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2-08 動物園のバックヤードは異世界です

動物園の裏側には、秘密の世界が広がっていた。

奏は飼育員志望の大学生。採用実習試験のため訪れた動物園で出会ったのは、トラの虎徹、ライオンのレオ、ダチョウのブチョウ……?

動物たちと心を通わせながら立派な飼育員を目指す奏のファンタジックな物語。

 ここは動物園。

 動物たちの活き活きとした姿を見ることができるように柵を減らす努力をしたり、その動物が暮らす環境にできるだけ近づけたり、ふれあいタイムや餌やりタイムもある、地域の子どもたちが遠足で訪れるような普通の動物園だ。

 子どもの頃から動物が大好きだった奏は、目の前の光景に戸惑った。

 飼育員の採用実習試験で来たはずなのに、この広々としたモデルルームのような部屋はいったいなんなのだろうか?

 

「なんだ? 新入りか?」

 奏が見上げた男性には、まるでネコ科猛獣のような黒い耳がついている。

 そしてさっきから気になっているのは、虎のようなシマシマ尻尾が見え隠れすること。

 まさかここの飼育員はコスプレをしないといけないの?

 虎やうさぎならいいけれど、爬虫類のコスプレとかちょっと嫌なんですけど!

 

「虎徹が怖いんじゃない? ね、かわいいお嬢さん」

 優しい笑顔で歩いてきたホストのような男性にも、丸い耳がある。

 周りは黄色っぽい茶色で中が黒っぽい色をした耳。

 これはそう、ライオンの耳。

 尻尾も期待通り先端に黒っぽい毛がふさふさしているあの尻尾だ。

 

「……やっぱりコスプレ」

 先週面接した時はそんなこと言われなかったし、この動物園にプライベートで来た時に何人かの飼育員さんが動物のお世話をしている姿を見たけれど、こんな格好をしている人なんていなかったのに!


「おい、レオ。コスプレってなんだ?」

「さぁ。なんだろうね?」

 腕を組みながら虎徹とレオが顔を見合わせる。

 背が高い二人に見降ろされた奏は、思わず後ずさりをした。


「おぉい、レオ~。そろそろ外に出てくれ」

 早めに掃除をしたいんだと声を掛けられたレオは奏の頬にそっと口づける。

「またあとでね。お嬢さん」

「ふぇっ?」

 ウィンクしながら去っていくホストのようなレオに奏は真っ赤な顔になった。

 

 扉を開け、一歩出たレオの姿は一瞬でライオンに。

「はぁぁぁぁぁぁ?」

 信じられないものを見てしまった奏は、もうそのまま気絶するしかなかった。


    ◇


 目が覚めた奏は普通の事務所っぽい天井と普通の茶色いソファーにホッとした。

 なんだ、夢だったのか。

 

「大丈夫かい?」

「す、すみません。今日からお世話になる」

「うん。松野奏ちゃん。だね」

 急いで起き上がらなくても大丈夫だよと言ってくる優しそうなおじさんは副園長の伊藤さんだと名乗ってくれた。

 

「初日から遅刻なんて本当にすみません」

 勤務態度が悪いって不採用にされたらどうしよう。

 せっかく採用実習試験を受けることができたのに。

 

「体調が悪いときは無理せず休んでいいからね」

 動物にも病気がうつることがあるからと言われた奏は、すみませんと頭を下げた。

 

「体調は悪くなかったのですが、なぜか急に眠ってしまったみたいで」

「もしかしてあっちに行った?」

 口元に手をあてながら「まさかな」と呟く伊藤に奏は首を傾げる。

 

「あっち……とは?」

「ん~と、この事務所よりも広くて綺麗で、モデルルームみたいな」

「あっ! そうです。そちらに間違えて行ってしまったみたいで……?」

 あれ? 夢なのにどうして伊藤さんが知っているの?

 それにその驚いた顔はなに?

 どういうこと?

 

「そうか。随分と気に入られたんだね」

「……え?」

「ここのバックヤードは異世界と繋がっているらしいよ」

 私は行ったことがないんだけれどねと軽くとんでもないことを言いだした伊藤の言葉に、奏は絶句した。

 

 異世界ってアニメとか小説とかで出てくる、転生したり目が覚めたら悪役令嬢でしたとか、そういうものでしょう?

 モデルルームみたいな異世界ってなに?

 

「園長も行けるそうなんだ。でも我々は行ったことがなくてね。動物たちと普通に話せるなんて羨ましいよ」

 行けるのは園長と私だけ……?

 なんで?

 

「みんなが人みたいな姿って本当?」

「はい。耳や尻尾は動物のままなんですけど」

 行ってみたいなぁと伊藤は笑う。

 

「着替えたら動物園を裏から回ってみようか」

「はい。よろしくお願いします」

 更衣室を教えてもらい飼育員の作業服に着替えた奏は、伊藤の案内でバックヤードを順番に回った。

 お客さん側から見る動物園とは異なり、大きくて重たい扉や冷たそうなコンクリートの床の檻が続く。健康チェックのための装置や体重測定の部屋もあった。


「ここがね、うちの動物園で一番人気のライオン、レオの部屋」

「レオさん?」

 レオって、あのホストみたいな人だよね?

