69話 出発の朝
霜が降りた早朝、王城の前に集まった一行の息が白く霧となって立ち昇る。空はまだ薄暗く、東の空がわずかに明るくなり始めたところだった。
遥斗、エレナ、トム、そして不貞腐れた表情のマーガス、アリア、エリアナが静かに待機していた。彼らの周りでは、馬具を整える音や兵士たちの低い会話が聞こえる。
マーガスは腕を組み、顔をしかめながらぶつぶつと不満を漏らしていた。
彼の豪華な貴族の服装は、この早朝の寒さにはそぐわないようだった。
「なぜ自分が行かねばならないんだ...こんな奴の護衛など...朝も早いし、寒いし...」
アリアはマーガスの肩を力強く叩き、彼の目をしっかりと見つめながら言った。
「お前だけが頼りなんだ、マーガス。この任務の成否はお前にかかっているぞ。お前の剣技と判断力が、みんなを守ることになる」
その言葉を聞いた途端、マーガスの表情が一変した。
彼の目が輝き、背筋がピンと伸びる。彼は胸を張り、誇らしげに宣言した。
「お任せください、アリア師匠!この私が必ずや遥斗を守り抜いてみせましょう!いや、一行全員をこの手で守ってみせます!」
エレナとトムは、マーガスの急激な態度の変化に呆れたように顔を見合わせた。
「やれやれ...相変わらずね」エレナが小さなため息をつく。
「マーガスは本当に単純だよね。でも、その熱意はすごい思う」トムが小さく笑いながら、少し羨ましそうに言った。
エリアナが優雅に一礼し、皆に挨拶をした。彼女の姿は、早朝の薄暗がりの中でも気品に満ちていた。
「皆様、この度はご同行していただき、誠にありがとうございます。この旅が平和な未来への第一歩となることを願っています。どうぞよろしくお願いいたします」
「姫様、どうかご安心ください。このダスクブリッジ家次期当主のマーガスが、必ずやこの任務を成功に導いてみせます」
マーガスは、まるで舞踏会での紳士のように優雅に腰を曲げ、エリアナに向かって答える。彼の態度には少し大げさな面があったが。
アリアは思わず苦笑いを浮かべた。
彼女の目には、マーガスへの信頼と心配が混ざっているようだった。
遥斗は、エリアナに向かって心配そうに尋ねた。彼の声には懸念が込められていた。
「本当にエリアナ姫も一緒に行かれるのですか?危険ではないでしょうか?もし何かあったら...」
エリアナは遥斗の目をまっすぐ見つめ、凛とした声で答えた。
「だからこそ、私が行かなければならないのです。異世界召喚が他国を脅かすものではないことを、私自身の言葉で説明しなければなりません。それに...」
彼女は一瞬言葉を詰まらせ、柔らかな表情を見せた。
「遥斗様だけを危険に晒すわけにはまいりません。私たちは共に歩むべき者です」
「エリアナ姫...」
その言葉に、遥斗は胸が熱くなるのを感じた。彼の心の中で、エリアナへの感謝と、彼女を守らねばという気持ちが沸いて出た。
マーガスは両手を広げ、朝もやの中で大げさに叫んだ。
「さすがは我らが姫様!なんと気高い決意でしょう!この感動、私の心に刻み付けておきます!さぁ姫様、どうぞこちらへ」
準備された馬車は4人乗りで2台。それぞれに護衛の兵士が合計3人乗ることになっていた。
馬車は王家御用達で、豪華ではあるが長旅に耐えうる頑丈さも備えていた。
マーガスが得意げに言いながら、エリアナと同じ馬車に乗ろうとした。
しかし、護衛の兵士に肩を掴まれ、マーガスは別の馬車へと連れて行かれる。
「君はこちらの馬車だ」兵士は冷たく言い放った。
結局エリアナと遥斗は同じ馬車に乗り、護衛の兵士2人が同乗し、もう一台の馬車には、エレナ、トム、マーガス、そして護衛の兵士1人が乗ることになった。
「なぜだ!なぜ私が姫様と同じ馬車に乗れないのだ!」
マーガスが激しく抗議する。彼の声は朝の静けさを破り、近くにいた鳥たちが驚いて飛び立った。
「今回はエリアナ姫と遥斗が主賓で、僕たちはお供だからでしょう?同行を許してくれただけでも感謝しないと」
トムが冷静に説明した。
マーガスは不満げに顔をしかめ、小声でぶつぶつ言い続けた。
「なんであいつだけいつも...俺だってちゃんとした貴族なのに...」
その時、アリアがマーガスに近づき、首にペンダントをかけた。
ペンダントは小さいながらも、不思議な輝きを放っていた。
「こ、これは?」マーガスは驚きと戸惑いを隠せない様子で、照れくさそうにアリアを見上げた。彼の態度は、突然子供のように無邪気になった。
「無事に帰れるお守りだ。いかなる時でも必ず持っておけ。お前たちを救ってくれるはずだ」
マーガスの顔が喜びで輝いた。彼は得意げに遥斗の方を向き、ペンダントを見せびらかした。
「見たか、遥斗!これが師匠からの贈り物だ!」
遥斗は優しく微笑んで答えた。
「よかったね、マーガス」
マーガスは鼻高々に言った。
「まあ、これが俺とお前との差だな。俺にはアリア師匠にとって特別なんだ」
エレナは呆れたように首を振りながら、マーガスを馬車に押し込んだ。
「さあ、そろそろ出発しましょう。長旅になるんだから、こんなところで時間を無駄にしないで」
トムは緊張した面持ちで馬車に乗り込みながら、遥斗に向かって手を振った。
「気をつけてね、遥斗。何かあったらすぐに知らせて。僕たちがすぐ駆けつけるから」
アリアは最後に全員を見渡し、力強く言った。
「みんな、気をつけろよ。どんな状況でも、絶対に諦めるな!お前たちなら、きっと乗り越えられる」
「参りましょう、遥斗様」
エリアナは優雅に馬車に乗り込み、遥斗に手を差し伸べた。彼女の手は小さく、しかし確かな強さを感じさせた。
遥斗は少し戸惑いながらも、エリアナの手を取って馬車に乗り込んだ。彼の頬には、かすかな赤みが浮かんでいた。
馬車が動き出す瞬間、遥斗の声が響いた。
「行ってきます!必ず、良い報告を持って帰ってきます!」
遥斗は窓から顔を出し、小さく手を振った。アリアの姿が徐々に小さくなっていく。朝日が地平線から顔を覗かせ、新たな一日の始まりを告げていた。
馬車の中で、エリアナが静かに言った。彼女の声には、不安と期待が入り混じっていた。
「遥斗様、長い旅になりますが、どうかお力添えください。この旅が、私たちの国の命運を握っております」
遥斗は真剣な表情でエリアナを見つめ、答えた。
「はい、僕にできることは全力でさせていただきます。エリアナ姫、よろしくお願いします」
馬車は王都の門をくぐり、未知の冒険へと走り出した。遥斗の心の中には、不安と期待が入り混じっていた。
しかし、仲間たちの存在が彼に勇気を与えていた。道路の両側に並ぶ木々が、朝日に照らされて輝き始める。
そして、王都の城壁が徐々に遠ざかっていく中、彼らの新たな冒険が始まろうとしていた。
未知の国、ヴァルハラ帝国。そこで彼らを待ち受けているものが何なのか、誰にも分からない。
ただ、彼らの絆だけが、この危険な旅路を支える唯一の希望だった。




