五日目・昼 緑の街、青の街
俺たちは東京駅を出て、地面に転がっている道路標識を目印に銀座へと進んだ。
相変わらず、土砂降りの雨が降り続けている。
雨除けローブがなければただただ不快でしかなかったが、今はローブもあるし気にならない。
それどころか、激しい雨が俺たちの姿を少しでも見え辛くしてくれるのでありがたかった。
「あれは……」
ふと、クロエが立ち止まる。
視線の先へと目を向けると、また新たなモンスターがそこに居た。
俺たちはすぐにビルの物陰へと移動して、そのモンスターを観察する。
「……あれは、ゴブリン? でしょうか。その割には物々しい武装をしてますね」
瓦礫の上で、どこから手に入れてきたのか。錆びた鉄の棒を手に欠伸をしているモンスターを見てミコトが呟いた。
背丈や顔つきなど、この世界に来てから散々と倒してきたモンスターによく似ている。
だが、その雰囲気はまるで別物だ。
歴戦の戦士のような、欠伸をしていても絶えず周囲を警戒しているその様子に、まったく別物のモンスターのように俺は感じた。
「ゴブリンにしては強そうだな。立ち振る舞いが違う。あいつらはもっと、こう……。何というか、単純だった」
何せ、今にして思えば杜撰な……。地面に突き立てた鉄の棒と、その手前に掘った穴に足を取られて転ぶような奴なのだ。
今、あのゴブリンによく似たモンスターに同じ罠を仕掛けたとしても、絶対に引っかからないだろう。
「ゴブリンではない。あれは、ゴブリンナイトじゃ」
とクロエが言った。
「知っているのか?」
「渋谷にもおったモンスターじゃ。誰が呼んだか、ゴブリンナイトと自然と呼ばれておったの。あ奴らは狡猾でずる賢い。常にこの街を徘徊しては、使えそうな武器を探しておる。おまけに、プレイヤーを倒せばそのプレイヤーの身包みを剥ぐぐらいの知恵はあるようでの。初期にステータスの育成もままならんプレイヤーの多くが、自ら見つけてきた武器を手に挑み、倒され、その武器を奪われておった」
「クロエさん、あのモンスターは強いんですか?」
「いや、正直に言えば食屍鬼よりも弱い。適正レベルで言えば、5ぐらいか? 今の我らなら相手にもならん」
クロエはそう言うと、足元に転がっていたくすんだガラス片を拾い上げた。
そして、その拾い上げたガラス片を俺へと手渡してくる。
「さあ、出発前に話していたことを覚えとるじゃろ? あ奴を倒そうと思わずに、倒してみるのじゃ」
「倒そうと思わずに、ねぇ」
その言葉に、俺はぼやくように言ってガラス片を受け取る。
言葉にするのは簡単だ。
けれど、それを実行に移すのは難しい。
だがそれでも。同化率が上がらない方法を俺は試していくしかないのだ。
「ふー……」
しっかりと狙いを定めて、俺は心が無心となるのを待つ。
「――――っ」
無心となった心で、俺はガラス片をゴブリンナイトへと投げつけた。
ガラス片は真っすぐにゴブリンナイトの額へと当たって、真っ赤な血を噴き上げる。
白目を剥いて後ろへと倒れるゴブリンナイトを後目に、クロエが俺へと視線を向ける。
「どうですか?」
クロエと同じ様に俺へと視線を向けていたミコトが聞いてきた。
「…………ダメだ。1%上がってる」
俺はスマホを取り出して、その画面を確認すると首を横に振った。
「お主、何を考えて投げた?」
とクロエが疑うような目を向けてくる。
その視線に俺は答える。
「特に何も。ただ、アイツへと狙いを定めて無心で投げただけだ」
「……ふむ。もしかすれば狙いを定めたのがダメなのかも知れぬの。狙う、ということはそれだけ相手を意識するということじゃ。意識せずに倒せねば意味がない」
「狙わずに倒すって、どうやるんだよ」
その言葉に、俺は呆れの視線をクロエへと向けた。
クロエは、俺の言葉にしばらく唇に手を当てて考え込んでいたが、ふと何かを思いついたように顔を上げる。
「……ステータスが身体能力に影響しておるこの世界ならば、出来るかも知れぬ」
「何をだ」
「これは、我が見ていたアニメの話じゃが――」
「ちょっと待て」
クロエの語り出したその内容に、俺はすぐさま口を挟んだ。
「今、話していたのは意識を向けずに相手を倒す方法だよな? 狙わずに相手を倒す、その方法を考えていたんだよな? アニメの話じゃないよな?」
「当たり前じゃ」
とクロエは俺に向けて不満げに唇を突き出した。
「話を最後まで聞け。我が見ていたアニメにの、凄腕のスナイパーが出てくるのじゃ。そ奴は弾丸を壁や地面に打って、その跳弾によって相手を傷つけることが可能じゃった」
