99話 ギルドマスター
「これはこれは、デミット様。わざわざこのような所までお越しいただかなくても、言っていただければ私めが出向きましたのに」
部屋の奥から小柄な老人が姿を現した。白髪交じりの髪は短く刈り込まれ、顔には年月を重ねた深い皺が刻まれている。
しかし、その瞳は若々しく、鋭い光を宿していた。横には先ほどの受付の女性が付き添い、緊張した面持ちで立っている。
「こちらは冒険者ギルドマスター、ゴーイツ・サクライ氏です」
デミットが丁寧に紹介する。
「えっ!日本人なんですか!」
思わず美咲が声を上げる。この異世界で日本人の名前を聞くとは、想像もしていなかった。
老人は穏やかに微笑んだ。
「いえいえ」
その声は低いが、良く通るはっきりした声だった。
「私の曽祖父がニホンという国から来たそうです。知っているのは一族に受け継がれた伝説程度で、ニホンジンを名乗れるほどの者ではありません」
(さっきの受付の人の態度の理由はこれか)
美咲は心の中で納得する。恐らくその伝説とやらを聞かされていたのだろう。
異世界からの来訪者に対する特別な感情が、受付の態度に表れていたのかもしれない。
「ゴーイツ殿」
デミットが一歩前に出る。
「涼介殿たちの冒険者ランクは上げていただけるだろうか?」
「ふぉふぉ」
老人は愉快そうに笑う。
「デミット様のお眼鏡に叶う御仁なら問題ございませんでしょう。とりあえずAランクにさせていただきます。これですべてのクエストを受注できます」
「おお!ありがたい!ご配慮感謝いたします」
デミットが深々と頭を下げる。
「ありがとうございます!」
大輔と美咲も同様に頭を下げた。
「いやいや」
ゴーイツは手を振りながら言う。
「本来ランクは冒険者を守る制度なだけですから、特にお気になさらずに」
その言葉の裏にある意味を、美咲は瞬時に読み取った。
(何が起きても責任はデミットにあるので、冒険者ギルドとしては構わない、と)
その含意に、思わず唾を飲み込む。
「だれも解決に至らなかったクエストはあるか」
突如として、涼介が口を開いた。
「ほうほう」
ゴーイツの目が細められる。
「いきなりですな。あるにはありますが、5人で行かれるのですか?」
「ああ、そのつもりだ」
涼介の声には迷いがなかった。
「これは軍を動かしても壊滅させられ、仕方なく冒険者ギルドに依頼が来たものです」
老人の声が低くなる。
「何十人かの冒険者連合が挑みましたが、姿を見ただけで諦めてかえってまいりました」
その言葉を聞いた涼介の目が、鋭く光った。
「それで頼む」
「ふぉふぉ、初クエストがこれですか。さすが勇者様」
ゴーイツの言葉には、感心の色と共に、かすかな侮蔑の影が混じっているようにも聞こえた。
「クエスト名は『ミラージュリヴァイアス』の討伐です」
「ほへ?ミラージュリヴァイアス?」
千夏が首を傾げ、とぼけたように聞き返す。その表情は、難しい単語を聞かされた子供のようだった。
「そうそう、ミラージュリヴァイアス」
ゴーイツは穏やかに繰り返した。
デミットは表情を変えなかったものの、心の中で『やはりこれか』と呟いた。彼の瞳の奥に、一瞬だけ暗い影が過った。
ゴーイツは椅子に腰を下ろし、ゆっくりと説明を始めた。
「ミラージュリヴァイアスは元々ティラリス山脈に棲息するらしい幻のモンスターです」
彼は、壁に掛けられた地図を指差す。そこには険しい山々が連なる山脈が描かれていた。
「それが最近、ドワーフの国との国境あたりに出没するようになり、商品の輸送が出来なくなってしまいました」
その声には、明らかな懸念が滲んでいた。
「本来人が見る事のない山脈奥地に棲んでいたはずなのですが...」
老人の声が沈む。
「今では見境なしに襲って来ます。ドワーフの国との国交も経たれてしまいました。貴重な鉱物資源が入ってこないのです」
「それで、どんなモンスターなんですか?」
美咲が恐る恐る尋ねる。これまでの説明から、並外れた強敵であることは想像できた。
「全長100メートルはあろうかという鯨に似たモンスターですな」
ゴーイツの言葉に、部屋の空気が凍りつく。
「陸なのに鯨ですか?」
「そうそう」
老人は頷きながら続ける。
「魔法の力で陸を泳ぐのです。おそらく土魔法を応用しております」
美咲は思わず自分の杖を強く握りしめた。土魔法―それは彼女も使える魔法の一つ。しかし、陸を泳ぐほどの大規模な魔法運用など、想像すらできない。
(全長100メートル...グランド・ベヒモスの比じゃない)
新緑の試練洞窟で戦った最強の敵すら、この化け物の足元にも及ばない。美咲の背筋が凍るのを感じた。
「そのクエスト、『ファラウェイ・ブレイブ』が引き受けた」
涼介の声が、ギルドホールに響き渡る。その決意に満ちた声に、周囲の冒険者たちの視線が集まった。
「本気か、何か手はあるのかよ!」
大輔が食い下がる。その声には明らかな焦りが滲んでいた。
「見てから考える」
涼介は冷静に答える。
「逆に見てみないと話にならんだろう。明日の朝出発しよう」
「あー、くそっ」
大輔は頭を掻きながら、諦めたように言う。
「しょうがねぇ!やばかったら引き返すからな!」
「なるほどなるほど」
ゴーイツが愉快そうに言う。
「それではクエスト受託金をお支払いいただけますか?」
「げっ、金取るのかよ?」
千夏が思わず声を上げる。
「クエストをいたずらでじゅちゅーするのを防止しゅるためです」
受付の女性が慌てて説明する。異世界人への緊張からか、未だに言葉が滑らかではない。
「いくらだ?」
涼介が静かに尋ねる。
「金貨5枚でしゅ」
「高い...」
さくらの呟きが漏れる。
金貨5枚。美咲の頭の中で計算する。
(日本円にして約500万円...)
涼介は無言で袋から金貨を取り出すと、受付に向かって無造作に放った。慌てて受付の女性が両手を広げて受け止める。
「確かに」
ゴーイツの目が細められる。
「それではよろしくお願いしますよ」
その声には、どこか意味ありげな響きがあった。
「いくぞ」
涼介は踵を返すと、ギルドの出口へと向かう。
「おい、ちょっと待てよ」
大輔が慌てて声を上げる。
「宿屋の場所しらねぇだろ!」
彼は急いで涼介の後を追いかける。
その後ろ姿を、デミットは静かな笑みを浮かべながら見送っていた。
彼の瞳の奥には、何か計算されたような光が宿っている。これもまた、全て彼の掌の上にあることなのだろうか。




