五日目・朝 世界の仮説
「簡単に言えば、ストーリークエストのクリアを手伝ってほしいのです」
とその鬼族の男性――浦野と名乗ったその男性は、歩きながら俺たちに向けてそう切り出した。
俺たちは今、浦野さんに案内されて東京駅へと向かっている。
話を聞けば、東京駅にはこのクソゲーのプレイヤーが集まり、拠点である小さな集落を作っているらしい。
浦野さんはその集落のまとめ役をしていると言っていた。
どうやら俺たちを見つけたのは、東京駅周囲の見回りをした帰りだったようだ。
遠くから聞こえてくるモンスターの悲鳴から、プレイヤーとモンスターが戦っていると判断し、俺たちに接触を図ってきた……とのことだった。
「ストーリークエストのクリアじゃと?」
とクロエが不機嫌そうに言った。
この男性に付いていくと決めた時から、クロエはずっとこの調子だ。
どうやら、クロエはいち早くベータテスターの元へと向かうべきだと考えているようだった。
日付が変わればストーリークエストが始まる、という焦りからか先ほどからクロエの言葉には隠しきれない棘が出ていた。
「ストーリークエストは同じクエスト名を持つ者同士で集まり、クリアするものじゃろ。我らは今、ストーリークエストを受けておらん。お主を手伝ったところで、我らには報酬も出ない。お主に協力するメリットは何一つないと思うが」
「でしたら、日付が変わるまで身体を休めてください。この辺りのストーリークエストは、私たちが取り掛かっているクエスト一つだけです。おそらく、あなた達にも同じクエストが与えられると思います」
「どうして我らがお主たちのために、時間を無駄にせねばならんのじゃ」
「何か、先を急ぐ用事でも?」
「江東区に行くんです」
とミコトが浦野さんの言葉に答えた。
浦野さんは「江東区」と小さく呟くと、思い当たる節があったかのように両手を叩く。
「ああ、なるほど。あなた達も、クゼさんの噂を聞いたんですね」
「クゼさん?」
と俺はその言葉に雨除けのローブのフードの下で首を傾げた。
ちなみに、この雨除けのローブは浦野さんに貸してもらったものだ。
どうやら、浦野さんはストーリークエストの報酬で手に入れた、未使用の雨除けのローブがまだ『倉庫』の中に入っていたらしい。
『報酬が被った時は、怒りを通り越して呆れましたが、こうして必要な方に使っていただくことが出来て良かったです』
とその時の浦野さんは言っていた。
不思議そうな顔をする俺を見て、浦野さんは首を傾げる。
「あれ? 違いました? てっきりクゼさん――このゲームの、先行プレイヤーの方に話を聞きに行くものとばかり思ってましたが」
「――あ奴を知っておるのか」
とクロエが警戒心を露わにして浦野さんへと目を細めた。
浦野さんは、クロエのその様子に柔らかな笑みを浮かべると一つ頷く。
「ええ、まあ。私たちはあの方が作る集団――『プレイヤーズギルド』に属してますから」
「プレイヤーズギルド?」
聞き慣れないその言葉に、俺はまた首を捻る。
浦野さんは小さく笑って、説明をしてくれる。
「ええ、どうやらあの人は、この世界から抜け出すために――言ってしまえば、ストーリークエストを本気で終わらせるための戦力の拡大を目的に、正式版トワイライト・ワールドをダウンロードしたプレイヤーを集めているようです」
「あ奴はどこにいる?」
「それは……。言えませんね。もし、あなた達が私たちのストーリークエストを手伝ってくれるなら、クゼさんの元へ案内しますよ」
そう言って、浦野さんはにっこりと笑った。
「……交換条件か」
とクロエが言う。
「ええ、そうです」
と浦野さんが頷く。
「無条件で誰かを手助けするほど、私たちも余裕があるわけではありません。私たちを手伝っていただければ、私もあなた達を手伝いましょう」
「なるほどの」
とクロエは言った。
それから、口元を吊り上げると言葉を続ける。
「じゃが、その交換条件を飲む必要はなくなった。お主の言葉で、ベータテスターが江東区におるのは確実になったのじゃ。であれば、お主に頼らずとも探せば見つかるじゃろ」
「……なるほど、確かにそうですね。江東区を探せば、いつか必ずクゼさんは見つかるでしょう」
浦野さんは、クロエの言葉に頷いた。
「ですが、あなたは一つ勘違いをしている。江東区が、本当にまだ存在していると思っているのですか?」
「……どういうことですか?」
クロエと浦野さんの会話に、ミコトが割って入った。
眉間に皺を寄せるミコトに向けて、浦野さんは視線を向けると言葉を続ける。
「あなた方は、東京の中央区より東に行ったことはありますか?」
その質問に、俺たちは揃って首を横に振った。
浦野さんは俺たちの様子を見て、一つ頷く。
「なるほど。ではなおさら、あなた方だけでこの先へと進むのは無理でしょうね」
「……どういうことじゃ」
「街が、水没しているんですよ。江東区は元々、東京湾を埋め立てて造られた、いわば人工の土地です。言ってしまえば、海面にほど近い場所ともいえます。この世界が遥か未来の地球なのかどうかは分かりませんが、この世界の海面は元の私たちがいた世界の海面よりも確実に上昇しています。それも、一メートルや二メートルの話じゃない。十メートル以上、上昇した世界です。江東区は、一部の建物を残して全て、水の底ですよ」
