2-07 瓶詰め人魚と間抜けな私 ~ワンルーム奇異変妙譚~
『私』の隣の部屋に住むミズキさんは少し━━かなり変わった人であり、旅行から帰ってくる度になんだかよく分からない物ばかりをお土産として渡してくる。
「海なんだって、これ。この小さな瓶の中に、ちっちゃな海が詰まってるんだよ」
そんな旅好きの隣人から例によって海外旅行のお土産として手渡されたのは、瓶に詰められた綺麗な水だった。
『私』がそれを諦めながら受け取り、そしてミズキさんが立ち去った後。
「ちょっとこれ、開けてくださらなぁい?」
━━━━━━━やけに可愛らしい声が、瓶の中から聞こえてきた。
海外旅行のお土産として瓶詰めの海を貰った。
小さな海には、小さな人魚が住んでいた。
***
「何ですか?これ」
「海なんだって、これ。この小さな瓶の中に、ちっちゃな海が詰まってるんだよ」
とある日の昼下がり。私は玄関先で訝しみながら、ミズキさんの持つ瓶を眺めていた。サイズは一升瓶よりふた周り程大きく、口にはまるでシャンパンか何かのようにコルクで栓がされている。透明な瓶の中では、目の細かい砂と微かに青緑っぽく色のついた水面が揺れていた。
「海って……何です、また変なもの持ってきたんですか?」
「変なものって、よりにもよって君が言うのかい?」
そう言ってミズキさんは小さく笑った。
隣の部屋に住むミズキさんは大変な旅行好きである。聞いた事の無いような国へ頻繁に行っては、よく分からない物ばかりをお土産として持ってくるのだ。だから私の家はどこかの部族のお面やら、なぜか『石油』と漢字で書いてあるTシャツやら、巨大な角が生えた動物の頭蓋骨やら、そういう意味の分からない民芸品で溢れかえっているのだ。定職に着いているとは到底思えないフットワークの軽さだが、冒険家のような、そういう旅行そのものを仕事にしているのだろうか。
そして今回持ってきたのは、いつものそれに輪をかけて奇妙なお土産である。瓶詰めの海、とは一体どういう事なのか。
「ほら、耳当てて聞いてみ?ざざーん、ざざーん……って音がするでしょ?」
言われた通りに瓶を耳に近付けると、ぼんやりと潮騒が聞こえてくる。蓋のすき間からは微かに潮の香りがするので、なるほど、これは確かに「瓶詰めの海」と言ってもよいのだろう。
「まあ、とりあえず貰っといてよ。別にこのサイズなら置き場所に困ったりはしないでしょ?」
「いやまあ、いつものよりかは小さいとは思いますけど……それでも大きいと言えば大きいですからね?」
私の言葉を聞いているのかいないのか、ミズキさんは私に瓶を押し付けるように渡すとそそくさと荷物をまとめ始めた。
「?何です、もう行っちゃうんですか?」
「うん。この後ちょっと、人と会う用事があってね。それもあってちょっと今夜も帰れなさそうだから。鍵を返すのはまた明日って事でいいよ」
「はいはい、大家さんにも伝えときます?」
「ありがとう。お願いできると嬉しいかな」
ミズキさんはいつも旅に出る時、私に部屋の鍵を預けていく。それはなぜかというと、いつもとんでもない場所まで行くせいで自分で持ち歩いていると必ずどこかに落としてきてしまうだろうから、らしい。
「とにかく、それじゃあそういうわけで。鍵、お願いねー」
そう言うとミズキさんは私に瓶を押し付けるように手渡して、トレードマークの高下駄を鳴らして歩いて行ってしまった。
***
ミズキさんが行ってしまったあと私に残された問題と言えば、この瓶をどこに置いておくか、というものだった。そこらの棚に飾っておこうにも、めぼしい場所は既にこれまでにミズキさんから貰ったお土産達で完全に埋まっており新たに置けるようなスペースはない。それに水が入っているせいか案外重いため、あまり不安定な場所に置くのも憚られる。
しょうがないから、行儀悪いが一旦三和土に置いておいた。もう少し部屋を整理してから考えようと思っていた、その時。
「こんにちはぁ。ちょっとこれ、開けてくださらなぁい?」
可愛らしい、変に間延びした声が聞こえてきた。
「……?」
一体どこから声がしたのだろう、と訝しむ。変にくぐもった、何かの物越しに喋っているような声だ。隣の部屋からの声かとも思ったが、その家主のミズキさんがどこかに行っている以上それはありえない。それに反対隣の汚部屋の住人は夜型生活な上に男性だから候補から除外できる。
すわ泥棒かとぐるりと辺りを見渡す。が、それらしい人影は見つからない。狭いワンルームのアパートなのだから、いくら私の部屋がお土産で溢れかえっているとはいえ隠れられる場所などそうそうない。一番ありえるとしたら壁際の巨大な信楽焼の裏側だが、そこを覗いてみても誰も潜んでいなかった。
「……気のせい、かな」
「気のせいじゃないわよぉ。こっちよ、こっち」
呟くと、今度はもっと大きく、はっきりと聞こえてきた。なんだか嫌な予感がして振り返る。声は玄関の方で聞こえた気がしたからだ。
「いや、やっぱり気のせいですよね。最近寝不足気味でしたけど、とうとう幻聴まで聞こえてくるとは」
