五日目・朝 雷走と遅延
一角狼やロックリザードなどのモンスターを蹴散らしながら進むこと三十分。
分厚い曇天は、やがて耐えきることが出来なくなったかのようにぽつぽつと水が滴り始め、次第にその水は大粒の雨へと変わった。
ミコトとクロエは雨除けローブのフードを下ろして、俺は雨に打たれながら足早に街を駆ける。
周囲を見渡すが、雨宿りが出来そうな場所は見当たらない。
どれも瓦礫となり果て、植物に覆われたその姿に唇を噛みしめる。
通りを走り抜けていると、目の前に見えてきた巨大な森に、俺は目を細めた。
錆が浮いて折れ曲がり、地面に落ちて苔に覆われた道路標識から得た情報から、俺たちが千代田区に足を踏み入れたことは分かっている。
だとすれば、あの森は……。
「……あれは、なんでしょう」
ミコトの目にも見えたのか、正面を見据えてミコトが呟いた。
「森、じゃの。あんな森、東京にあったのか?」
クロエが走りながら言った。
その言葉に俺は言葉を返す。
「あれは……。あの場所は、旧江戸城があった場所だな」
「あれが……? どこからどう見ても森にしか見えません」
ミコトは目の前に広がる木々を見て言った。
これまで何度も見てきた東京の街を見下ろす背の高い朽ちた幽鬼ビルも、植物と苔に覆われて廃墟となった雑居ビル群も存在していない。
鬱蒼と生い茂る緑が広がるその場所は、言われなければ確かにただの森にしか見えないだろう。
「あれだけの森なら、木の下で雨宿りもできそうじゃの」
とクロエが言った。
俺は素早く周囲を見渡す。
降り続ける雨足はどんどん強くなっている。
春先の雨は冷たく、容赦なく俺たちの体力を奪いにくる。
これ以上、雨に打たれ続ければ低体温となるのも時間の問題だった。
「行くしかないか」
と俺は言った。
「そうですね。早めに雨宿りしましょう」
とミコトが俺の言葉に同意を示す。
俺たちは青山通りを駆け抜けて、内堀通りへと足を進める。
かつては都民ランナーが多く走っていたその通りを、俺たちは激しい雨に追い立てられるように走る。
やがて、その森へと続く入り口――かつては江戸城桜田門と呼ばれたその場所に、俺たちは辿り着く。
苔と植物の蔓に覆われた石垣。その合間にある朽ちた城門。奥へと続く道は、鬱蒼とした木々に覆われどこまで続くのか先が見えない。
「先が見えませんね……」
とミコトが呟く。
「じゃが、この先しか雨宿りできそうな場所はないの」
とクロエが言う。
「ひとまず、雨宿りがしやすいデカい木か何かがあればいいな」
と俺は額に張り付く髪をかきあげながら言った。
俺たちはひび割れたアスファルトを踏みしめて、その森の中へと足を踏み入れる。
草木を掻き分け、かつては舗装されていたであろう道を駆けていると、やがて苔で覆われた銅像のある広場に辿り着く。
周囲を見渡すと、元は綺麗に整えられていたのであろう植樹された松の木と、新たに自生したであろう別の樹木が、幾重にも折り重なって小さな屋根を作っているのを見つけた。
「ひとまず、あそこに行こう!」
言って、俺はその場所へと駆ける。
二人も俺の後を追って走ってきて、俺たち三人はその小さな屋根の下に身を寄せ合った。
「凄い雨じゃの」
「びしょびしょです」
ミコトがフードを外しながら呟く。
「ユウマさん。大丈夫ですか?」
「風邪をひきそうだ」
と俺はミコトの言葉に答える。
早めに着替えた方が良いのだろうが、何せ着替えがない。
背負ったバックパックは雨を吸い込み、その中身は水に濡れている。
今朝まで着ていたボロボロのシャツとズボンも、例外ではなかった。
どうしたものかと考えていると、ミコトが羽織っていたローブを脱ぎ始めたことに気が付く。
「何してるんだ」
「ローブのおかげで私は濡れてませんし、今はとりあえず、これをユウマさんは着るべきです」
「別に大丈夫だ。それよりも、それを脱ぐと目立つだろ」
言って、俺はミコトの背中へと目を向ける。
そこには、崩壊した世界ではよく目立つ淡い光を放つ翼が存在している。
「……あれ?」
その翼へと目を向けて、俺は首を傾げる。
「ミコト、お前の翼……。そんなに大きかったか?」
「え?」
ミコトは不思議そうな顔で俺を見た。
「どういうことですか?」
……その反応から察するに、ミコトは気が付いていないようだ。
俺は、ミコトの顔と背中の翼を見比べる。
