六日目・深夜 -プロローグ-
第四章、開幕! お待たせしました。
――さあ、早く殺せ。
気を抜けば、そんな声が聞こえてくるようだった。
喉元に鋭く突き付けられた絶望によって、呼吸が浅く早くなる。
ふらりと現れたその理不尽に、怒りに燃えて思考が焼き付く。
俺たちがいったい何をした。
ただ精一杯生きているだけなのに。
たったそれだけなのに、この世界はそれさえも許してくれない。
「…………ッ」
唇を噛みしめ、俺は目の前に現れたソイツを睨む。
全身から放つ濃厚な死の気配。
狂気と殺意に染まる赤い瞳は俺たちを捉え、鋭く伸びたその両手の爪は死神の大鎌を思わせた。
MPは枯渇し、限界突破による反動が身体を苛む。
レベルは上がったが、それでもアイツには足りない。
ステータスを上げようにも、その隙さえも許されない。
一歩でも動けば、それが死の合図だ。
この世界で必死に生き延びて、何度も死線を潜り抜けたからこそ分かる。
今の俺たちではアイツには絶対に勝てない。
それが分かっているはずなのに、俺の中の『人間』は、何度も目の前に現れたソイツを殺せと囁き続けていた。
「ミコト、クロエ」
俺は出来るだけ唇を動かさずに、傍にいる二人の名前を呼んだ。
「……はい」
「……なんじゃ」
と二人が俺の呼びかけに答える。
ミコトの声は掠れて、クロエの声は震えていた。
俺と同じ様に、二人も恐怖を感じているのは明らかだった。
俺はゆっくりと、二人に話しかける。
「今の俺たちじゃ、アイツに勝てない。勝てるはずがない。レベルアップで獲得したSPを割り振ろうにも、そんな時間をアイツが許すはずがない。それに――」
とそう言って、俺は傍で腰を抜かしたその人へと、一瞬だけ目を向けた。
そこには限界を超えた恐怖によって錯乱し、うわ言のようにぶつぶつと何かを呟き続けている浦野さんがいる。その視線は合っておらず、失禁によって地面を濡らし、唇の端に泡が浮いたその様子を見るからに、精神が壊れてしまっているのは明らかだった。
「この人が傍に居れば、俺は全力でこの人を守ってしまう。いや、守らなければと思ってしまう」
「〈救世〉の影響か」
とクロエが言った。
「そうだ。それに、俺たちを含めて誰かが怪我をしたとき、ミコトの種族命題が働いてしまう」
「そう、ですね。目の前で誰かが死にそうになれば、私はなりふり構わずお二人を助けると思います」
ミコトはゆっくりと、俺の言葉にそう答えた。
ミコトの種族命題は〈他者生命の尊重〉だ。
『人間』が言うには、ミコトの命題である〈他者生命の尊重〉は、ミコトが認めた他者という対象が怪我や生命の危機に陥った時、ミコトは自分を差し置いてでもその相手を助けようと――その命を救おうとしてしまう、とのことだった。
新宿では、ミコトの他者という対象は俺一人だけだったらしいが、今はそれが俺だけなのかどうかも分からない。
……だが、これまでのミコトの行動を見る限り、クロエもミコトの他者に入っているのは確かだろう。
『人間』は、ミコトの対象がモンスターから俺へと変わったと言っていた。
それはつまり、他者という存在がモンスターからプレイヤーへと変わったということだ。
ここにいるプレイヤーは、ミコトを除いて三人。
ミコトにとっての〈他者〉は、ここには三人存在している。
同時に、その〈他者〉は俺の〈救世〉で助け守るべき存在でもある。
「ミコト、お前がさっき取得したスキルは使えそうか?」
「いえ、さきほどのスキルは……。今は、使えないものです」
「どんなスキルなんだ」
「【天恵】という名前のスキルでした。私の種族同化率が50%を超えなければ使用が出来ないスキル……のようです。効果は分かりません」
……種族同化率が関係したスキルなんてものも存在しているのか。
50%を超えれば使用可能になるスキルなんて、それはもはや俺たちプレイヤーに向けて与えられたスキルではない。俺たちの中に存在している種族へと向けられたスキルだ。
それがどんな強力なスキルだろうと、そのスキルだけは絶対に使わせないようにしなくてはならない。
「そう、か」
ミコトの言葉に、俺は小さく息を吐き出した。
「…………」
状況を整理すればするほど、絶望が重く圧し掛かってくる。
どうすればいい。
どうすれば、俺たちは生き延びることが出来る?