「なにぃ、なんで現実逃避みたいなことしてるのぉ?」
「うわ返事してきた」
こちらの声に反応してくるなんて、最近の幻聴はずいぶんと性能が良いらしい。やっぱり幻聴業界も日々アップデートしていかないと生き残れないの━━━━
「そういうボケいいから。早く開けなさいよ」
「あっはいすみません。今行きます」
割と冷ために言われてしまった。こちらが素なのだろうか、先ほどまでの間延びした声とは違って気持ち低めな声である。
そして、まあ。ここまで言われたらさすがの私でも声の発信源は特定できる。部屋を出て、キッチンと廊下と玄関で一体になっている狭い空間に足を踏み入れる。そのままずんずん進み、三和土へ降りて海の瓶を拾い上げた。
瓶の中は相変わらずきめ細かい砂と僅かに青緑色をした水が詰まっているだけで、他には何も見えないが、しかし。
「ちょっとぉ。いきなり持ち上げないでよ、揺れて危ないじゃない」
「持ち上げるって……やっぱり、ここにいるんですか?」
「そうよぉ。この瓶の中もそろそろ飽きちゃったし、もう入ってる必要も無いから。風呂おけでもなんでも、手頃な容れ物に移ろうと思うのよぉ」
相変わらず声はすれど姿は見えない。瓶の中の水を揺らしてみると、きゃあ、と揺れに合わせて可愛らしい悲鳴が聞こえた。
「ちょっとぉ!あなた遊んでなぁい!?揺らさないでって言ってるでしょぉ!?」
怒られてしまった。すみませんと苦笑しながら謝り、風呂桶を求めて風呂場へと向かう。
昨日使った後で汚れが少し気になったので念の為洗剤で洗い、そしてきゅぽん、と瓶のコルク栓を抜いて中身を空けた。ざあっ、と水と砂が一緒くたになって流れ出し、濁った水となって桶を満たす。少し待てば砂が沈殿していき、まるで浅い海のようだ。
淡いエメラルドグリーンの、南国の海の色である。
それだけではない。
「……ふう。やぁっと出られたわぁ。あの人、すぐ着くとか言ってたクセに随分かかるんだから。嫌になっちゃうわぁ」
初めは波も立たず真っ平らだった水面がゆっくりと盛り上がりはじめ、持ち上がったそれは徐々に形を成していく。
円筒から大小のくびれができて、切れ込みが入って、丸みを帯びて。
アニメーションのような動きで変形するその水の動きが止まった時、そこには手のひら程の大きさの少女がいた。
しかも、ただの少女ではない。
だって水面の下でふわふわと揺れる彼女の下半身は、両足があるのではなく、深海のように深い青色をした鱗で覆われた魚のようだったのだから。
「おや。あなたは人魚なんですか?」
「あら、あの烏さん……ミズキはなぁんにも言ってなかったわけぇ?」
通りで察しが悪いわけだわぁ、と肩を落としてため息を吐く人魚。存在自体が非現実の塊のようなはずなのに、その仕草はやけに現実的で俗っぽく見えた。
「ちょっと、ちょっとねぇ。故郷の方でいろいろあって、ミズキに助けて貰ったのよ。こっちに━━日本に来れば住むアテもあるからって」
色々ってなんだよとか、そんな子を助けるなんてミズキさんもやるじゃんとか、住むアテって私の事かよとか、勝手に私の家を勧めるなよとか色々と言いたい事はあるが。
それでも、既にここまで来てしまった彼女を今更追い帰すわけにもいかず。仕方がないと一つ息を吐いて言った。
「……じゃあ。よろしくお願いします、でいいですか?」
「うん。よろしくお願いするわぁ――ところであなた、私が出てきてもあんまり驚いてなさそうだったのだけれど……なぁに、私みたいなの、見たことあったぁ?」
問われ、そういえば、と合点した。
「ああ、言ってませんでしたか。人魚は見たこと無いんですけど━━ほら、私はこれですから」
言いながら、ぐわり、と力を籠めると。
服の背中が盛り上がり、生地を突き破らんと内側が蠢き始める。
丸まっていたものが広がり、形を成し、服を押しのけて表れたのは━━
「…………天使さま、でいいのかしらぁ?」
「墜落した間抜けな、が頭につきますけどね」
今度は少女が呆気に取られる番だ。呆けた様子で尋ねる彼女に笑いかけ、背負った真っ白い翼を一振りする。頭の上では光の消えかかった光輪が弱く点滅し、ばさり、と音がして羽根が一本抜け落ちた。
「ま、そういうわけで。変わり者同士、仲良くしましょう?」
驚かせてやったという事にいたずら心をくすぐられながら笑いかけ、手を差し伸べる。そこで彼女も気を取り戻したのか、私の指を小さな手で握ってきた。
サイズ違いの握手をしながら。それはそれとしてミズキさんには今度高いお肉でも奢ってもらおう、とそう決めたのだった。
***
日本の片田舎━━というほどでもないが、都会でもない郊外にその建物はあるという。
一見すれば普通のアパートに見えるそこにはなぜか、普通ではないモノが集まるようで。
例えば。
そこにはだらしない吸血鬼が住み、高下駄を履いた旅好き天狗が住み、墜ちてきた弱小天使と手乗りサイズの人魚が住む。
━━おかしなアパートはその名を、『あやかし荘』といった。





