80話 帝国の守護者
マーガスはミストレイスと対峙していた。
青白い炎のような姿をしたミストレイスの存在が、周囲の街灯の光を歪ませている。まるで現実世界に穿たれた穴から這い出してきた冥界の使者のようだった。
「オーラブレイド!」
マーガスの力強い詠唱が大気を震わせる。彼の手にした銀の剣に魔力が流れ込むと、青白いオーラが刀身を包み込んだ。その輝きは月光と共鳴するかのように煌めいている。
一瞬の静寂。
時が止まったかのような緊張が漂う中、マーガスの動きが始まる。
錬金術で生成された剣と修練によって会得した高速の踏み込み―月光の下で銀の剣が閃く。研ぎ澄まされた一撃が、ミストレイスの体を真っ二つに切り裂く。
しかし、その勝利は幻のものでしかなかった。
2つになったミストレイスの体が、まるで時を巻き戻すかのように元の形に戻っていく。その様は、生命活動を無視した恐ろしさを感じさせた。
(倒せはしなかったが...手ごたえは感じる。確実にダメージは通っているはず)
マーガスは冷静に相手の動きを観察する。ミストレイスの動きが以前より慎重になり、積極的な接近を控えるようになっていることに気づいていた。
「ふん、何も出来ない木偶か!」
余裕の笑みを浮かべるマーガス。しかし、その自信に満ちた表情も長くは続かなかった。
「ギャアアアアアァァ!」
突如として響き渡るミストレイスの雄叫び。その声は単なる音ではなく、魂を直接揺さぶる恐怖の波動だった。
直撃を受けたマーガスの体が、まるで氷の彫像のように硬直する。
今まで対処可能な相手だと思っていたミストレイスが、一瞬にして世界の全ての恐怖を具現化したような存在へと変貌を遂げたように感じられた。
(な...なんだ、この感覚は...こんな、こんな...)
錬金騎士としての誇りも、戦術も、全てが無意味に思えてくる。体に力が入らず、鎧に包まれた足が震える。歯がカチカチと鳴り、冷や汗が背中を伝う。
頭では「これはスキル効果だ」と理解していても、近づいてくるミストレイスから目を逸らすことすら出来ない。
恐怖で涙が溢れ出る。その姿は、誇り高き騎士の面影など微塵もなかった。
青白いオーラがマーガスを包み込み、意識が地獄の底へと引きずり込まれていくような感覚に襲われる。あまりの恐怖に、このまま意識が戻らない方が幸せなのではないかとさえ思えてくる。
「喝!」
突然の叫び声が、夜の静寂を切り裂く。その声に、マーガスの意識が一瞬だけ現実に引き戻される。
夜空を見上げると、そこには月を背景に巨大な影が浮かんでいた。
頭と翼は鷲、体はライオン―伝説の魔獣、グリフォンガード。その威圧的な姿は、恐怖とは異なる畏怖の念を呼び起こす。翼から放たれる魔力の波動が、周囲の空気を震わせていた。
そしてその背には一人の兵士が乗っていた。
漆黒の軍服に身を包み、銀の装飾が月光に輝く帝国軍騎士アディラウス。その姿は月光を浴び、果てない存在感を露わにしていた。
グリフォンガードは、強靭な翼を広げ、ミストレイスとマーガスの間に急降下で割って入る。
地面に着地した衝撃で、石畳が軋む音が響き渡る。衝撃波が周囲の空気を揺らし、街灯が揺れる。
少し後退したミストレイスが再び雄叫びを上げる。今度の標的は新たな敵、アディラウスだ。
彼の体が一瞬震えるも、彼を背に乗せるグリフォンガードは微動だにしない。帝国が誇るモンスターの精神力は、人間とは比べ物にならないのだ。
鷲の口が開き、そこから濃縮された魔力の塊が球状となって放たれる。
閃光が夜の闇を切り裂き、直撃を受けたミストレイスは一瞬で光の粒子となって消散した。その最期は、どこか清らかですらあった。
アディラウスは素早い動作でグリフォンガードの背に装着されたマジックバックから、小瓶を取り出す。
「恐怖解除のポーション」―琥珀色に輝くその液体を一息に飲み干すと、彼の目から恐怖の色が消え去った。
彼は地上に降り立ち、同じポーションをマーガスに飲ませる。温かな光が体の中を駆け巡り、意識が鮮明に戻る。全身を支配していた恐怖が、朝霧のように晴れていく。
「ありがとうございました」
マーガスは深々と頭を下げる。その仕草には、騎士としての誇りと共に、純粋な感謝の念が込められていた。
「いや、こちらこそ礼を言わせてほしい」
「その鎧はアストラリア王国の方ですね。我が国の民を守ってくれた事に感謝を」
アディラウスは真摯な表情でマーガスの手を固く握る。
その瞬間、二人の間に国境を越えた友情の絆が生まれた。月光の下、二つの国の騎士が出会い、互いを認め合う―それは歴史の一頁となるような瞬間だった。
「私はフェルドガルド正門守護隊隊長アディラウスです。こちらは守護隊所属モンスター、グリフォンガードになります」
グリフォンガードが誇らしげに翼を広げる。その威圧的な存在感に圧倒されながらも、マーガスは凛とした声で答える。
「アストラリア王国ダスクブリッジ家次期当主、マーガス・ダスクブリッジです」
「それにしても、すごいモンスターですね」
マーガスの目には純粋な好奇心が浮かんでいた。
「あなたはモンスターテイマーなのですか?」
アディラウスは優しく微笑む。その表情には、若き騎士の純粋な興味に対する慈愛のような感情が垣間見えた。
「御覧の通り、私は剣士です」
腰の剣を軽く叩きながら答える。その剣には、幾多の戦いの痕跡が刻まれている。
マーガスの驚きの表情を見て、アディラウスは説明を加える。
「ヴァルハラ帝国ではモンスターを戦力として組み込むことに成功しました。モンスターテイマーでなくても、こうして共に戦えるのです」
グリフォンガードの体を撫でるアディラウスの仕草には、長年の訓練を共にした深い信頼関係が滲んでいた。その光景は、人とモンスターの新たな関係性を象徴するものだった。
「おーい!」
遥斗たちの声が遠くから聞こえ、彼らが駆け寄ってくる。
街灯に照らされた彼らの姿を見て、マーガスは心の中で呟く。
(あいつら弱いくせに、こんなところまで...)
その言葉とは裏腹に、マーガスの表情には僅かな安堵の色が浮かんでいた。




