六日目・深夜 共依存
その言葉に、俺は目を瞠った。
クロエも、ミコトのその言葉にハッと息を飲む様子が伝わる。
そしてすぐに、ミコトの意図を察したかのように俺へと向けて口を開いた。
「ッ、そうじゃ、ユウマよ。ここで戦うのは分が悪い。我らを助けるためにも、一度この場から逃げて態勢を整えてはくれぬか?」
「そう、か。……そうだな」
二人のその言葉に、俺はゆっくりと息を吐く。
眼前に現れたボスモンスターへ向いていた意識が、ミコトとクロエの言葉で薄れるのが分かる。
……そうだ。
状況は絶望的だ。
今の俺たちでも勝てるかどうか分からない。
だったらせめて、身体を休めてMPを回復し、獲得したSPを割り振って挑むべきだ。
今はミコトとクロエの言う通り、逃げることにしよう。
逃げて、浦野さんを安全な場所に移動して、態勢を整えてもう一度挑もう。
「分かった」
と俺は言った。
その言葉に、ミコトがゆっくりと息を吐く。
そして、優しい笑みを浮かべると口を開いた。
「ありがとうございます」
「いや……。それは俺の言葉だ。その言葉がなければ、俺は延々とアイツの存在に囚われていた」
〈幻想の否定〉に向いていた意識を、ミコトは〈救世〉へと向けてくれた。
クロエはミコトの意図を察して、言葉を重ねることで俺の意識が〈救世〉へと確実に向くよう後押ししてくれた。
二人が居なければ、俺は真っ先に勝ち目のない戦いに身を投じて…………確実に、死んでいた。
「クロエも、ありがとう」
「……我はミコトに乗っただけにすぎん。礼を言われる筋合いはない」
とクロエも口元に小さな笑みを浮かべて言う。
それから、クロエはすぐに表情を引き締めると言葉を続ける。
「……じゃがの、逃げると言っても状況が厳しいのも変わらぬぞ。逃げるとなれば、あ奴に背中を向けることになる」
「……ああ。だが、戦闘じゃなくて逃亡となれば、やりようはある」
そう言って、俺はデスグリズリーのボス――いや、上位種となったデスグリズリーへと目を向ける。
ソイツは、これから激しく動くことを俺たちに見せつけるように、肩や首をゴキゴキと音を鳴らして動かしていた。
隙だらけなその仕草だが、それは圧倒的な強者たる余裕だろう。
しかし、だからと言って。
アイツは常に俺たちの動きを監視し続けている。
俺たちに不審な動きがあれば、すぐにでも飛び掛かってくるだろう。
今、こうして俺たちが会話を出来ているのはアイツの慢心ともいえる余裕と、俺たちがスマホを取り出すことなく口を動かしているからだ。
ステータスを割り振ろうとすれば、アイツは間違いなく一気に襲い掛かってくる。
モンスターではありえない、人間臭いその仕草に、俺は背筋が寒くなる。
いつでも俺たちを殺せるからこそ、アイツはすぐには動き出さず、俺たちに恐怖を与え続けている。
恐怖で思考が凍り付く。
真っ白となった思考に、じんわりと奴が囁く。
俺はソイツから視線を逸らして静かに、けれど素早く二人へと向けて言った。
「アイツは、明らかに俺たちを舐めてる。襲い掛かればいつでも俺たちを殺せるはずなのに、俺たちを襲う様子がない。あの慢心が、アイツから逃げる唯一の隙と言ってもいい」
「隙、というのは分かるが……。実際、どうするつもりじゃ」
クロエが眉を顰めた。
俺はその言葉に頷く。
「大丈夫だ。それについては考えがある」
と、俺はそう言ってミコトへと視線を向ける。
「ミコト、【聖域展開】は使用できるんだよな?」
「え、ええ……。あっ、なるほど。それを使って逃げる時間を稼ぐわけですね」
「ああ、そのつもりだ」
「【聖域展開】か。確か、一定時間、対象の攻撃を封じるスキルじゃったか? なるほどの、確かにそれならば逃げることが出来そうじゃ」
「え、でもちょっと待ってください! 【聖域展開】は確かに対象の攻撃を封じるスキルですが、効果時間は短いです。三十秒ですよ!? たったその時間で、あのモンスターから逃げられるとは思いません!」
「三十秒か……。短いの。それに――」
とクロエはそう言って傍らの浦野さんへと目を向けた。
「こ奴を連れて逃げるとなると、そんな時間は一瞬じゃろ」
俺たちだけならば、厳しいが何とかなるかもしれない。
だが、浦野さんを連れてとなると話は別だ。
移動は彼を抱えて動くことになると思うが、そうすると回避や攻撃に隙が出来る。
