六日目・深夜 -幕間- クロエ
幕間 クロエ視点
幾重にも重なった緑を掻き分けながら、クロエ・フォン・アルムホルトは森の出口を目指す。
地面から突き出した樹木による瘤のような根っこが煩わしい。
土砂降りの大雨で地面は泥となって、慌てて足を踏み出すと滑りそうになる。
加えて、肩には精神崩壊をした男がいる。
一角狼やトレントと出会う度に錯乱し大きく暴れて邪魔になる。
――いっそのこと、コイツを捨ててやろうか。
クロエが、そんな思いを抱いたのは一度や二度ではない。
ユウマやミコトと違って、クロエには他者に対する極端な感情の揺れがなかった。
状況を鑑みて、他者のためではなくまずは自らを一番に考える。
その次に、初めて出来たパーティメンバーであるユウマやミコトのことを考える。
名前の知らない他プレイヤーや、出会ったばかりで互いの信頼関係さえもないプレイヤーのことなど二の次だ。
ユウマ達の中で、クロエだけは唯一冷静に状況を見極めていた。
(……ユウマやミコトが動けないのは、こ奴が傍におったからじゃ。こ奴さえいなければ、我らはここまで不利な状況に陥ることはなかった)
だから、いっそこのまま……。一角狼がうろつくこの森の中で、この男を置きざりにすれば、何もかもが片付く。大丈夫だ、誰にもバレない。この世界に、法なんてものは存在していないんだ。自分が直接手を下すわけじゃない。ただ、この身体を支えている手を離して、この男が錯乱し森の中に消えていけば――。
「……我は、何を考えとるんだ」
ハッとして、クロエは心の内に湧き上がった暗い感情を、奥歯を噛みしめて噛み殺した。
浦野がユウマ達の元へやってきたのは、元はと言えば危険を知らせるためだ。
エルダートレントよりも強大な――それこそ、浦野にとっては精神に影響を及ぼし恐怖によって錯乱してしまうほど強大な敵の存在を、ユウマ達に教えるためだった。
結果として、その行動がユウマ達の足を引っ張る原因ともなったわけだが、浦野が取った行動自体に非はない。
それどころか、本来であればその場から逃げ出してしまうほどの恐怖を押し殺してでも、浦野はユウマ達の元へと危険を知らせに来てくれた。
その行動を、結果として足を引っ張ったからといって、邪魔になったからといって侮蔑し否定し嘲笑するその行為は、クロエがこの世界にやってきて受けた人間倫理が壊れた人でなしと同じになってしまう。
彼の勇気に応えるためにも、彼の行動に報いるためにも、彼はギルドの元へ送り返す。
それが今の自らの役目だと、クロエは決意を込めて両足に力を込める。
しばらく走ると、クロエはようやく森を抜けた。
そのまま真っすぐに東京駅へと向けて、クロエは夜を駆ける。
夜を駆け抜けると、東京駅の姿が目に入る。
築かれたバリケードと、そこに立つ残されたギルドメンバーの姿を確認すると、クロエはさらに足へと力を込めた。
ギルドメンバーの誰かが、走り寄ってくるクロエの姿を見て「あっ!」と声を出した。
そして、駆け寄ってくるその人数がたった二人であることと、その内の一人――彼らにとってのリーダーだったその人が、少女の肩に担ぎ上げられていることに気が付き、ざわめきが大きくなる。
クロエは、バリケードを一足で飛び越えると、地面に浦野を下ろしながら声を張り上げた。
「――聞けッ! ギルドのプレイヤーよ!!」
力が籠った凛としたその声に、ギルドのざわめきが一瞬のうちに静まった。
「気が付いておるだろうが、ボスのエルダートレントは無事に討伐された!!」
その言葉に、不安に駆られていたギルドメンバーの顔が途端に明るくなる。
夜の闇にわあっとした歓声が上がり、ギルドメンバーの顔に笑顔が浮かぶ。
だがクロエは、その笑顔を浮かべる彼らに向けてすぐに言葉をぶつけた。
「じゃが、その後に新たなボスが現れた! 討伐に出ていたギルドのプレイヤーは、この男を残して全員が死んだ!! この男も、恐怖によって錯乱し心が壊れておる!! 今は我の仲間がそのボスモンスターを食い止めておる。我もすぐに仲間のもとへ戻らなければならん! 誰か、この男のことを任せたい!!」
クロエがその言葉を吐き出すと同時に、辺りは水を打ったかのように静まり返った。
