六日目・深夜 彼女たちの独白
ユウマとミコトが寝静まったあと、クロエは座り込んで二人の寝顔を見つめていた。
泥の上だというのに、二人はよく寝ている。
規則正しく、深く呼吸するその胸が、深い睡魔の中にいることを知らせてくれる。
クロエは、そんな二人の様子に小さな笑みを浮かべると、周囲へと目を向けた。
「静かじゃな」
とクロエは呟いた。
つい先ほどまで、この場所で血を流し、命の削り合いをしていたと思えない静けさだった。
クロエは大きく伸びをして、デスグリズリーとの戦闘に想いを馳せる。
(かつてない強敵じゃったな……。戦闘を繰り返し、プレイヤーを殺すことで強化されるモンスターか……)
クロエは、スマホを取り出してステータス画面へと目を向けた。
(我らプレイヤーがモンスターを狩って経験値を得るように、モンスターは戦闘回数とプレイヤーを狩ることで経験値を得ておるのか。まるで、我らプレイヤーが一方的にモンスターを蹂躙出来ぬようにしているかのようじゃな)
クロエの知っているゲームでは、プレイヤーは強くなることがあってもモンスターが強化されることはなかった。
だが、この現実に侵食したモンスターは、プレイヤーと同じ様に成長をしていく。
日にちが経てば経つだけ、この世界のモンスターは強化されていく。
それはすなわち、いつまでも埋まらない実力がそこにはあるということ。
プレイヤーズギルドのように、成長率の遅いプレイヤー達――もっと端的に言ってしまえば、いわゆるチートスキルを持っていないプレイヤーは、そもそも生き残ることに適していないことになる。
(……まるで、この世界そのものが我らを殺しにきているようじゃ)
とクロエはそう思って、ゆっくりと息を吐いた。
(何もかもが壊れた世界で生き残る権利が与えられているのは、化け物だけ、ということか)
クロエは寝入るユウマへと目を向ける。
「化け物、か」
クロエは、そう呟くと小さく笑った。
それから自然と、クロエはデスグリズリーとの戦いの最中に飲んだ、ユウマの血の味を思い出す。
(……この世界に来てから、初めてじゃったな。本当に、心の底から美味いと感じた血は)
クロエの視線は、ユウマの首筋に向けられた。
規則正しく、深く呼吸をするその胸が、ユウマが深い睡魔の中に居ることを知らせてくれていた。
――今、ここで。我があ奴の首元に牙を突き立てれば、あ奴は起きるじゃろうか。
そんな考えが、クロエの頭を過ぎる。
だが、クロエはすぐにハッとして首を横に振った。
(何を、考えとるんじゃ我は……)
そう思い直し、クロエは再度ユウマを見つめる。
……ユウマを見つめるクロエの口腔内に、唾液が溢れる。
これまで感じなかった空腹が、クロエを襲う。
腹の虫が鳴って、その音でクロエはまた首を横に振った。
「……ああ、そう言えば。溜め込んでいた血液を、全て【暗闇同化】で使ったのじゃったな」
道理で腹が減るわけだ。
そんなことを考えて、クロエは息を吐く。
ユウマに抱くこの感情も、全ては血が足りないからだ、と。
クロエは自らの感情に嘆息する。
「まったく、どうしてこんな身体になったんじゃろ」
その独白に、答えるものはいない。
彼女も、その独白への答えを期待していない。
だから彼女はすぐに、思考を切り替えてこれからのことを考える。
自分たちが生き残るために必要なことを、頭の中でまとめていく。
夜を支配する吸血鬼の彼女の思考を遮るものは、今は何もない。
夜を嗜む彼女の思考は、交代の時間まで続いたのだった。
▽
「交代じゃ」
そう言われながら肩を揺すられて、ミコトはゆっくりと目を覚ました。
(おかしいな。眠くなかったはずなのに、いつの間にか寝ちゃってたんだ……)
種族が『天使』であるミコトは、睡眠を必要としていない。
ただ身体を休めるために、横になっただけなのに。
それなのに、寝入ってしまった自分に対して、ミコトは小さく驚いた。
(この世界に来て、ゆっくりと眠ることも出来ていないし……。自分では分からなかったけど、疲労が限界だったのかな)
