六日目・早朝 地獄絵図
萩野は、俺たちが到着してから数分ほど遅れてやってきた。
額に汗を流しながら、必死に走ってくる萩野の後ろへと目を向けると、なぜかそこには一角狼がいる。
「た、た、助けてくださぁああああいいいッ!!」
一角狼との距離を詰められながら、萩野は大声で叫んだ。
「……何をやっとるんじゃ、あ奴は」
とクロエが息を吐く。
俺はそのため息を聞きながら、ポケットから小石を取り出すと、【集中強化】を発動させて狙いをつける。
デスグリズリーとの戦闘で使い続けたからか、鈍い鈍痛がすぐに襲ってくるのを感じながらも、萩野と一角狼との距離を【空間識強化】にて正確に測る。
「う、うわぁあああああ!?」
ついに追いつかれ、一角狼に飛びつかれた萩野が盛大に転ぶ。
その瞬間、俺は持っていた小石を萩野から少し離れた地面へと意識を向けながら投げつけた。
小石は地面に当たり、跳ねて傍にある瓦礫を介して真っすぐに一角狼へと向けて跳ぶ。
跳んだ小石は一角狼の額を撃ち抜き、一角狼が白目を剥いて倒れた。
「へぇあ!?」
唐突に倒れた一角狼に、萩野が目を丸くする。
一角狼が空気に溶けて消えるのを確認しながら、俺は【集中強化】を切りながら萩野へと近づいた。
「大丈夫か?」
「え、あ、え?」
何が起きたのか分からないようで、萩野が困惑した。
「あ、あれ? 狼は?」
「ユウマさんが倒しました」
とミコトが俺に代わり萩野に言った。
萩野は、その言葉にさらに大きく目を見開くとゆっくりと息を吐き出す。
「す、凄いですね……。何が起きたのか全然分からなかった。一体、どれだけのレベルなんです?」
「それよりも、【座標転移】は出来るのか?」
と俺は萩野の言葉を無視して言った。
レベルやステータスに関する質問に、答えるつもりはない。
余計な詮索で、俺が持つスキルのことを知られたくなかった。
「あ、はい」
と萩野は俺の言葉に慌てて頷く。
「いつでもできますよ」
萩野は、そう言った後に不思議そうな顔となってクロエの姿を見つめた。
「えっと? ギルドであなた方と一緒に行動していた子供、ですよね? あの大きなお姉さんはどちらに?」
……仮眠の前に萩野が会ったクロエは【身体変化】を解いた後の姿だったな。
萩野はギルドの中でも、俺たちの姿を見ている。
その時のクロエは小さな姿だったから、この姿も見覚えがあるはずだ。
けど、その子供と数時間前の彼女が同一人物だと気が付いていないようだ。
(そう言えば、エルダートレントの戦闘中に、浦野さん達はクロエが【身体変化】を解いて身体を大きくしても何も言わなかったな。あの時は生きるか死ぬかの状況だったし、気が付いていても何も言わなかったんだろうけど)
俺は、そんなことを思いながらどう答えるべきかを考える。
「……アイツは、戦いを求めて別の場所に行った。昨日は、コイツがトイレに行っている間にすれ違いだったみたいだけど、実はコイツも一緒に居たんだ」
考えた結果、そんな言葉しか出てこなかった。
「トイレ? 僕、結構長くあなた達と一緒に居ましたけど?」
と萩野が首を傾げる。
「長めのトイレだったんだ」
と俺が言い返す。
すると、それが気に入らなかったのか、クロエが萩野に見えない位置から小突いてくる。
見れば、クロエが物凄く睨んできていた。
『あ と で お ぼ え て ろ』
唇の動きだけで言われたその言葉に、俺は頬を引きつらせた。
クロエから漏れだす殺気に、俺の【気配感知】がすぐさま反応を示してくる。
「は、萩野くん! 早くクゼのところに行こう!」
慌てて、俺は萩野に言った。
萩野は不思議そうな顔をしつつも頷くと、俺たちに問いかけてくる。
「分かりました。それじゃあ、僕の身体に手を触れてください。どこでも大丈夫です」
萩野に言われて、俺はその身体にいち早く手を当てる。
するとミコトも俺に続いて、最後にクロエが俺へと目を向けながら萩野の腰に手を当てた。
俺たちが身体に触れたことを確認して、萩野が口を開く。
「あ、そうだ。この中で乗り物酔いが酷い方はいますか?」
その言葉に、クロエが口を開いた。
