いきなりアリエーヌ(1)
そんなヒイロの目覚めよりも数時間早い時刻。
夜がうっすらと明け始めた朝ぼらけの頃、キサラ王国の宮殿では、まだ、従者たちも寝静まっているにも関わらず、ごそごそとした音が響く部屋が一つあった。
アリエーヌが付き人もつけずに、自ら一人で着替えをクローゼットから引っ張り出しては、鏡の前であーでもないこーでもないとぶちまけているのだ。
これからアリエーヌは、マッケンテンナ家に訪問しマーカスを見舞おうというのである。
すでに婚約者となっているマーカスであったが、やはりアリエーヌも女の子。
会うのだったら、とっておきのおめかしはしたい。
しかし、先ほどからアリエーヌの脳裏に嫌な予感がして、気だけが焦っているのだ。
というのも、昨日の二丁目の騒動はアリエーヌの耳にも届いていた。
ヒドラ討伐に向かったはずのマーカスたちが、突如、ひどい有様で街に戻ってきたという噂である。
人づてに聞いても、マーカスの状態は、とてもひどい有様だったという。
魔王を打倒したマーカスがである。
アリエーヌも、まさかとは思った。
魔王との最終決戦時、自分たちを逃がすために己が体を犠牲にしようとしたマーカスである。
いまでも、燃える木々の炎に照らし出されたあのりりしい横顔を忘れることはできない。
そんなマーカスが、ヒドラごときに後れを取るとはとても考えにく。
たとえヒドラを倒せなくとも、そこまでひどいケガにはならないだろうとアリエーヌは自分自身に言い聞かせていた。
大体、マーカスにはダメージ転嫁が行えるピンクスライムがついているはずなのだ。
だが、アリエーヌはふと気づいた。
そういわれれば、魔王討伐からこの一年、ピンクスライムの姿をとんと見ていないではないか。
もしかして、魔王討伐の際に命を落としたなどということはないのだろうか。
今頃になって、その事実に思い当たるとは、なんとも鈍感な自分なのであろうか……
だからこそ、マーカスは気丈にふるまい、ピンクスライムの死を自分たちに隠しているのかもしれない。
日ごろアリエーヌに向けるエロい視線。
会話と言えば、変態プレーの好みばかり聞いてくる。
結婚するまでは清い関係でいようぞ……
そういいながら今まで、アリエーヌはその話をそらしてきた。
だがそれも今にして思えば、ピンクスライムを失った悲しみを隠すためなのかもしれない。
自分たちに心配をかけまいと、わざと嫌われるような言葉を発し、ピンクスライムの話からはぐらかしているのかもしれない。
あのマーカスならやりかねない。
アイツはいつも一人で何でも抱え込むのじゃ……
きっと今回も……
そうであるならば、今のマーカスにはピンクスライムのダメージ転嫁の加護はついていないのだろう。
ということは、ひどい状態で戻ってきたという噂もまんざら嘘ではないのかもしれないのだ。
アリエーヌの気ばかりが焦って、まともに服が選べない。
「あぁぁぁぁ! もう! 何を着たらいいのじゃ!」
婆やが運ぶサンドイッチをほお張りながら、着替えるアリエーヌ。
何とか白のドレスへと身を包み終えたころには、既に、朝食の時間はとうに過ぎていた。
その様をあきれた様子で見る婆やは、もう何も言わない。
王宮に戻ってからのアリエーヌの行動は、一事が万事こんな感じなのだ。
姫様としての、おしとやかさや尊厳などと言うものは全くない。
もう、礼儀作法を指導することすら疲れた婆やは、風の吹くままなすがまま。
騎士養成学校を魔王討伐の功により飛び級で卒業したアリエーヌは、寄宿舎を出て王宮へと戻っていた。
かと言って、王宮に戻っても特にすることがあるわけでもない。
その性格や行動もすぐに変わるわけではなかった。
相も変わらず、手を焼くおてんば娘のままだなのだ。
だが、父である国王【コラコマッティア=ヘンダーゾン】は、娘が魔王を討伐したという名誉で鼻高々なのである。
騎士養成学校に入学させるまでは、疎ましい存在だったのにである。
その存在は、まさに忌み子。
性格もそうであるが、やはり、その見た目が嫌われた。
ヘンダーゾン家では、代々金髪が遺伝する。
その中に突然変異のように銀髪の娘が生まれたのだ。
銀髪は、魔女の子……厄災をもたらす子などと言い伝えがあるほどだ。
その美しい銀髪は、まさに、忌避される対象であった。
しかし、魔王討伐後の国王の態度は急変した。
そんな銀髪などただの言い伝えにすぎんと鼻で笑うのだ。
厄災どころか、希望をこの国にもたらした娘なのである。
脇で見ているとその態度の急変具合と言ったら痛いほど滑稽であった。
だがそんな父でも、アリエーヌにとってはかけがいのない父なのだ。
そして、その父が猫なで声で、なんでも願いを聞いてやると言うのだ。
そこでアリエーヌは、マーカスと結婚すると告げた。
と言うのも、急がなければ他の3人がマーカスの貞操を狙い食指を動かそうと画策していたのである。




