六日目・深夜 絶望に抗う1
【聖域展開】が消えて、躊躇をしている余裕がないと判断した俺は、すぐに【集中強化】を発動させた。
引き延ばされた時間感覚の中で、デスグリズリーが真っすぐに俺へと駆け寄ってくるのが見える。
俺はミコトを守るべく、ミコトの前に素早く出るとデスグリズリーと相対する。
「グルルゥゥァアアッ!」
唸り声と共に振るわれる腕を見て、上体を倒して攻撃を避ける。
寸前にまで首があった場所を、デスグリズリーの腕が通過する。
攻撃を躱したことに息を吐く暇もないまま、デスグリズリーは唸り声を上げて、牙を剥きだすとすぐさま二撃目の腕を振るってくる。
「ッ!?」
あまりにも素早い連撃だ。
倒していた上体を起こそうと身体に力を入れるが、反動による痛みで動きが鈍る。
俺の動きが鈍ったところでミコトが【遅延】を発生させ、デスグリズリーの攻撃は妨害された。
瞬間的に動きが遅くなるデスグリズリーの腕を、俺は横から叩いて軌道を逸らす。
攻撃の軌道を逸らされたデスグリズリーは一瞬目を剥くが、すぐに殺意を取り戻した目で俺たちを睨むと、右足を振り回すように横薙ぎに蹴りつけてきた。
「――っ」
傍にいるミコトを引き寄せて、俺はミコトを抱えて後ろへと跳び退る。
その直前に、ミコトが【遅延】を発動させてデスグリズリーの動きを妨害する。
ミコトを地面に下ろして、ようやく出来たその距離に、俺とミコトはゆっくりと息を吐く。
「ギリギリ、だな」
と俺は呟いた。
AGIに全てのSPをつぎ込んだおかげで、デスグリズリーの動きにどうにか付いていくことが出来ている。
それでも、今の攻撃を見る限りアイツのAGIは今の俺よりもさらに上。
それでも、普段ならば【視覚強化】や【集中強化】を用いることで対応が追い付いているが、エルダートレント戦で使った【瞬間筋力増大】による反動で、今や俺の動きはいつもに比べて遥かに鈍い。
一応、どうにか二つのスキルのおかげで回避が出来ているが、それでもギリギリだ。
ミコトも、それが分かっているのか、俺の動きが鈍る時には【遅延】によってすぐさまフォローをしてくれている。
そのおかげで、回避だけならばなんとか対応が出来ている。
いつ落ちてもおかしくはない綱の上を、俺たちは何とか渡っているに過ぎない。
「そう、ですね」
と、ミコトが俺の言葉に答えた。
強化系のスキルや限界突破をかけている俺とは違って、ミコトは反射的な対応をしているのが現状だ。
尋常ではない精神力と集中力が求められている。
加えて、生物としての格上ともなるモンスターが相手だ。
本能的な恐怖が耐えずストレスを与え続け、疲労を加速させる。
戦闘が始まってすぐだというのに、ミコトの額には玉の汗が浮かんでいた。
「大丈夫か?」
「はいっ、大丈夫です」
ミコトは、額の汗を拭いながら頷いた。
「私よりも、ユウマさんは攻撃を避けることに専念してください」
そういうわけにはいかない。
そう、反論しそうになるが、ここで言い合っても意味がない。
そもそも、こうして互いの命を優先させるように仕向けたのだ。
俺はミコトの言葉に頷くと、ポケットからスマホを取り出しながら言った。
「ミコト、俺はアイツの攻撃を全て防ぐことで手一杯だ。スマホを見てる余裕がない。だから、ミコトには俺のHP管理とサポートをお願いしたい。出来そうか?」
「分かりました。やってみます」
ミコトの言葉を聞いて、俺はデスグリズリーの動きを警戒しながらも自らのスマホをミコトに預けた。
「ふー……」
ゆっくりと息を吐く。
エルダートレント戦から連続して使用している【集中強化】の反動が鈍い痛みとなって俺を襲う。
……だが、まだ限界は来ていない。
まだこの痛みには耐えられる。
ここで【集中強化】を切らせば、俺とミコトはあっという間にゲームオーバーとなってしまう。
少なくとも、クロエが戻るまでは切らすわけにはいかない。
俺はデスグリズリーを見据えて、すぐに動けるように体勢を整える。
「ちょぉ、コまか、と……。ヨク逃げル奴だ」
距離を取った俺たちに向けて、デスグリズリーが口を開いた。
それから、デスグリズリーが右手の爪を立てるように――腕を後ろへと引いた。
その体勢は、アンダースローで投球を行う姿勢によく似ている。
戦闘の最中だというのに、その体勢を取ったデスグリズリーに違和感を覚える。
「……? ッ!」
同時に、その身体から放たれる殺気が膨らむのを感じて、俺はすぐに行動に移った。
「きゃっ!」
