2-14 物語の序盤で処刑される悪役女王に転生したので、息子を大切に育てたいと思います
目を覚ますと、そこは生前に読んだ小説の世界だった。
どうやら私は物語の序盤で処刑される悪役女王――アルティナ・ローゼルに転生してしまったらしい。
アルティナは悪政を敷いて国を混乱に導いたり、実の息子――アベルを虐待して隣国との国境に捨てたことにより、反乱軍の長となったその息子から処刑される運命にあった。
その死の運命を変えるべく私はアベルに会いに行くのだが、顔を合わせた幼いアベルは想像をはるかに超える境遇にあり、私は気づいた。
自分がどうしてこの世界に転生したのか、その意味に。
ローゼル王国の女王が死んだ。
先王を弑逆し、悪政を敷いて民を苦しめた女王が。
ローゼル王国を血に染めた魔女が。
落ちてきたギロチンの勢いで首が飛んだ。遅れて血しぶきが舞う。
舞った血しぶきが、女王の汚れの知らない真珠のような白髪を真っ赤に染め上げた。
処刑人が頭を無造作に掴んで、声高らかに宣言する。
「アルティナ・ローゼルはここに処刑された! 我々を苦しめた魔女はもうこの世に存在しない!」
十数年も国民を苦しめた魔女の最期とは思えぬほど呆気ない死に、呼吸を忘れていた民衆たちが遅れて歓声を上げる。
轟く歓声に、王座に腰かけた新しい王は、母だった罪人と同じ深紅の瞳を見開いた。
「……今、笑っていた?」
首を刎ねられる直前、女王は確かに笑っていた。
心の底から満ち足りたような、どこか憎悪すら感じる笑顔だった。
女王である母親に隣国に追放された元王子であり反乱軍の長を担ったアベルは、母親の最期の笑みに疑問を持つ。
(どうして、笑っていたんだ?)
ふと、幼いころの記憶がよみがえる。
女王としてローゼル王国に君臨していた、アルティナ。
彼女は息子を虐げていた。
教育とは思えない残忍な方法で息子を躾けた。
鞭で打ったり、冬の寒いなか裸で外に放りだされたこともある。
アベルはそんな母親に恐怖して、震えることしかできなかった。
アルティナは、アベルを虐げるたびに笑みを浮かべていた。
楽しくて仕方がないというような、子供が無邪気に遊び回るような笑い声を。
「これは復讐よ」
彼女はことあるごとにそう繰り返した。
女王アルティナ・ローゼルは、この王国を破滅に導いた魔女だ。
王国の貴重な資源を盾に近隣諸国から金を巻き上げたかと思うと、隣国に戦争を吹っ掛けた。戦争により疲弊し、病気や飢餓に喘ぐ民衆の姿など見えないかのように、アルティナは贅の限りを尽くした。
この国を滅ぼす寸前まで壊した魔女を、やっと処刑したというのに。
アルティナの死は解放をもたらすどころか、アベルの心にさらに濃い闇を残しただけだった。
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これが、私が死ぬ直前に読んでいたロマンス小説のプロローグだ。
処刑場からの帰り道、アベルは突然馬車の前に飛び出てきたエリシアという少女を助ける。
驚くことにエリシアの髪は真珠のように白く、瞳は澄んだ赤色だった。
エリシアの姿に憎んでいたはずの母の面影を重ねたアベルは、周囲が止めることも聞かずにその平民を自分のそばに置くことに決める。
それからのアベルは、母親の面影を探しながらもエリシアと気持ちを育んでいく。
最終的に、アベルは母親の面影を振り払うことができて、自分にとっての最愛――エリシアのことを受け入れる。
そして結婚して幸せに暮らしましたー、となるめでたしめでたしのハッピーエンド。
私は、そのロマンス小説で序盤に処刑される悪役女王――アルティナ・ローゼルに転生してしまったのだ。
「なんで、よりによってアルティナなのよ!」
自分が転生した人物が誰かを知った時、咄嗟に出てきたのがその言葉だった。
アルティナはたった一人の息子を虐待して、あろうことか国外に追放した人物だ。
物語の序盤で処刑されるものの、彼女は死後も息子であるアベルを苦しめた。
その苦しみを和らげたり、たまに衝突したりするのがヒロインであるエリシアの役割だった。
二人の綱渡りのような関係は、時にハラハラとしたり目が離せないものが多く、それまで他者を信じられなかったアベルがエリシアの根気強い説得により徐々に他人を受け入れられるようになる展開には、つい前世の自分の境遇と重ね合わせて涙を流したこともある。
私はその小説が大好きで、涙をポロポロ流しながら何度も何度も読み返した。
ウェブ小説だったこともあり、熱いコメントを送ったことも少なくない。
でも、その小説で唯一許せないキャラがいた。
アベルの母であり、物語の序盤で処刑されるアルティナ・ローゼルだ。
前世の私は親元を離れて、小学一年生のころから児童養護施設で暮らしていた。
当時はまだ幼くてよくわからなかったけど、後から聞いた話だと親にちょっと問題があったそうだ。
児童養護施設には様々な事情を抱えた子供たちがいた。