そんなことを思いながら、ミコトは固まった身体を解すように伸びをする。
すると、大きくなった翼がローブに引っかかって、十分に伸びが出来ないことに気が付く。
「……邪魔だなぁ」
とミコトは思わず呟いた。
その言葉に、クロエが小さく笑った。
「前のボタンを外せば、多少は楽になるじゃろ」
「あ、そうですね」
クロエの言葉に、ミコトは素直に頷いた。
ミコトはボタンの留め具を外して、ローブを肩に羽織るようにする。
すると、ボタンによって押さえつけられていた翼が広がって、持ち上げられたローブの下から淡い光が周囲に漏れた。
「……光が漏れとるの」
「そう、ですね。やっぱり、ボタンを外すのはダメみたいです」
とミコトはそう言ってため息と共に再びボタンを閉じた。
その様子を見ながら、クロエがミコトに問いかける。
「それにしても、本当に大きくなったの」
「そう、ですね。【神の光楯】を取得してから、大きさが顕著になりました」
言って、ミコトはスマホの画面へと目を向ける。
「今のMPが80ですね。クロエさん、【回復】します」
「頼む」
ミコトは、クロエへと【回復】をかける。
クロエのHPは最大170に対して、現在数値が62と半分を切っていた。
ミコトは、【回復】を四回使用してクロエのHPを全て回復させると、ゆっくりと息を吐いた。
「ユウマさんのHPはいくつでしたっけ」
「直前にみたステータスじゃと……。最大160の、現在数値51じゃったな」
「それじゃあ、ユウマさんも四回ですね」
そう言って、ミコトはユウマへと【回復】を使用する。
クロエは、ミコトがユウマへと【回復】を使用するのを見ながら、ミコトへと問いかけた。
「のう、ミコトよ」
「何ですか?」
「お主、恐怖の感情を失ったと言っておったな」
「……そうですね」
「お主が失ったのは、本当に恐怖だけか?」
「どういうことですか?」
ミコトが、ちらりとクロエに視線を向けた。
クロエはミコトを見つめて、言葉を続ける。
「お主が使っておったあのスキル。感情を捧げるとあった。この理不尽がまかり通るこの世界で、失った感情が本当に一つだけだとは、我はどうしても思えんのじゃ」
それは、クロエが獲得した【直観】による違和感。
スキルにより強化されたクロエの第六感が、その言葉をミコトへと投げかけていた。
「………………」
ミコトは、その言葉に口元へと笑みを浮かべた。
ユウマを癒す光がゆっくりと収まり、ミコトはクロエへと顔を向ける。
「恐怖、だけですよ」
と、ミコトはクロエに向けて言った。
クロエはミコトの目をジッと見つめ、やがて小さく息を吐く。
「ならば、よい。すまぬな、変なことを聞いて」
「いえ。大丈夫ですよ」
とミコトは笑った。
クロエは、その笑みに目を向けると、小さく頷く。
「それじゃあ、我は眠る。回復、助かったのじゃ」
「いいえ、とんでもないです。それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ミコトとクロエは言葉を交わし、やがてクロエも眠りに落ちた。
その息遣いを聞いて、ミコトはゆっくりと息を吐く。
「……言えませんよ」
ミコトは小さく呟く。
神の御前で、罪の告白をする咎人のように。
もしくは、誰かからの贖罪を求めているかのように。
ミコトは、ポツリとその言葉を呟いた。
「私がもう、心から笑うことが出来なくなってる……だなんて」
そう言って、ミコトは笑う。
口元に笑みを張り付けて、誰にも見られず笑顔という行為を練習する。
かつて自分にあったその表情を。
種族スキルを獲得し、代償として失ったその表情を。
【直観】を取得したこの二人でも、決して悟られることのないどこまでも精巧で、どこまでも完璧な作った笑みを浮かべる。
「良かった。ステータススキルの『模倣』が、作り笑いにも働いてくれて」
そう呟いたミコトの言葉は、夜の闇に溶けて消えゆく。
彼女の独白は、誰にも知られず消えていく。