傍にいるミコトを強引に引き寄せ、その場から全力で横っ飛びをする。
デスグリズリーが口を開いたのは、その直後だった。
「【風爪】」
低く響くその言葉と共に、デスグリズリーが腕を振るう。
その瞬間、豪速で振るわれた爪が空気を割いて、切り裂いた空気が鋭い刃となって深く地面を切り裂いた。
「ッ!?」
鋭い爪痕を残しながら、切り裂かれる地面は寸前にまで俺たちが立っていた地面を深く抉って、さらにその後ろの木々へと届く。
縦に分断された木々が地面に倒れる音を聞きながら、俺は肝を冷やす。
――今のは、アイツのスキルか。
例えるなら、凶悪な〝かまいたち〟といったところだろうか。
切り裂かれ、抉れた地面を見るからにその威力は考えるまでもない。
当たり所が悪ければ即死。
運良く免れたとしても、致命傷であることは確かだろう。
「……野太刀で受け止めるのは、無理だな」
と俺はそのスキルに判断を下す。
直接攻撃ではなく、風の刃で切り裂いているのを見る限り、野太刀で受け止めるのは不可能だ。
唯一、幸運とでも言うべきはそのスキルの効果範囲が直線上ということだろうか。
腕を振るう向きさえ見ておけば、何とか避けることが出来るだろう。
「距離を取ればスキルによる攻撃、近づけば持ち前の怪力と爪による連撃……。厄介だな」
【風爪】は攻撃範囲が長い。
俺は避けられるが、ミコトには無理だ。
であれば、俺が前に出て【風爪】を撃たせないようにするしかない。
「ふっ」
息を吐いて、地面を駆ける。
近づく俺に反応して、デスグリズリーが迎撃の体勢を取った。
「グルゥアァ!!」
デスグリズリーが上段から下段へと鋭い爪を振り下ろした。
その爪撃を、身体を捻って避けて、俺はデスグリズリーの懐へと飛び込む。
すると、懐に飛び込んだ俺の顎に目掛けてデスグリズリーの膝蹴りが放たれる。
慌てて上体を逸らして避けると、今度は翻した爪が俺の眼前へと迫った。
「【遅延】一秒」
タイミングを見計らったかのように、ミコトのスキルがデスグリズリーに発動した。
眼前に迫る爪の動きが【遅延】により鈍る。
俺は必死に首を逸らしてその爪を避けると、デスグリズリーの後ろへと回り込み、その膝裏に向けて野太刀を振るった。
「ぉおッ!!」
反動による痛みを気合で捻じ伏せる。
失った握力によって手から離れそうになる柄を必死に掴み取る。
右足を軸として、身体全体を使って野太刀を振り抜く。
今の俺に出来る、渾身ともいえる一撃。
――だが、俺の刃はデスグリズリーの身体に当たることなく空を切る。
デスグリズリーは、【遅延】による行動阻害が消えると同時に、地面を蹴って宙へと逃げていた。
悔しさで睨む俺と、余裕の表情を浮かべるデスグリズリーの視線が交差する。
「なん、ダ。その攻撃ハ」
と、デスグリズリーが嗤った。
それから、デスグリズリーが両腕を俺へと突き出してくる。
手のひらを向かい合わせて、その爪が生える五指を立てた。
――ひたり、と。
死神の大鎌が喉元に当てられたような、冷たい感覚が襲った。
「ッ、あぁッ!!」
全身を使って刃を振るった影響で、硬直していた身体を無理やりに動かす。
――マズい。
マズいマズいマズいマズい!!
何をするつもりなのか分からないが、確実にあの攻撃が当たるッ!
今、この現状であの攻撃を食らうのはマズいッ!
「ッ、ぁああああッッ!!」
必死に、身体を前に倒す。
一秒でも早くその場から離れるために。
コンマ秒でも速く身体を動かすために。
数瞬後に訪れる死の鎌から逃れるために。
反動で軋む身体に鞭を打って必死に、全身に残された力を振り絞る。
「【遅――】」
ミコトが、俺のその様子にすぐさまそのスキルを発動させようと口を開いた。
だが、それよりも早くアイツがその言葉を口に出す。
「【空牙】」
向き合わせたその両手を、アイツが咬み合わせた。
瞬間、不可視の牙が俺の左腕に突き立てられる。
「ゥ、ァッ!」
目に見えない牙が俺の皮膚を突き破り、血が噴き出た。
見れば、左腕は獣に噛まれたかのような穴が浮かんでいた。
「ユウマさんッ!」
ミコトの慌てる声と、走り寄ってくる音が耳に届いた。
俺は痛みで歯を食いしばると、右手に持つ野太刀を左腕の周囲へと必死に振るった。
だが、いくら野太刀を振るっても、左腕に突き立てられるその牙が消えることはない。
それどころか実体のないその牙は、俺の腕を貫通しなおも噛み切ろうとしてくる。
「ぐ、ぅぅうううッ!」
噴き出る血で地面が赤く染まる。
このままだと、腕が噛みちぎられる!