中には虐待されていた子供たちもいて、その子供たちは心に深い傷を抱えていた。
そんな子供たちとともに成長して、私は十八歳で児童養護施設を卒業した。
だから、余計に憤ってしまったのかもしれない。
小説の登場人物であるアルティナが子供を虐待して、死に追いやろうとしたことに。
『子供は幸せに生きなければならないんです。不幸な子供なんて、存在してはいけないんですよ』
それは、私を育ててくれた児童養護施設の先生の言葉だった。
私はその言葉を胸に、自分も将来児童養護施設で働きたいと考えて、児童指導員任用資格を取得するために福祉施設で働くことが決まった矢先に事故に遭ってしまったのだ。
「転生するにしても、なんでよりによってアルティナなのよぉおお! いつか息子に処刑されるキャラに転生するなんて……。前世でも、結婚どころか子供もいなかったのに。家族だって……」
はあ、と落ち込んでいても仕方ない。
少なくともアルティナに転生したからには、処刑される未来をどうにかしなければいけないのだから。
「……そうだ。アルティナは悪政を敷いて国民を苦しめて、なおかつ息子のアベルを虐待したから処刑されるのよね? ……それなら女王として真っ当に国政を担って息子を大切に育てれば、死ななくてすむんじゃない?」
そうと決まれば、まずはアベルの救済からだ。
いつまでもベッドの上でグダグダしていても仕方がないので、まずは侍女を呼び出すことにした。
「お呼びでしょうか?」
やってきた侍女は、そうとわかるぐらい震えていた。
アルティナは、侍女だろうと使用人だろうと宮殿の勤め人だろうと、ひとつでもミスしたら容赦なく罰する。侍女は貴族出身が多いから命を奪うまではいかないが、それでも侍女たちからするとアルティナは恐怖の対象だった。
「聞きたいことがあります」
転生してからは初対面だということもあり敬語で話しかけると、侍女が大きく目を見開いて急にガタガタ震えだした。
「ど、どうかされたのですか? 私に、け、敬語だなんてッ」
「ち、違うのよ。ただ、聞きたいことがあって」
「わ、私はどうなってもかまわないので、家族のことは許してくださいぃぃ」
侍女は両手を組み合わせると床に頭をつけた。
あまりにも素早い動きで、止めることができなかった。
「あなたを罰したりはしないわ。ただ、私はアベルの居場所が知りたいだけよ」
突然キャラが変わるとこの侍女みたいに驚かれると困るのでアルティナっぽく振舞うと、彼女はわかりやすくホッとした顔になった。
「王子殿下でしたら、離宮にいらっしゃると思います」
「離宮?」
宮殿にはいくつも建物があるからその内のひとつだろう。
「それなら、私をそこに案内してちょうだい」
「……え、会われるのですか?」
侍女は信じられない物を見るような顔つきだった。
その時、ガツンと頭が殴られたような感覚がして、脳裏に記憶が流れ込んでくる。
『アレは、離宮にでも閉じ込めておきなさい。私の視界に入れないで』
これは、アルティナの記憶だ。この体に転生したときもそうだったが、断続的にアルティナの記憶が脳裏を過ぎっていくことがある。
私は痛む頭を押さえながらも、驚いている侍女に命令する。
「いいから早く、アレのところに私を案内しなさい」
「ッ、承知しました!」
その後、頭痛はまるで何事もなかったかのように引いていた。
アベルのいる離宮に向かう時にはもう治まっていて、私は馬車に揺られながら外の景色を楽しむことができた。
日本人だった前世では見られなかった景色が目の前に広がっている。
宮殿の庭園は広いという言葉だけでは現せられないほど広大で、道の先に何が続いているのだろうと思いを馳せるだけでも楽しかった。
そんなこんなで景色を堪能していると、離宮に辿り着いた。
馬車から降りると、侍女から長い紐のようなものを渡される。
「これは?」
「陛下は、王子殿下に会うときはいつもこれをお持ちになられています」
それは鞭だった。人を折檻するために使うものだ。
「今日は要らないわ。捨てておいて」
「承知しました」
――ふぅ。私はアベルを救うために来たのに、あんなものを持っていたら怖がられてしまうわ。それにしても。
離宮というからもう少し豪勢なところを期待していたのだが、そこにあるのはうっそうとした森の中にある陰鬱な建物だった。
「……こんなところに、アベルが」
私はそのまま建物の中に入る。
そして、そこで私が見たものとは――。
「あ、あ、あああああああん」
私を見た瞬間叫び声を上げたかと思うと、泡を吹いて気絶するアベルの姿だった。
そこで私は気づいたのだ。自分が勘違いしていたことに。
私は、生き残りたくて、処刑されないようにアベルを助けようと思って会いに来た。でも違う。私の未来なんて関係ない。
どうしてこんな大切なことを忘れていたのだろう。
子供は、幸せに生きるために産まれてきたのだ。
私がアベルを幸せにしなければいけない。
きっと、それが私がアルティナに転生した理由なのだから。