見捨てて行こうにも、『人間』や『天使』がそれを許すとは思えない。
戦力差がある他のプレイヤーですら、俺たちにとっては足枷となってしまう。
だから、まずはソレを外さなければならない。
あの化け物を相手に生き延びるには、そうする他に手がない。
「――だから、まずは浦野さんを東京駅のギルドへと送り届ける」
と俺はゆっくりと言う。
「ミコトとクロエ、二人で浦野さんをギルドへと送り届けるんだ」
「二人で? ちょ、ちょっと待ってください! ユウマさんはどうするんですか!?」
「俺は、【聖域展開】が発動したらすぐにSPを割り振って、ここでアイツを足止めする」
「足止めって! それだと、結果は変わらないじゃないですか! さっきと、結局同じ……。何も変わらないッ!」
ミコトは心の内側で燻っていた感情を爆発させるかのように言った。
「一人で足止めをすれば、その結果――ユウマさんは死ぬじゃないですか!!」
「……だろうな。だが全員で背中を見せれば、俺たちは死ぬ。だからと言って、ここで浦野さんを抱えて戦っても死ぬ。だったら、この方法が一番確実で生き残る方法が高い」
俺はそこで言葉を区切ると、ミコトへと向けてゆっくりと言葉を続けた。
「お前らを助けるためだ。理解してくれ」
「……なるほど。そうきたか」
とクロエが重たい息を吐く。
「お主、我らが何を言いたいのか分かっていないようじゃな?」
クロエが、静かに怒りに満ちた言葉を吐いたその時だった。
――パンッ、と乾いた音が周囲に響いた。
それと同時に、俺の頬に衝撃が走りヒリヒリとした痛みが襲ってくる。
その衝撃と音と痛みが、頬を叩かれたのだと呆然とする頭に状況を教えてくれた。
目を向けると、そこには俺の頬を叩いたのであろう彼女が――ミコトが俺へと厳しい眼差しを向けていた。
彼女は、硬く噛みしめていた唇を開いて、言葉を紡ぐ。
「しっかり、してください……。状況は確かに絶望的です。あなたの種族が、この状況に反応しやすい種族だということも分かります。でもだからと言って、貴方を――ユウマさんを見失わないでください。思考を放棄しないでください。……私よりも、誰よりも、ユウマさんは確かにこの世界で生きにくいです。生きにくいからこそ、必死に生きてください。自分を簡単に、見捨てないでください!!」
ミコトの瞳に薄っすらと涙が浮かんだ。
彼女の言葉に、俺はハッとして自分を取り戻す。
絶望に反応し、『人間』によって侵された思考を――〈救世〉と〈幻想の否定〉を、俺は無理に抑え込む。
…………ああ、あまりにも厄介だ。
絶望が大きければ大きいほど、それに気取られ冷静さを欠いた思考は停滞する。
思考が停滞してしまえば、種族が囁き思考を誘導してくる。
同化率が低くてもそれに抗う意識がなければ、気が付けば誘導されていうことにも気が付くことが出来ない。
『人間』が囁く、俺一人が犠牲になる〈救世〉のやり方でも、確かに彼女たちは生き残る。
『人間』のやり方に従えば全滅というバッドエンドは確かに回避されるだろう。
だが、その先の物語はない。
俺たちが望むのは、ただバッドエンドを回避する方法じゃない。
どんな絶望でも、誰も死なないグッドエンド。
その結末を、俺たちは常に目指している。
「――すまん。どうかしていた」
と俺は二人に向けて、静かに言った。
「すぅー……。はぁー……」
それから、俺はゆっくりと深呼吸をする。
頭に酸素を回して、考えを巡らす。
――――考えろ。
この絶望を打破する方法を。
種族、ステータス、他プレイヤー、戦力差。
様々なマイナス要因があるこの状況でも、生き残る勝ち筋だけを考えろ。
「――ミコト」
そして、俺は言葉を吐き出す。
俺の種族に反するその言葉を。
同時に、彼女に対してだけは言ってはいけないその言葉を。
俺たちが助かる、その活路を切り拓くべく。
俺は、彼女にその言葉を告げる。
「すまん。俺と一緒に残ってくれ。俺は、お前を守る。だからお前も、俺が死なないようにしてくれ。種族の同化率を利用して――俺たちの歪な共依存を利用して、この状況から生き残るんだ」
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在36%です。
俺の言葉に反応するかのように、ミコトのスマホからそのアナウンスが流れた。