その言葉に、俺もミコトも、クロエも言葉を失った。
海面の上昇。それは、以前の世界でも話題になっていたことだ。
地球温暖化という原因の元、俺たちの世界でも海面は少しずつ上昇をしている。
だが、それも数百年で数十センチの上昇と言われているぐらいだった。
いくら何でも、数十センチでは街一つが水底に沈むことはない。
十メートル以上の上昇となれば、それこそ数千年の時間が必要となる。
「……ここは、数千年後の未来の地球、なのか?」
俺の言葉に、浦野さんは口元に笑みを湛えた。
「それは分かりません。ですが、この街並みを見ると、その可能性は高いでしょうね」
その言葉に、クロエが眉間に皺を寄せながら口を挟んだ。
「ちょっと待て。それはつまり、ここは地球ということか? 我は地球とは似た別の世界じゃと思っていたが……。ここが未来の地球なら、このゲームはどういうことじゃ。なぜこのゲームが、我らの現実に影響を及ぼしておる」
「さぁ……。それも、私には分からないことです。もしかすれば未来の技術によって、現実を改変させるほどの力が発達したのかもしれません」
と浦野さんは微笑んだ。
「まあ、これは仮説の一つです。もしかすれば、この世界の真実は別なのかも知れませんが」
「別の? この世界が未来の地球ということ以外に何かあるんですか?」
とミコトが不思議そうに言った。
その言葉に浦野さんは頷く。
「ええ。一部の方の間では、本当の私たちは元からこの世界の――未来の地球の住人で、元々あの世界の記憶そのものが夢だった、と言っています」
「夢? それはありえないだろ。俺たちは確かに、あのゲームを……。トワイライト・ワールドをダウンロードして、この世界で目が覚めたはずだ」
俺は、浦野さんの言葉に眉を顰めた。
浦野さんは、その言葉に笑みを湛えて頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「ええ、それは私も同じです」
「だったら――」
と俺は口を開いたが、その言葉はすぐに浦野さんの言葉にかき消された。
「――ですがその記憶が本物であると言い切ることは、誰にも出来ないのですよ」
「……どういう意味、ですか?」
ミコトが難しい顔で言った。
浦野さんはその言葉に答える。
「世界五分前仮説、という言葉を聞いたことがありますか?」
ミコトは頷いて口を開いた。
「えっと……。確か、『世界は実は五分前に始まったのかもしれない』っていう思考実験でしたよね? それと、今の話がどういう関係が?」
「……なるほどの。つまり、我らが持つ元の世界のあの記憶が――、植え付けられた偽物の記憶であると、お主はそう言いたいのじゃな?」
「ええ、そうです」
クロエの言葉に、浦野さんはにっこりと笑った。
「ゲームがこの現実に影響を及ぼす、なんて非現実的でありえないことなのです。これを現実的に当てはめるのだとするならば、本当の私たちはこの未来の地球に住む住人で、何かしらの原因で偽の記憶を植え付けられていて、私たちが想像も出来ないようなオーバーテクノロジーによって、ゲームが現実に影響を与えるようになったこの地球で生きている。そう考えることも出来るわけです」
浦野さんのその言葉に、俺は深く考え込む。
浦野さんの言葉は、聞きようによっては正しいものだと思える。
……もし、この話をこの世界に来てすぐに聞いたなら、俺も素直に信じただろう。
だが、今の俺は種族という存在を知っている。
現実を改変するほどの力――オーバーテクノロジーというものが、このトワイライト・ワールドそのものだとしたら、あの種族という存在はいったい何者になるのだろうか。
「……まあ、もっとも。全て仮説の話です。ここがどんな世界であろうと、私たちの現実は今、ここにある。それだけは間違いのない事実です。もしかすれば、私たちプレイヤーは全員、ゲームの世界に入り込んでいるだけなのかもしれませんよ?」
浦野さんはそう言うと、視線を前へと向けた。
「さて、難しい話はこれぐらいにしておきましょうか」
と浦野さんはそう言って、まっすぐに指を前へと指し示す。
「さあ、到着しましたよ。私たちの〝ホーム〟です」
その指の先には、苔によって緑に覆われ、半壊したかつての東京駅があった。
ただ、これまでの建物と違うのは、その駅には明確な活気が存在していて、モンスターの襲来を防ぐかのように瓦礫で作られたバリケードと、土砂降りの雨の中でも番人のようにバリケードの前に立つローブを着込んだ数人のプレイヤーが、丸の内駅前広場に立っていたことだ。
「ひとまず、身体を休めましょう。あなた方がこのまま私たちを無視して先へ進むか、それとも私にクゼさんの元へと案内を任せるのかは、それから決めてもいいはずです」
そう言うと、浦野さんはにっこりと笑って俺たちの顔を見渡した。
「皆さん、ようこそ。プレイヤーズギルドへ」




