2-11 殺人のクオリア
ジクタが十五歳の誕生日を迎えた日、能力者を集めた施設の管理者であるシスターが殺された。警察官に包囲された施設で、これからどうすればよいか悩んでいたジクタは、同じ施設で育った少女のナノと協力して能力を使ってその場所から脱出する。
ジクタはシスターを殺した人間を捕まえようと決意するものの、施設で育ったジクタには行くあても生活能力も無かった。無計画に歩いていたジクタとナノは、同じく施設で育った大男のロスツと出会う。彼に誘われて能力者が集まる組織に参加したジクタは、組織を攻撃してくる敵と戦っている最中にロスツがシスターを殺したことを知る。
ロスツと敵対することになったジクタは、施設の目的は能力者の保護などではなく、能力者の臓器を移植してビジネスを行う政府系の団体であったことを知る。組織と団体の両方から追われることになったジクタは、逃げ延びながら追い求めていたものを発見した。
海が見える丘の上で風景を写生していたらシスターが後ろから覗き込んできた。甘酸っぱい匂いを漂わせながら、僕の耳元に息をかけながら話しかけてくる。
「ねぇ、白いの出し過ぎ。もっと良く考えて。焦りすぎてるんじゃないかな。自分だけ気持ちよくなればいいってのじゃ駄目」
「でも、シスター」
「夕陽はもっと赤いのよ」
シスターは自分の髪が画用紙の上に落ちていることも気にせずに、僕を覆うような体勢で赤色の絵の具を掴んだ。ドピュっと出しすぎじゃないかと思うくらい勢いよくパレットの上に出した赤を筆でグリグリとかき混ぜると、僕の意思なんか無視して絵の上に塗りつけていく。
それじゃ、赤すぎるじゃないか。僕は文句を口にしそうになって気づく。きっと、これはシスターが見ている世界で、僕が見ているのとは違う色でできているんだ。眼球の大きさが人によって違うように、虹彩の色が個人個人に差があるように、光の波長を網膜がどのように受け取って脳に伝えるかに個人差があるように、僕とシスターには確かめようの無い見えている世界の違いがあるんだ。
わからないなら放っておけばよい。何度もそう思い込もうとした。僕がシスターではないことは理解していた。それなのに、シスターのことを分解してみれば僕との違いがわかるんじゃないのか。シスターの脳の中を調査したら何かわかるんじゃないか。そんな感情が湧き上がってくる。
僕がシスターを殺すののとシスターが僕を殺すので何が違うのだろう。見えてくるものは違うのだろうか。もし、違うならば、何の影響なのか。先天的な脳細胞の構造の影響なのか。それとも後天的な脳細胞の構成の影響なのか。どうしても確かめたくなったんだ。
だから、僕は行動を選択しようとした。この世界がどう変わるかを見てみたい衝動を抑えることがどうしてもできなくなったのだ。だが、その望みは叶えられない。
僕が十五歳の誕生日、毎日お祈りをする礼拝堂の白色の床は、秋の到来を感じさせるかのようにヒンヤリとしていた。対照的に室内は蒸し暑くやたらと重苦しくて、額からジトリと汗を流させる。瞼に垂れてきた塩分を含んだ水滴が、吐き気がするくらい気持ち悪くて首を振ると、狙いすまされたかのように床の上に倒れているシスターの頬にペトリと落ちた。
少しの間、大きく目を見開いて酸素が足りなくなった金魚のように口をパクパクと動かしていたシスターは、口を大きく開いたままになってからしばらく経つ。きっと神の世界を見つめている彼女は、生命活動を完全に停止させている。彼女が好きだった強い意志を感じさせるような強烈な赤色は、彼女を中心に床の色を侵食している。これがシスターが描こうとした世界の色なんですね。僕が訊いたとしても、もう彼女は答えることは無いだろう。
「何をしているのジクタ。死にたいの?」
シスターのことを見下ろしていた僕は、背後から声をかけられて振り返る。そこに立っていたのは、僕と同じく施設の同じ年の少女だった。髪がぼさぼさでロングの少女はギョロリとした目で話しかけてきた。
「ヘク……」
「ナノでいいよ」
舌を噛みかけた僕に対して、彼女はそう言った。ただ、僕はその呼び名が彼女に対して正しいとは思えなかった。それでも、彼女がそう呼んで欲しいと言うならば、それが正しい名前なんだろう。だから僕は彼女のことをナノと呼ぶことにする。
「警察官に囲まれてる。逃げないと」
「何処へ?」
「さあ。でも、ここにいたらジクタ、君は殺されるよ。血の一滴すらあの世に持っていけないほどバラバラにされるよ。それでもいいの?」
「いいさ。もう、母親のような存在だったシスターはいない。だから、僕の知りたいこともやりたいこともこの世界には無くなってしまったんだ」
「シスターを殺した人がのうのうと生きていても構わないというの? 復讐する気持ちもないの?」
「別に」
そう答えたが、僕は一つ引っかかることがあった。シスターを殺した人物は、シスターを殺す時に何が見えたのだろうか、と。そしてそれは、僕が今見ているものと何が違うのか、と。
ナノが言うようにこんな場所で殺されることになっては面白くない。自分の死がどう見えるかは、知りたいことを全て理解できてからで構わない。僕はナノのことをジッと見つめる。