「……まさか。俺に、それと同じことをやれ、と?」
呆気にとられて俺は呟く。
クロエは、至極真面目な顔をして頷いた。
「ゲームの中のステータスが、実際に我らの身体能力を強化しておるのじゃ。言ってしまえば、今の我らは前とは違う超人そのもの。であれば、正確無比な狙いが出来るDEXがある程度あれば、出来ると思わぬか?」
「思わねぇよ! お前が言っていることはつまり、跳弾を利用しろってことだろ? そんなの無理だ」
「なぜじゃ。ステータスさえ足りておればできるじゃろ」
「あのな……」
俺は、クロエの言葉に頭を抱えた。
「跳弾を狙って当てることなんて出来ねぇんだよ。仮に出来たとしても、銃弾並みの速度で物を投げつけて――しかもそれが、しっかりと跳ねる角度を計算に入れた正確なコントロールで投げなきゃ跳弾を利用してモンスターを倒すのは無理だ」
「あー、もう。ごちゃごちゃと煩い奴じゃの。文句を言う暇があるなら、一度試してから言うのじゃ。行動もせずに口だけの奴はみっともないぞ」
そう言って、クロエは周囲を見渡すと次の獲物を見つけた。
100メートルほど先で、武器でも探しているのかゴブリンナイトがビルの瓦礫を漁っているのを見つける。
「一応、投げる前にDEXを上げておくのじゃぞ? 新宿を出てから、我がレベルアップしておったぐらいじゃ。お主のレベルが上がっていない、なんてことはないじゃろ?」
その言葉に、俺はため息を吐き出してスマホを取り出す。
確かにレベルは上がっていた。
先程INTに割り振った残りのSPもある。
DEXは戦闘系ステータスだから、別に振るのはやぶさかではないが、DEXを上げたところで本当に出来るのかも疑わしい。
だが、もし仮に。
跳弾を利用して倒すことが出来るようになれば、種族同化率を上昇させずにモンスターを倒すことも可能なのかもしれない。
(……まあ、やるだけやってみるか)
俺はスマホの画面を開いて、SPを割り振ることにした。
古賀 ユウマ Lv:20 SP:3→0
HP:128/128
MP:13/42
STR:56(+6)
DEF:51(+5)
DEX:46(+5)→49(+5)
AGI:51(+5)
INT:38(+4)
VIT:51(+5)
LUK:82(+8)
所持スキル:未知の開拓者 曙光 星辰の英雄 夜目 雷走 集中強化 瞬間筋力増大 視覚強化 刀剣術 / 一閃
種族同化率:27%
これで、俺のDEXは補正値込みで54となった。
俺はスマホを仕舞って、地面から手ごろな石を拾い上げる。
「良いか、狙うのは地面じゃぞ。直接モンスターを狙えば、また同化率があがるぞ」
「分かってるよ。……でも、本当に期待するなよ? 跳弾で敵を倒すなんて、普通は出来ることじゃねぇからな?」
言い返しながら、俺はひび割れたアスファルトを見つめる。
崩壊した街は、至る所がひび割れている。おまけに、草木や苔に瓦礫やアスファルトは覆われていて、仮に跳ねたとしてもどこに跳ぶのか分からない状況だ。
石を投げるとすれば、出来るだけ平坦でヒビがなく、緑に覆われていない場所を探すしかない。
「……あそこにするか」
呟き、俺は狙いを定める。
ゴブリンナイトが漁る瓦礫。顔の近くにある、ビルの破片。【視覚強化】で見れば、ヒビは少なく苔もない。入射角さえよければ、運が良ければ跳ねるだろう。
「ふー……」
俺は【集中強化】無しの、純粋な集中力を高める。
頭の中で何度もイメージを行い、身体にイメージを染み込ませていく。
そして、その瓦礫へと狙いを定めて、俺は大きく腕を振りかぶり――投げた。
真っすぐに跳んだ石が瓦礫に当たり、狙い通りの角度で侵入したそれは、狙い通りの跳ね方をしてゴブリンナイトの頭にめり込む。
「げぎゃっ」
バタリと倒れて動かなくなるゴブリンナイトのその姿に、俺は思わず呆気にとられてしまう。
そんな俺とは違って、クロエは満足そうに頷くと口を開いた。
「うむ。やはり、この世界の我らならこれぐらい出来るのじゃな。同化率はどうじゃ?」
呆気にとられていた俺だったが、その言葉にハッとするとスマホでステータス画面を確認した。
「……上昇、していない」
「良かったの、これで狙わずにモンスターを倒すことが出来る」
「ユウマさん、人間卒業おめでとうございます」
とミコトが小さく手を叩いてきた。
「………………」
俺はその言葉と、この結果に、返す言葉が何もなかった。
▽
跳弾の練習をしながら銀座の街を進む。
ステータス的に跳弾が可能でもあっても、それが出来る地形や建造物が少ない。