誰しもが、クロエの言ったその言葉を理解が出来ない、いや理解したくなかった。
やがて、その静けさは誰かの一言によって崩れる。
「なんで、ボスを倒したのに別のボスが続けて出てくるんだよ。エルダートレントは死んだんだろ? ありえねぇよ、そんなの」
それは、小さな呟きだった。
だが、その呟きは波紋のようにプレイヤー達の間に広がって、懐疑の渦を巻き起こす。
ギルドのプレイヤーは次々とクロエが告げた現実を――受け入れられないその現実を、否定し始める。
「そ、そうだ。ありえない! ボスの討伐に向かった奴らは、俺たちの中でも一番強い奴らなんだぞ!? そいつらが全員死んだ? だったら、なんでお前らが生きてるんだよ!!」
「そうよ、ボスが続けて出てくるなんてありえない!! 浦野さんがそんな状態になってるのも、どうせ貴女たちのせいなんでしょ!?」
「お前らが強いかどうかなんて知らねぇけど、どうせ他のプレイヤーを見殺しにしたんだろ!! ギルドのプレイヤー四十人だぞ? そいつらが全員やられるなんて……。そんな話、信じられるか!!」
「やっぱり、外部のプレイヤーを受け入れるなんて止めておいたほうが良かったんだ!」
否定の言葉は怒号に代わり、怒号は罵声に代わる。
現実を受け入れられず、現実を見ることが出来ないプレイヤーが、一斉にクロエに向けて感情をぶつける。
「――――――」
クロエは、言葉が出なかった。
命を賭けて、覚悟を決めて浦野をここまで連れてきたのに。
どうして、我らが責められている?
どうして、こ奴らは我らを責める?
どうして、現実を受け入れらない?
ここはもう、何もかもが壊れた世界なのに。
ありえないなんて言葉は、そこら中に転がっている世界なのに。
こいつらは、どうして現実を見ることが出来ていない?
――どうして我らは、こ奴らのために命を賭けた?
「――――――」
心が冷え込んでいくのを、クロエは感じた。
この世界で植え付けられた人間不信が、彼らの言葉によってさらに大きくなる。
(……ああ、こいつらは本当に何も知らないのじゃな。この世界が、理不尽に溢れた世界だということを何も知らない。目の前の現実だけを受け入れて、誰かの背中に隠れて、必死に生きているフリをしている)
大方、こいつらは〝ただゲームの世界に迷い込んだだけ〟だと思い込んでいるのだろう。
他プレイヤーの背中に隠れ、ギルドという勢力に何も考えずに与し、誰かがこの世界から元の世界へと連れだしてくれると思い込んでいる。
こいつらは知らない。
この世界が、理不尽という暴力でプレイヤーを殺しにきていることに。
だから、こいつらは簡単にありえないと否定をする。
「――――はぁ……」
クロエは、ゆっくりと息を吐いた。
もはや、クロエにとってギルドの存在はどうでもよくなっていた。
ユウマはデスグリズリーがギルドを襲う可能性を危惧していたが、クロエにとってもはやこんな連中が死のうが生きようがどうでもよかった。
クロエにとって、信じられるプレイヤーはもはやユウマとミコトだけ。
浦野もギルドに送り届けた。
であれば、もはやここにいる理由はない。
クロエはすぐに踵を返して、その場を後にする。
「そ、そうだ! 俺は知ってるぞ。アイツは、駅で血の入ったペットボトルを飲んでいた奴だ。アイツの種族は吸血鬼だろ! アイツの仲間もここにはいない。俺たちの仲間も、ボスじゃなくてアイツが殺したに違いない!! この、化け物め!!」
クロエの背中に向けて、ギルドの誰かが言った言葉が届く。
クロエは、その言葉に立ち止まる。
「――――」
反論する言葉を口に出そうとするが、すぐにやめる。
ここで言い争うだけ、ユウマ達が死ぬ可能性が高くなる。
時間を無駄には出来ない。
今のクロエにとっての最善は、一秒でも早くユウマ達の元へと戻ることだった。
「――クズどもが」
とクロエは呟く。
もはや、このギルドのプレイヤーに対する信頼はない。
クロエは冷たい視線を一度だけ投げかけて、その場からいち早く立ち去るべく、来た道を戻る。
夜の闇を再び駆けるクロエの表情は、どこまでも硬く、険しかった。
次回、ユウマ視点の戦闘から。