 ふさふさで毛並みがよく、ボリュームのあるたてがみは少し長めの髪と同じ。

 耳は丸く、黄色っぽい色で中が黒い。

 堂々と歩く姿が、あのとき奥から歩いて来た時の姿を思い出させる。

 ありえないはずなのに、奏はなぜかこのライオンのレオが、あの部屋で会ったレオと同一人物、いや、同一動物だと納得してしまった。


「隣はアムールトラの虎徹」

 あの人だ。最初に話しかけてきてくれた人。

「アムールトラはライオンとほぼ同じくらいの大きさの、トラの中でも大きい種類ですよね」

「そう。よく勉強しているね」

 虎徹とレオの身長は同じくらいだったけれど、この身体の大きさとも関係あるのだろうか?

 そこまで考えた奏は、異世界を普通に受け入れてしまっている自分に苦笑した。


 キリン、ゾウ、カバ、キツネ、カピバラ。

 レッサーパンダにリンゴをあげる時間に遭遇し、両手で持つ姿がとても可愛かった。

 シマウマはお昼寝中、シロクマは暑いのか池の中でくつろぎ中だ。


 この子たちもあの部屋にいるのだろうか。

 ゾウは大きい耳が付いているのかな?

 妄想を繰り広げながらバックヤードを楽しんだバチが当たったのだろうか?


 翌朝、今日も迷い込んでしまったモデルルームに奏はがっくりと肩を落とした。

 さすがに二日連続で遅刻するのは許されない。

 社会人として、ダメ絶対!

 

 昨日レオが出ていった扉に向かって早歩きをしていた奏は、横からトテトテと出てきた小さな男の子に気づき、足を止めた。

 可愛らしい丸顔、三角耳はふさふさ。髪は褐色、そして尻尾が特徴的なこの男の子はレッサーパンダ!

 

「おねぇちゃん。あのね、僕ね、りんごよりもバナナが好きなの」

「あっ、もしかして昨日りんごをもらっていた子?」

 奏が答えると、男の子は奏の足にギュゥッとしがみついた。

 

「バナナが食べたいってナンナンに言っておいてくれる?」

「ナンナン?」

 って誰?

 よくわからないけれど、レッサーパンダの担当の人に伝えれば……、いや、バナナがいいって言っていたよって私が言うの?

 おかしくない?

 変な子じゃない?

 私、大丈夫?


「んー、わかった。伝えておくね」

 期待のまなざしで見つめられた奏は、男の子の頭を撫でながら答える。

「やったぁ!」

 ぴょんぴょん飛び回る男の子に言ってくるねと答えた奏は、急いで扉を開けた。


「……あれ?」

 振り返ると、そこはもうモデルルームではなく普通の入り口。

 

「異世界ってなんなの!?」

 奏は思わずツッコみながら更衣室へ急いだ。


「おはようございます」

「あら、おはよう」

 今日は遅刻じゃないのねと笑われた奏は、正直に「今日も危なかったです」と答えた。


「あっ! 南原さん、レッサーパンダの担当ですか……?」

 あの子が言っていたナンナンって、きっと南原さんのことだ。

「正解! これでわかった?」

 南原が指差したレッサーパンダのマグネットに奏はうんうんと頷いた。

「あの、変なことを言いますけど、聞き流してもらっていいですけど、その」

 変な子だと思われそうだが、あの子との約束を破るのも気が引けると思ってしまった奏は、思い切って南原に打ち明けた。


「リンゴじゃなくてバナナがいいそうです!」

 せっかく優しいお姉さんと一緒に働けると思ったのに!

 初日は遅刻して、二日目にはバナナがいいって言いだした変な子だと思われると想像していた奏は、噴き出して大声で笑いだした南原の姿に呆然とした。


「あっ、ごめんごめん。あっちにいっちゃうって本当だったんだ」

 笑いすぎて出てしまった涙を手で拭った南原は、興味津々で奏に聞き始めた。


「ね、バナナがいいって言ったの、マオでしょ」

「名前は聞かなかったのですが、えっとこのくらいの背の、丸顔の男の子で」

「右耳がちょっと欠けていなかった?」

「あっ、そうかもしれないです」

 やっぱりマオだと笑いながら、南原はリンゴは食べても安全で、しかも安価で日持ちがしていいのだと教えてくれた。

 大量に仕入れることで食費を安くしているのだと。

 

「バナナはすぐ黒くなってしまうから……?」

「そうなの。だから毎日は無理なのよ」

 今日マオに謝るわと笑いながら南原は更衣室を出ていく。


 この動物園、異世界に寛大……?

 動物園ってもしかしてこれが普通なの?

 

 今日から順番にお世話体験をさせてもらうことになっている奏は、朝礼後、ふれあいゾーンのうさぎ厩舎に向かった。

 職場先輩に背中やおでこから耳の付け根、そして目の下を撫でると喜ぶと教えてもらった奏は、言われた通りにやってみる。

 

「それはね、気持ちがいいってことなんだよ」

 もっと撫でて欲しいというアピールだと職場先輩に言われた奏は「かわいい」と思わずつぶやいてしまった。


 そして翌朝は――。


「おい、男に向かって『かわいい』なんて馬鹿にしているのか?」

 グレーで長い垂れ耳をした小学生くらいの男の子が仁王立ちしている姿に、奏は項垂れた。

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