何度も、何度も試しながらモンスターを狩っていると、いつしか俺のステータス画面に新たなスキルが追加されていた。
≫【空間識強化】
≫視覚による情報をより立体的に把握する能力に秀でた者の証。
≫このスキルの所持者は、目に見える範囲全ての空間を正確に把握することが出来る。
スキルガチャによって入手した新しい力。【空間識強化】によって、俺の跳弾技術は飛躍的に進歩した。
まず、投げた石がどのような跳ね方をするのか手に取るように分かるようになった。
いや、どちらかといえばこれまで予測でしかなかったその跳ね方に、確信が持てるようになったと言うべきだろうか。
さらには、今までは対象までの距離がおおよそでしか判断していなかったが、【空間識強化】のスキルによってより正確な距離が分かるようになったのだ。
これによって、【視覚強化】と合わせた俺の跳弾は、STR次第だが理論上500メートルは届くということが言える。
これを聞いたミコトは、
「つまり近距離と遠距離の両方が出来るようになった、てことですか? はいはい、チートお疲れ様です」
とため息を吐いていた。
そんなやり取りをしながら進むこと十分。
土砂降りの雨で出来た水たまりが徐々に多くなり、やがて踝にまで浸かるほどの高さにまでなった頃、俺たちの歩みはついに止まった。
「……これは」
目の前に広がる光景を見つめて、俺は思わず呟く。
緩やかに、割れたアスファルトを覆う水嵩が増している。
その水嵩は江東区へ進めば進むほど増えていき、やがてビルそのものを飲み込んでいる。
高層ビルの上層部分だけが水の中から顔を出しているその姿は、沈みゆく街の中で必死で息継ぎをしているようにも見えた。
俺は周囲を見渡して、崩れたビルの瓦礫を見つける。
素早くその瓦礫を伝って上にまで登ると、先を見通した。
「…………」
例えるならその光景は、まるでダムの底に沈んだ限界集落のようだった。
水底に沈むかつてのビル街と、アスファルトで舗装された幅広の道路。街頭や信号機、道路標識は全てその役目を果たしていない。水に沈んだビルには水草のようなものが生えていて、壊れたビルの窓から見たこともない魚が我が物顔で出入りしているのが見えた。
これまでに歩んできた街は、例外なく緑に覆われてしまっていたが、銀座から先に広がるこの街並みは、例外なく青に沈んでいる。
雨の雫で広がり続ける水の波紋が、かつての街並みをもの悲しく揺らし続けていた。
俺はその街並みをジッと見つめて、瓦礫を伝ってミコトたちの元へと戻る。
「……浦野さんの言っていた通りだ。この先は、もう全部水の底だよ」
「間違いないのか?」
クロエの言葉に、俺は頷きを返した。
「先に行けば行くほど、水嵩はどんどん増している。海面が上昇している、という話もあながち嘘じゃないかもしれない」
「何か船のような物はないですか?」
「ざっと見た限り何もない。ビルの上を伝うことも難しそうだ。先に進めば進むだけ、ビルはどんどん水に飲まれている。水による腐食と、打ち付ける波で削られたんだろうな。ほとんどのビルが、倒壊して水の中に沈んでいた。まともに形を残しているのは、波の影響を受けない水底にあるものだけだ」
「そう、ですか」
ミコトはそう言うと俯いた。
クロエも、何か思うところがあるようで口を開かない。
俺たちの間にはただ、激しく振り続ける雨音だけしかなかった。
その音だけが、俺たちの隙間を埋めていた。
俺は、雨音を聞きながら浦野さんの言葉を思い出す。
(……ここが、本当に未来の地球だとすれば。俺たちはいったい、どちらの人間なのだろうか)
過去から未来へとタイムスリップをしてきたのか。
それとも、元々この終末を迎えた地球で生きる人間の生き残りなのか。
その答えを、俺たちは誰ひとりとして持っていない。
(……この世界にも、このゲームにも。あまりにも謎が多すぎる。その答えを、この世界に来て一週間も経っていない俺たちには何も、分からない)
もし、その答えを持っている人物がいるとするならば。
俺たちよりも先にこの世界へとやってきたという、ベータテスターただ一人だろう。
「……戻ろう」
と俺は二人に声を掛ける。
「……そうじゃの」
「……そうですね」
雨に掻き消えるような小さな声だ。
俺は空を見上げる。
どんよりとした雨雲はまだ分厚い。もしかすれば、今日はこのまま雨が降り続けるのかもしれない。
(この雨が、早く上がればいいのに)
と俺は切に思った。
そうすれば、ほんの少しでも。
この街がこれ以上の青に沈むことはなくなるだろう。