俺の記憶が確かなら……。ミコトの翼は両翼を広げても一メートルもなかったはずだ。
それなのに、今のミコトの翼は両翼が一メートルを超えているような気がする。
「やっぱり、大きくなってるよな」
と俺は呟いた。
これまでローブで隠れていたから分からなかったが、以前見た大きさよりも、確実にミコトの翼は大きくなっていた。
ミコトは必死で首を巡らせて、自分の翼へと目を向ける。
「……確かに、少し大きくなってるかも」
とミコトは呟いた。
「でも、なんで……」
「種族の身体特徴が強く出る理由なんて一つじゃろ」
激しく振り続ける雨を見ながら、クロエが呟くように言った。
「種族スキル。それ以外に、我らが種族へと近づく理由はない」
俺はその言葉に、リッチ戦でミコトが獲得したスキルのことを思い出した。
【聖域展開】。ミコトの、二つ目の種族スキルだ。
一つ目の種族スキルである【回復】を獲得した時には、翼が大きくなっていなかった――いや、もしかすれば大きくなっていたのかも知れないけど、気が付かなかった。
だが、二つ目の種族スキル獲得によって、その変化は大きく分かるものとなった。
……やはり種族スキルは、プレイヤーが獲得した数だけ、その種族の身体特徴にプレイヤーの身体が近づいてしまうようだ。
同じ二つ、という数の種族スキルを獲得していても、俺の身体が変化しないのは元々人間だからだろう。
以前クロエは、種族スキルは強力な分デメリットがあると言っていた。
そのデメリットが種族の身体へと近づき、その特徴を引き継ぐことであるなら、俺は種族スキル獲得によるデメリットそのものがないのかもしれない。
「グルルゥゥ……」
ふいに、低い唸り声が俺たちの間に割って入る。
驚いて目を向けると、土砂降りの雨の中、ミコトの背中の光に誘われるようにして黒い影が集まってきていた。
目を凝らしてよく見ると、その影が一角狼と新たなモンスターのものであることが分かった。
「ミコト、早くローブで光を隠せ」
素早く、俺はミコトへと指示を出す。
ミコトは慌てたようにローブを着込むと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「す、すみませんでした」
「大丈夫だ。それよりも、戦闘の準備を……。集まってきたのは一角狼と……、あれは熊、か?」
ミコトの言葉に言い返しながら俺は新たに出現したモンスターを睨む。
そのモンスターは、全身が熊の風貌でありながら二本足で歩行しながらこちらへと歩いてきていた。
体長は二メートルほどと大きく、手には岩も易々と引き裂けそうな鋭い爪が伸びている。まともにあの爪を受ければ、DEFがよほど高くない限り致命傷となることは間違いがない。
「全部で一、二、三、四……。十匹か。結構多いの」
とクロエが言った。
すでに俺の言葉に反応して、クロエは戦闘の体勢を整えている。
「一角狼が六匹に、新たな熊型のモンスターが四匹……。熊型のモンスターの強さが分からぬが、一角狼よりも強いのは確かじゃろうな」
クロエはそう呟くと、ニヤリと笑った。
「熊型のモンスターの血をいくらか貰いたい。全滅させる前に、我に一匹残しておいてくれ」
その言葉に、俺はちらりとした視線をクロエに向けた。
「さっき一角狼の血をたんまり採ってただろ。まだ足りないのか?」
すると、クロエは俺へとちらりとした視線を返しながら、呆れたように息を吐く。
「お主は毎日同じ飲み物を飲むのか? 同じ飲み物でも、コーヒーや紅茶、ジュースなど味を変えて楽しみたいと思わぬか?」
……なるほど。どうやら、同じ血液でもモンスターによって多少は味が変わるらしい。
俺はクロエの言葉に軽く肩をすくめると、木の葉の屋根から土砂降りの雨が降る外へと出て、小太刀を鞘から引き抜く。
「分かった。それじゃあ、一匹を残して殲滅するとしよう」
「うむ、頼むぞ」
言いながら、クロエも雨の中へと出てくる。
ミコトもローブのフードを深く被ると俺の隣へと立った。
「私はいつものようにお二人の援護を」
「頼んだ」
ミコトに言って、俺は両足に力を込める。
「ユウマ、お主に合わせて我も出るぞ。この雨の中なら、先ほどよりも日の光が少ない。夜ほどじゃないが動くことが出来るしの」
クロエはそう言うと、スタートダッシュを決めるかのように腰を落とした。
「それじゃあ、三秒後に。タイミングを合わせて飛び出すぞ」
「うむ。了解した」