背中にぞわりとした震えが走って、嫌な未来が頭に浮かんだ。
「――――ッ!」
必死で、周囲を見渡す。
何か、何かないのかッ!
この攻撃を防ぐ何かしらの手段は何か――。
「ッ!?」
俺の視線が、デスグリズリーへと留まる。
デスグリズリーは、【空牙】と呼び、両手を咬み合わせた姿勢のまま、地面に降り立った後もその体勢を維持し続けていた。
「――――ッ!」
すぐに、その体勢の意味が分かった。
おそらく、このスキルは両手を口に見立てて咬み合わせることで発動し続けるスキルなのだろう。
その証拠に、デスグリズリーは俺と視線が合ったにも関わらず、ニヤリと口元を吊り上げるだけで動こうとしない。
「だったら、その仕草を解けば!」
俺は野太刀を右手で構えて、すぐにデスグリズリーへと地面を蹴った。
「サセルと思ウノか?」
だが、デスグリズリーも俺が接近していることを読んでいたのだろう。
すぐさま、デスグリズリーは俺の行動に気が付くと、その両手をさらに強く咬み合わせた。
途端に、俺の左腕に噛み付く不可視の牙がさらに締まる。
ミシミシと音を立てて、骨が軋む音が耳に届いた。
「やらせないッ! 【遅延】!!」
デスグリズリーのその行動を阻害しようと、ミコトが【遅延】を発動させた。
【遅延】はデスグリズリーの行動を阻害し、咬み合わせる腕の動きを遅くする。
その影響で、左腕を噛みちぎろうとしてくる不可視の顎の締まりが遅くなる。
「っ!」
ミコトが発動した、秒数制限のない【遅延】に俺は唇を噛む。
ミコトが発動し続ける限り――そのMPが尽きない限り、俺の腕は緩やかに噛み砕かれ続ける。
MPは有限だ。
秒数制限はないが、これから先の戦闘を思うとすぐにでもあのスキルを止めなければならない。
「その体勢じゃ、動けねぇ、んだろッ!!」
俺はデスグリズリーの元へと駆け寄ると、右手に持った野太刀を上段に構えて、まっすぐに振り下ろした。
「グッ!」
刃がデスグリズリーの腕を切り裂いて、真っ赤な血を迸らせる。
だが、その切り傷は浅い。
【一閃】が発動してもなお、腕を切断するまでには至らず俺はその結果に唇を噛む。
威力が弱いのは【空牙】により野太刀を両手で構えられず右手で構えていることと、限界突破の反動によって、そもそもの握力が弱まっているからだ。
「千切レロッ!」
デスグリズリーは【遅延】を受けながらも、確実に両手を合わせる力を込め続けている。
左腕の骨がさらに悲鳴を上げて、激痛で視界が歪む。
――腕が噛み千切られるッ!
腕が千切れれば【回復】によって癒すことも叶わない。
もはや、一刻の猶予もなかった。
「ぅぅぁあああああッ!!」
想像する最悪の未来に叫び声を上げて、俺はもう一度右手を振り上げた。
「【瞬間、筋力……増大】ッ!!」
そして、そのスキルの名前を言う。
俺の右腕から、三度目になる筋断裂の音が耳に届いた。
失ったはずの握力が戻り、万力の力で柄を握り締める。
同時に、鈍い痺れが右腕全体に走った。
「ッ」
その事実に一瞬だけ臆する。
だが、それでも俺は、固く歯を食いしばるとその痺れを無視して、振り上げた刃を全力で振り下ろした。
「――――!!」
空気が斬れて、刃が深くデスグリズリーの右腕に沈む。
「落ちろォオオオオオオオッ!」
「千切れロォオオオオオオッ!」
俺とデスグリズリーの声が同時に重なった。
刃はデスグリズリーの骨に到達して、なおも勢いを落とすことなく進む。
俺の左腕は限界に達して、ついには耐え切れなくなった骨が割れる音が響いた。
「ぁぁあああああああああああッッ!!」
「グゥォオオオオオオオオオオオッッ!!」
気合と悲鳴の声が響く。
俺の左腕が千切れる寸前で、野太刀はデスグリズリーの腕を落とした。
瞬間、左腕にかかっていた圧力が消える。
――左腕の感覚がない。
指先に力を込めようにも力が入らない。
見れば、左腕は皮と筋によって辛うじて繋がっているような状況だった。
俺は【瞬間筋力増大】を解除すると、左腕を庇いながら全力でその場から後退する。
「ッ、ぁ、ぐッ!」
痛みで涙が浮かぶ。
焼けた鉄を押し当てられたかのように、左腕が熱い。
痛みによって意識が瞬間遠のく。
ふらり、と身体が揺れると後ろからミコトに支えられた。
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在42%です。
「ッ! 【回復】!!」
ミコトのスマホからそのアナウンスが聞こえるのと、ミコトが【回復】を使うのは同時だった。




