83話 デュラハン・ナイトメア(1)
月光の下、漆黒のマントをはためかせるデュラハン・ナイトメアの姿は、まさに死の具現であった。
その存在感に畏れをなしたのか、周囲のアンデッドたちは一斉に後退していく。彼らでさえ、その戦力の凄まじさを理解しているかのようだった。
(アンデッドたちが下がった...あれがあの鎧の攻撃範囲か)
遥斗は冷静に状況を分析する。しかし、その額には既に冷や汗が浮かんでいた。
デュラハン・ナイトメアの四本の腕が、それぞれに持つ武器を微かに動かす。その所作には無駄が一切なく、何百年もの戦いを潜り抜けてきた者のみが持ち得る、研ぎ澄まされた技が感じられた。
「オーラブレイド!」
戦いの火蓋を切ったのはマーガスだった。彼の声が空気を震わせる、銀の剣が青白い光を帯びる。
「この距離からなら...!」
地を蹴る音が響き、マーガスの体が宙を舞う。
(空中から上段からの一撃!いける!)
遥斗の分析が頭をよぎる。しかし、次の瞬間、その読みは完全に覆された。
「この一撃で...!」
マーガスは渾身の力を込めて剣を振り下ろす。アンデッドに効果的な銀の剣に、魔法の威力が加わった必殺の一撃。
その一撃は、デュラハン・ナイトメアの剣ごと両断するはずだった。
キィィィン!
甲高い金属音が、夜の静寂を引き裂く。
「なっ!」
マーガスの動揺の声が漏れる。
デュラハン・ナイトメアは左上腕の剣を僅かに動かしただけで、まるで初心者の攻撃を受け止めるように剣で受けた。
その瞬間、デュラハン・ナイトメアの右下腕が流れるように動く。その剣先には、果てない殺意が込められていた。
マーガスの意識が、奇妙な感覚に支配される。
全ての物がスローモーションのように見えた。しかし、それは死の予兆でしかなかった。
(ああ、これが死の瞬間か...)
デュラハン・ナイトメアの剣が、ゆっくりとマーガスの首筋へと向かう。
「流水の太刀!」
一条の光が閃く。アディラウスの姿が、まるで幻のように現れる。
その剣は日本の剣術を思わせる中段からの一撃。デュラハン・ナイトメアの胴を狙う、鮮やかな太刀筋だった。
しかし、マーガスを狙っていた剣が、まるで意思を持つかのように縦方向へと変化する。アディラウスの攻撃を、完璧なタイミングで受け止めた。
さらに、右上腕の槍が、アディラウスを串刺しにせんと狙いを定める。
「くっ!」
アディラウスの顔が苦悶に歪む。
「ファイア!」
遥斗の声が響く。
魔力銃から放たれた弾丸は、デュラハン・ナイトメアの左下腕が持つラージシールドに阻まれる。
しかし、その一瞬の攻撃が、マーガスとアディラウスに生還のチャンスを与えた。二人は死地の間合いから素早く後退する。
「助かりました!遥斗殿!」
アディラウスの感謝の声が響く。しかし、遥斗の表情は暗かった。
(今のは単に手の内を読まれていなかっただけだ。次は...ない)
遥斗の額から、冷や汗が流れ落ちる。
(強すぎる。中級MP回復ポーションなら多少なりともダメージは与えられるかもしれないけど、生成している間に真っ二つだ)
「まさか、これほどとは...」
その手に握られた銀の剣には、先ほどの衝突の跡が刻まれていた。
「あれはただのアンデッドではない」
アディラウスの声が重く響く。
「まさしく、アンデッドの王と呼ぶに相応しい存在だ」
デュラハン・ナイトメアの動きには、何の前触れも、意思もなかった。
ただ、そこにいたアディラウスに向かって疾走し、無感情に剣を振り下ろす。まるで散歩の途中で虫を払うような、そんな何気なさで。
「ファストアクセル!」
アディラウスが叫ぶ。
魔力が全身を包み込み、その動きが一気に鋭さを増し剣を払う。
そして巧みな足さばきで間合いを離すが、今度は槍の間合いに入ってしまっていた。
右上腕から繰り出される槍の連続突きを、アディラウスは剣で弾き、体を捻って躱す。その動きは空を舞う羽のように美しかった。
しかし―
「くっ!」
アディラウスの腕に、浅い切り傷が走る。高速で繰り出される連続の突きを、完全には避けきれなかったのだ。
「このままでは...!」
マーガスが介入のタイミングを窺うが、あまりの速さに手を出すことすらできない。二人の戦いは、もはや人知を超えた領域に達していた。
「ファイア!」
遥斗は援護射撃を放つ。しかし、デュラハン・ナイトメアは片手の剣で、まるでハエを払うかのように弾丸を弾き返す。
(もはや、足止めにすらならない...!)
アディラウスの動きが、さらに加速する。
しかし、その限界に挑戦するような速度の中でも、確実に傷は増えていく。肩、腕、脇腹―。
そして、ついに左手の剣が頭上から振り下ろされる。
その刹那、閃光が走る。
デュラハン・ナイトメアの剣は、突如として軌道を変え、何かを払う。
それは、マーガスが放った「チャージショット」の矢だった。
「くそっ...!」
マーガスの声が震える。しかし、デュラハン・ナイトメアにとって、それすらも計算内だった。
反対の腕の剣が、既にアディラウスの首を狙って奔っていた。
その時―轟音が響く。
グリフォンガードが、渾身の力で突進してきた。その巨体がデュラハン・ナイトメアの胴に直撃する。
衝撃でたたらを踏む。そして、グリフォンガードの口から解き放たれる追撃の魔力の光球。
デュラハン・ナイトメアの姿が、眩い光に包まれる。
「やった!」
マーガスの歓喜の声が上がる。
「まだだ!」
遥斗は叫びながらアディラウスに駆け寄る。マジックバックから中級HP回復ポーションを取り出し、躊躇なく彼にかける。
光が全身を包み、アディラウスの傷が次々と癒えていく。
「はぁ...はぁ...」
光が晴れた先に、アディラウスが見たものは―
ラージシールドで攻撃を完璧に防ぎきり、まったくの無傷で佇むデュラハン・ナイトメアの姿だった。
アディラウスの荒い息遣いが響く。それは単なる疲労からではない。
絶望的な戦力差を目の当たりにした者の、重い吐息だった。
デュラハン・ナイトメアは、まるで時間を持て余すかのようにゆっくりと四本の腕を構え直す。
その仕草には、これまでの攻防が、ほんの前哨戦に過ぎなかったことを示唆していた。
「な、なんて化け物だ...」
マーガスの声が震える。
遥斗は必死に頭を巡らせる。
(ここまでの戦いで分かったことは...戦闘経験は圧倒的。四本の腕の連携は完璧。そして何より、こちらの動きを完全に読んでいる)
月光の下、デュラハン・ナイトメアの漆黒の鎧が不気味な輝きを放っていた。




