詳しくはないんですが、海の森、だとか令和島だとかそんな地名が付いていたらしいですね」
と、萩野はミコトの言葉に答える。
「その場所を、クゼという奴はこんな街に造り変えたのか」
クロエは、萩野の言葉に周囲へと目を向けながら言った。
「とんでもないスキルじゃの。どこまでも本物に近い、偽物じゃ」
そう言って、クロエは傍にあったコンクリートブロック塀を叩いて壊した。
壊れたコンクリートブロック塀は、地面に落ちると色を失い、形を失って空気に溶けて消える。
「あの、先程から何度も街を壊してますけど……。ここが創られた街で、壊せばスキルが解けて創られたものは消えるって教えたのは僕ですけど、さすがにそう何度も試されると、僕がクゼさんから怒られます」
と萩野は困ったように言った。
「別に構わんじゃろ。我らの意識が逸れれば、すぐに【創造】で創り直されるんじゃろ? だったら、家の一軒ぐらい潰しても問題あるまい」
クロエは、そう言ってまた新たにブロック塀を破壊した。
それを見て、萩野がこそこそと近づいてくる。
「あの、あの女の子。次々とコンクリートブロックを破壊してますけど、種族は怪獣か何かですか? 海から現れるあの怪獣が種族だったりしませんか?」
「…………いや、種族は違うんだが、完全に遊んでるなアレは」
と俺は萩野に言い返す。
それから、話しかけられたついでとばかりに、萩野へと質問をぶつけた。
「萩野、一つ聞いてもいいか? クゼは、なぜここにギルドのメンバーを入れない? ここなら、みんな無事に過ごせるだろ」
「ここを拠点にすると、戦わない人達が出てくるからだ、と言っていました。あくまで、クゼさんの目的はゲームのクリアですからね。ここを拠点にすると、他のプレイヤーが育たないと考えているみたいです」
「……そのクゼには、いつ会えるんだ」
その言葉を言ったのは、ちょうど住宅街を抜けてきたところだった。
景色は変わり、並んでいた建物はまばらになり始めている。
俺の言葉に、萩野は一度笑うと、
「もう、そろそろです。……ああ、見えました」
そう言って、萩野が真っすぐに指を差す。
その視線の先を追いかけると、洋風のレンガ造りの大きな館が建っていた。
大きな鉄柵と、アーチ状の大きな外扉が通りに面して創られている。
萩野は、呆気にとられる俺たちを置いてずんずんと外扉へと近づいた。
すると、まるで俺たちが来ることが分かっていたかのように音もなく外扉が内側に開く。
萩野はその扉を抜けると、その内側で俺たちを振り返った。
「どうしました? 行きますよ。クゼさんはこの中です」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
「……いよいよ、だな」
と俺は言った。
「そう、ですね。ようやくです」
とミコトが呟く。
「さあ、て。鬼が出るのか蛇が出るのか、楽しみじゃの」
クロエはそう言って、クククッと喉を鳴らした。
俺たちは同時に足を踏み出す。
絶望を超えて、ようやくたどり着いたその人の元へ。
この終末世界を、誰よりも長く味わったその先行プレイヤーの元へ。
この世界の全てを、聞くために。