クロエの返事を聞いて、俺は心でカウントダウンをする。
そして、三秒後。俺たちは一気に飛び出した。
一角狼とロックリザードとの戦闘で、【一閃】の効果は〝その戦闘で遭遇したモンスターに対する最初の一撃目の威力上昇〟だと判明していた。つまりは、モンスターの種族関係なく、その戦闘における初撃の威力が上昇するスキルだった。
であれば、強さが分かっている一角狼よりも、新たなモンスターへそのスキル効果を発揮した方が良い。
「ふっ!」
俺は一目散に新たな敵――二足歩行の熊型モンスターへと飛び掛かる。
両手で小太刀を構えて、ソイツの左肩から袈裟懸けにその巨体を切り裂く。
威力――おそらくはスキルの効果によって切れ味が増した小太刀の刃は、熊型モンスターの巨体をあっさりと引き裂いて、血飛沫を周囲へと飛び散らせた。
「グルァァァアアア!!」
身体を引き裂かれた痛みで熊型モンスターが悲鳴を上げる。
すかさず俺は刃を返して横薙ぎに振り払うと、前蹴りを放って熊型のモンスターから距離を取った。
熊型のモンスターは俺の前蹴りによって体勢を崩したが、すぐに崩れた体勢を整える。
「ゴアァッ!」
怒りに燃える目で俺を睨むと、肩を突き出すようにしてその巨体で体当たりをしてきた。
「ッ! 人間みたいな動き、してんじゃねぇよ!」
地面を蹴ってその体当たりを躱す。
躱し際に小太刀を振るって、その巨体を再度斬りつけた。
「グルルァアアアアアア!!」
度重なる痛みで、ソイツは怒りの咆哮を上げた。
周囲のモンスターも、一方的にやられるソイツを見て俺を警戒したのか、一斉に殺意を俺へと向ける。
そんな時、俺の傍を黒い影が――クロエが駆けた。
クロエは真っ先に一角狼へと近づくと、その首を切り落とすように手刀を叩きこんだ。
ボキリと骨を折る音を響かせながら、声もなく白目を剥いた一角狼を素早く蹴りつけて、一角狼の群れへとその死体を蹴り飛ばす。
一角狼達は、空気へと溶けながら飛んでくる仲間の死体を跳んで躱すと、唸り声を上げた。
俺と相対していた熊型モンスターの意識が、一瞬クロエへと逸れた。
その隙を逃さず、俺は手負いの熊型のモンスターへと突っ込む。
「ッ!!」
小太刀を両手で握り締め、頭の中でイメージを行う。
リッチ戦でのあの一撃を。
会心ともいえるあの動きを。
今の俺にできる、最高の攻撃を。
「おッッらァ!!」
流れるように身体が動き、刃が煌めいた。
小太刀は真っすぐに熊型のモンスターの首へと吸い込まれて、その首を刎ね飛ばす。
巨体が倒れ、色を失い空気へと溶けたのを確認してから、俺はすぐさま周囲へと目を向ける。
「――!?」
その瞬間、目に入る。
俺の右横に居た熊型のモンスターが、その鋭い爪で俺を切り裂こうと腕を持ち上げていることに。
マズい、と思った時には俺は反射的にそのスキルを呟いていた。
「【雷走】、一秒」
「【遅延】、一秒」
俺の言葉と、ミコトの言葉が重なる。
毎秒MPを消費するというスキルに対してのみ出来る、スキルの時間限定発動。
たった一秒。行動阻害と敏捷性向上スキルがぶつかったその時、その熊型モンスターの動きは、俺の目から見て確かに止まって見えた。
俺はすぐさま地面に這いつくばるように、姿勢を低くする。
きっかり一秒後。本来の動きを取り戻した猛撃が、かつて俺の頭があった場所へと振るわれた。
振るわれたその攻撃に、空気が引き裂かれる音が耳に届く。
その音を聞きながら俺は、熊型のモンスターへと足払いを仕掛ける。
がくり、とソイツが体勢を崩したのを確認して、俺はすかさず立ち上がった。
「【雷走】、五秒」
呟き、俺は体勢を崩したソイツへと向けて小太刀を振るう。
AGI任せの連撃。数瞬のうちにソイツの身体を斬り刻み、トドメにその喉元めがけて小太刀を突き出す。
俺のSTRは小太刀の刃を押し出し、ソイツの毛皮と筋肉を断って喉を貫通した。
「ゴ、ァ、ァ」
熊型モンスターの身体が痙攣して、その巨体がゆっくりと地面へと倒れた。
俺は蹴りつけながら小太刀を引き抜くと注意深く戦況を確認する。
一角狼の数は半分へと減っていた。
群れの中心では、クロエがまるで踊るように一角狼の攻撃を躱し、重たい一撃を繰り出している。
ときおり一角狼の動きが鈍くなっているのを見る限り、ミコトがタイミングを見ながらスキルで援護をしているのだろう。
この分なら、一角狼を殲滅するのも時間の問題に思えた。