どうすれば――――。
――――いや、ある。
一つだけ、この絶望的な状況を打破できる方法が存在している。
それは、俺の種族同化率を上昇させること。
俺が消えて、アイツが俺になればあるいは――。
「ユウマさん」
思考の渦に沈み込んだ俺を、ミコトの声が掬い上げた。
「ユウマさんが何を考えているのか、私には分かりませんが……。でも、それはきっと間違えています」
ミコトは、はっきりとした口調でそう告げる。
「きっと、貴方のことだから自分を犠牲にしようと考えていることでしょう。でも、それは間違っています。仮にその方法で私たちが助かったとしても、貴方だけが助かっていない。私は……。それを認めません」
「ミコト……」
「私の種族を分かっていますよね? あなたが自ら死に向かうなら、私は自分の全てを賭けて、全力であなたを救いますよ」
それは、ミコトの本心と種族による思考が混ざった言葉だった。
「……ッ」
その言葉に、俺は唇を噛みしめる。
――そうだ。
ここで俺が『人間』へと身体を明け渡したとしても、状況は変わらない。
アイツを殺すために俺が死に目に合えば、今度はミコトが全力で俺を救う。
それこそ、文字通り全てを賭けて。
自らの命ではなく、〈他者〉という存在のためにミコトは全てを投げ出してしまう。
それは、それだけは何としてでも防がねばならない。
『人間』としてではなく古賀悠真という人間として、俺は彼女に対して自分を殺してでも俺を救え、などと傲慢な選択を取ることが出来ない。
「……すまん。だけど、この状況をどうにか出来ないと――」
と俺がミコトの言葉に答えたその時だ。
「グルルルルゥウウウウウウウウ…………」
死神が喉を鳴らした。
それから人間が喉の調子を確かめるように、自らの顎の部分を手でさすると、ゆっくりと口を開く。
「ォ、ぉお、ナカまの、ぅラみ」
獣の唸り声ではない。
地を這うような低く響くその声は、聞き取りにくいが人語だった。
「ブじに、こォ、コから、でラレるト、オモうな。すグには殺サず、じっくリと、ジックりと、お前タチ、を殺しテやる」
そして、ソイツはニヤリとした笑みを浮かべた。
その瞬間、この森に漂う死の気配がより一層濃くなる。
俺たちを襲う殺気がさらに大きくなり、身体がさらに震えあがる。
その気配に、クロエが震える声で言葉を絞り出す。
「……し、して。どうする、のじゃ。し、死ぬ覚悟で、戦うか? 我は、嫌じゃぞ」
「それは……。私も嫌です」
とミコトは顔を青くさせながら言った。
「今は、まず逃げましょう。私たちの状況は、あまりにも不利です。全力で戦うことさえ出来ないこの状況で、無理に戦えば私たちはきっと……。死にます」
「……仮に逃げられたとして、俺たちがここから逃げればアイツはきっと、ギルドを襲う。ギルドにはまだ、プレイヤーがいる。アイツがプレイヤーを殺せば……。さらにアイツは化け物へとなるぞ。そうなれば、もう手が付けられない。アイツは今ここで殺しておくべきだ」
「その結果、ユウマさんが死ぬことになってでも、ですか?」
「ッ」
語気を強めるように言ったミコトの言葉に、俺は言葉に詰まる。
ミコトは、ゆっくりと言葉を続ける。
「あのモンスター……。デスグリズリーが、ギルドを襲いさらに強くなるという危険性は理解できます。なるべく早く討伐した方がいいというのも分かります。ですが、今は逃げるべきです。ここで戦えば、浦野さんはもちろん、私たちは確実に死にます。それは……。それだけは、絶対に避けるべきです。そうですよね?」
ミコトはそう言って、恐怖を隠すように口元に小さな笑みを浮かべると、デスグリズリーから視線を逸らして俺を見た。
そして、俺を見つめながらミコトは言う。
「だから、ユウマさん。私たちを助けてください」