「犯人を知ってる?」
「さぁ。もう逃げたんじゃない?」
ナノの言葉を聞いて僕はシスターに背を向けた。礼拝堂の出入口に向かって歩き出す。
「逃げる気になったの?」
「とりあえず、ここを出て犯人を捜す」
「何処にいるか知っているの?」
「ナノならわかるんじゃない。犯人が何処にいるか」
「わかるかもね。ここから逃げられたら」
ナノに僕の腕は引っ張られる。連れてこられた窓から外を覗き見ると、複数の警察官にこの礼拝堂が包囲されているのがわかる。
「どう? 行けそう?」
「隙が無い。完全に包囲されているから無理だと思う」
「でも、このままじゃ、間違いなく捕まるけど」
「隠れてやり過ごす方がいいんじゃないかな。三日くらい大人しくしていればいなくなるよきっと」
僕が言うとナノは首を振る。
「徹底的に調べるって。犬とか連れてこられたらおしまいだよね。ジクタの能力」
ナノに言われて僕は言葉に詰まる。僕のステルス能力は他人の視覚を歪めることしかできない。透明人間にはなれるが、無臭ではない。匂いを覚えた犬に追われたら逃げ延びる術はない。だから、囲まれたこの状況でも僕の能力で逃げ出した方が包囲網を突破できる可能性が高い。というナノの判断は正しいかもしれない。
ただ、僕はそんなに単純には考えられない。僕の能力はこれしかないし無敵でもない。一方向からの視覚を歪めることはできるけど、他の方向からは完全に隠れることが難しいのだ。もし、この状況からの脱出をするならば、ナノの能力にも頼る必要がある。
「ナノの能力って予知能力だっけ?」
「そんなのないよ。単なる千里眼。何処に警察官が配備されているか。くらいしかわからない。けど、ジクタの能力と組み合わせれば脱出できるはず」
僕はナノのことを盗み見た。施設の人間はお互いに仲間意識がある。それでも、能力は自分の生死をわけることになる切り札。そう簡単に自分の能力を教えることは無い。みんなに能力を見せびらかすなどと言う馬鹿なことをしたのは僕くらいなのだ。
「作戦はあるの?」
僕がナノに質問すると彼女は首を思いっきり横に振った。何も考えていない。と言うより、僕の能力がベースになる以上、僕に考えろ。ってことなんだろう。だが、作戦なんて思いつかない。せいぜい、窓から脱出する。その後は見つからないように頑張る。その程度の作戦なんて呼べないレベルのことしか考えられない。
僕たちは、一番監視が薄そうな窓ガラスの近くに陣取る。ナノに外の様子を確認してもらうが、包囲網は徐々に厳しくなっている様子。待っていればいるほど状況は厳しくなっていく。一か八か勝負するしかない。
「行くぞ」
「待って」
僕が窓を開けて礼拝堂から飛び出そうとしたらナノに背中を掴まれた。振り返り彼女のことを見ると、出入口の白い扉を凝視している。僕が「どうしたの?」と声をかけようとした瞬間、低いくぐもった爆発音が出入口の扉の向こうから響いてくる。
ダイナマイトでも爆発させたんじゃないか? そんな体の芯まで通り抜ける低音を受けると、ナノに背中を押される。
「今がチャンス!」
言われるまでもない。僕は窓から飛び出して土の地面に着地する。続いて飛び出してきたナノを受け止めて、手を繋いで走る。これだけの騒動があれば、そちらに注意が向くと思いきや、予想外に警察官の包囲網は崩れてはいない。けれども、綻びはできている。
僕たちは教会の裏手の建物と公園を通り抜けて一息つく。本来ならば満足感に包み込まれるところであるが、気持ちはどんどんと沈んでいく。これから行くあてもないし、先立つものもない。今までのような写生をしたり風景を眺めていたりして生きていくことはできない。今日生き延びることすら自信が無い。
「何しているの。少しでもここから離れないと」
「ナノだけ行って。僕は後から行くから」
「こんなところでウロウロしていたら、すぐに見つかっちゃうよ」
「でも、何処に行くのさ」
僕の言葉にナノは言い返してこない。僕が見上げると俯いていた彼女から一粒の水滴が地面に向かってポタリと落ちた。そして、視線に気づいたのか腕で顔を隠すと僕に向かって背を向ける。
勘違いしていた。僕は自分の景色しか見ていなかった。シスターが殺されて、施設が警察官に包囲されて、爆発まで起こっていたのに、僕は自分だけが不幸だと思い込んでいた。周囲が見えていなかった。施設にいたみんなは、僕と同じ目にあっているんだ。少なくともナノは僕と同じ景色が見えているかもしれない。
僕は気力を奮い立たせる。僕は一度、シスターと一緒に死んだんだ。そう考えれば、死を覚悟してなんだってできる。そうだ。シスターを殺した犯人を見つけて問いただしてやるんだ。お前には何が見えたんだ? って。
「行こう」
僕はナノの手を掴んだ。何処へ向かえばいいのかはわからない。ただ、少しでも施設から離れようと、北に向かってナノと一緒に歩き出す。何とかなるさ。そう自分に思い込ませながら進んでいると、一人の大男が道を塞ぐ。
「お前らも無事に逃げられたのかジクタ、ナノ」
「無事だったのね、ジ ……」
「おっと待て。俺のことはロスツと呼んでくれ」
先程の爆発を起こした大男は僕たちに向かってニヤリと笑った。