「乗り物酔いなら、我は結構しやすい」
「それじゃあ、出来るだけ目を閉じていてください。絶対に目を開けないでくださいね」
萩野は、含みのある笑みを浮かべて、そう言った。
「え、ちょ、ちょっと待て! それはどういうことじゃ!?」
とクロエが慌てた声を出す。
だが萩野は、にっこりとした笑みを浮かべたまま、
「では、行きますよー」
と声を掛けると、その言葉を呟いた。
「【座標転移】」
――瞬間、目の前の景色が激しく歪む。
地面が消えたような浮遊感が身体を襲い、平衡感覚が消える。
「――ッ!?」
ぐるぐると目の前の景色が回る。
激しく身体が揺さぶられて、上下左右の感覚が狂う。
「こ、これは……」
とミコトが呟くのが聞こえた。
視線を向けると、ミコトが顔を青くしていた。
歪み、変わりゆく景色に目が回ったかのように、瞳孔が激しく揺れ動いていた。
やがて、耐え切れなくなったかのようにミコトは強く目を閉じる。
ミコトの隣へと目を向けると、クロエが青を通り越して白くなった顔色で、必死に口元を手で押さえていた。
「っ、ッ!! っ!?」
何かが出てくるのを、必死に彼女は押さえていた。
それが何かなのかは、もはや考えるまでもない。
彼女は、たった一人で。必死に戦っていた。
「っ」
クロエが必死で目を瞑る。
「ッ!!??」
だがすぐに襲い掛かる平衡感覚のズレに、すぐさま耐え切れず目を見開く。
見開いた目が、助けを求めるように俺を見つめた。
必死なその表情に、大丈夫かと心配となるが、この感覚に対して俺が出来ることは何もない。
それが分かっているからだろう。
クロエは、目の端に涙を浮かべると、また必死に目を閉じた。
(……さすがに、俺も辛くなってきた)
自然とせり上がる胃液に、喉の奥が酸っぱくなる。
目が周囲の歪みに耐え切れず、ズレた平衡感覚と共に自分の居場所が分からなくなる。
もはや、自分が浮いているのか立っているのか、横になっているのかさえも分からない。
ただ必死に、俺たちは拷問ともいえるこの時間に耐え抜く。
――やがて、その時間は唐突に終わりを迎える。
最初に感じたのは、足の裏にある地面の感触だった。
次いで、周囲の景色がゆっくりと形作られて歪みが次第に収まっていく。
ふらり、と身体が揺れた。
狂った平衡感覚が元に戻り、身体が慣れなかったからだ。
あまりの眩暈に目頭を押さえていると、誰かにシャツを引っ張られているような感覚を覚える。
「…………」
見れば、シャツの裾をクロエが小さな手で握り締めていた。
顔を青くしながら、彼女は言う。
「……今までで一番、辛かった」
キャラを作ることさえも忘れて、クロエは涙を浮かべていた。
気持ちが悪いようで、彼女の眉間には深い皺が寄っている。
俺と同じように眩暈が酷いのか、彼女の眼球が激しく横揺れしている。
クロエは、俺の裾を掴んだまま、ぐすぐすと鼻を鳴らしながらジッと俯いていた。
幼い見た目とその仕草も相まって、まるで親に怒られて落ち込んでいる子供のようだ。
そんなことを思っていると、今度は反対から袖を引かれた。
ミコトだ。
ミコトは、重たい息と共にゆっくりと言葉を吐き出す。
「ちょっと、掴まらせてください……。立ってるのもやっとで……」
クロエほどではないが、ミコトの顔色も悪い。
唸り声のような声を出して、ミコトはぎゅっと目を閉じてその場に立ち尽くす。
だが、そんな彼女たちよりも遥かに酷い酔い方をしている奴がいた。
「っ、おぇ、おぇええッ!? ぎ、ぎもぢわる…………」
青から白へ、白から土気色へと顔色を変えた萩野だった。
「ミコトやクロエなら分かるけど、お前もかよ!」
思わずツッコミを入れる俺に、萩野がゆっくりと言葉を吐き出す。
「ふふっ、僕が乗り物酔いに強いだなんて、言ってませんよ?」
萩野は、そう呟くように言うと崩れ落ちた。
地面に手を付いて、項垂れるような姿勢になるとジッと蹲って嗚咽を漏らす。
クロエの鼻を鳴らす音と、ミコトの唸り声と、萩野の嘔気がこの場を支配する。
もはや言葉に出来ない地獄絵図がここに完成していた。




