55話 スタンピード(11)
アリアの体が地面に叩きつけられた瞬間、戦場全体が凍りついたかのように静まり返った。シルバーファングのメンバーたちは、息を呑んで目を見開いている。彼らの中で最強の戦士が、こんなにも簡単に倒されるなど、誰も想像していなかった。
その静寂を破るように、ネメシスキマイラの足音が響き渡る。黒い炎に包まれた巨体が、倒れたアリアに向かって迫っていく。その赤い目には、獲物を追い詰めた捕食者特有の冷酷さが宿っていた。
「くそっ...アリア!」ガルスが叫ぶが、彼の体はまだ黒い炎の影響で自由に動かない。
「このままじゃ...」リリーの声が震える。
ネメシスキマイラが、アリアの上に影を落とす。その口が大きく開き、鋭い牙が月明かりに照らされて不吉な光を放つ。まるで、アリアの首を噛み千切ろうとしているかのようだった。
その瞬間——
「ファイア!」
遥斗の声が、夜空に響き渡る。
銃声と共に、鉄の弾丸がネメシスキマイラのライオンの頭部に直撃した。しかし、予想に反してダメージは小さかった。弾丸は、ネメシスキマイラの体を包む黒いオーラによって、その威力を大きく削がれていたのだ。
「な...」遥斗の声に、驚きと焦りが混じる。
ネメシスキマイラは、ゆっくりと首を回し、遥斗を見つめた。その赤い目には、人間離れした知性と、底知れぬ憎悪が宿っている。遥斗は、思わず後ずさりしてしまった。
「遥斗...逃げろ!」アリアが、地面に伏せたまま叫ぶ。
しかし、遥斗の足は地面に縫い付けられたかのように動かない。ネメシスキマイラが、ゆっくりと彼に向かって歩み寄ってくる。その口が、再び大きく開かれる。
ダークフレイムを放つ準備だ。
遥斗の頭の中で、様々な思考が駆け巡る。
(ど、どうすれば...)
ネメシスキマイラの喉の奥で、黒い炎が渦巻き始める。遥斗は、自分の最期が近いことを悟った。
(こんな所で...終わるのか!)
その時——
「スネークバイト!」
レインだった。
彼の放った矢が、蛇のようにうねりながらネメシスキマイラの口内に突き刺さった。
「グアアアアッ!」
ネメシスキマイラが悲鳴を上げる。口の中を直撃されたダメージは、想像以上に大きかったようだ。しかし、その怒りは瞬時にレインへと向けられた。
「クソッ...」レインが舌打ちする。
ネメシスキマイラの口から、黒い炎が噴き出す。レインは間一髪でそれを避けたが、炎の熱さに肌が焼けるのを感じた。
「はぁ...はぁ...」彼が息を整える間もなく、ネメシスキマイラの巨体が目の前に現れる。
「なっ...!」
次の瞬間、レインの足首がネメシスキマイラの牙にがっちりと噛まれていた。
「ぐああああっ!」
レインの悲鳴が響き渡る。ネメシスキマイラは、まるで獲物を弄ぶかのように、レインの体を振り回し始めた。
「レイン!」マルガが叫ぶ。
その惨状を目の当たりにした遥斗は、咄嗟にアリアの元へと走り出した。彼の手には、上級HP回復ポーションが握られている。
「アリアさん!これを!」
遥斗は、アリアの傍らに跪き、ポーションを彼女の口元に運ぶ。アリアは、微かに目を開け、遥斗を見上げた。
「遥斗...」
彼女の声は、かすれていた。遥斗は、アリアの頭を優しく持ち上げ、ポーションを飲ませる。青い液体が、アリアの喉を通っていく。
瞬時に、アリアの体が光に包まれる。傷が次々と癒えていき、彼女の目に力が戻ってくる。
「助かったぜ、遥斗」アリアが立ち上がる。
しかし、その瞬間——
「危ない!」
アリアの警告と同時に、ヴォイドイーターの巨大な腕が二人に向かって振り下ろされる。アリアは咄嗟に遥斗を抱きかかえ、攻撃をかわそうとする。しかし、完全には避けきれず、二人は強烈な衝撃と共に吹き飛ばされた。
「うわあああっ!」
「くっ...!」
アリアと遥斗の体が、まるで紙屑のように宙を舞う。そして、地面に叩きつけられる。
「ゴフッ...!」アリアが、血を吐く。
彼女は最後の力を振り絞り、自身の体をクッション替わりにして遥斗を庇っていた。
「ア、アリアさん...!」遥斗が、震える声で呼びかける。
アリアは、苦しそうに微笑んだ。
「遥斗...早く、逃げろ...」
彼女の声は、かすれていた。遥斗は、頭を激しく振る。
「そんな...アリアさんを置いていくなんて...」
アリアは、遥斗の頭を優しく撫でた。
「すまなかった...こんなところに、連れてきてしまって...」
遥斗の目に、涙が浮かぶ。
「僕も...最後まで戦います」
アリアは、痛ましそうな表情を浮かべた。
「ごめんな...」
その時、レインの叫び声が響く。
「危ない!」
遥斗とアリアが顔を上げると、ネメシスキマイラが、信じられないスピードで二人に迫っていた。その赤い目には、殺意が満ちている。
(これで...終わりなのか)
遥斗の頭の中で、様々な思い出が駆け巡る。涼介や美咲たちの後ろ姿、エレナの優しさ、トムの励まし、ルシウスの教え...そして、アリアとの戦い。
(みんな...)
ネメシスキマイラの牙が、遥斗を引き裂こうとする——
その瞬間。
「...ポップ」
遥斗の小さな声が響く。
突如として、ネメシスキマイラの動きが鈍くなり、その速度が急激に落ちていく。
「な...何だ?」ガルスが、驚きの声を上げる。
ネメシスキマイラは、明らかに混乱している。その動きは、まるで泥沼を進むかのように遅くなっていた。
「ポップ」
再び、遥斗の声。
今度は、ネメシスキマイラの体から力が抜けていく。まるで、大量の血を失ったかのような感覚だ。
生まれて初めての経験に、その凶暴なまでの赤い目が、戸惑いの色に変わる。
その隙を逃さず、遥斗はマジックバッグからMP回復ポーションを取り出し、一気に飲み干す。
ネメシスキマイラは、無防備な遥斗に向かってダークフレイムを放とうとする。しかし——
バン!
遥斗の魔力銃が火を噴く。弾丸が、ネメシスキマイラの右目を直撃する。
「グギィヤァァァァァッ!」
ネメシスキマイラが、悲鳴を上げる。大きなダメージではないが、一瞬の隙が生まれた。
その瞬間、遥斗の声が響く。
「ポップ」
次の瞬間、ネメシスキマイラの姿が光と消えていた。
戦場に、静寂が訪れる。
シルバーファングのメンバーたち、そしてヴォイドイーターまでもが、その光景に釘付けになっていた。
そして遥斗の手には、最上級ポーション2つと加速のポーションが握られていた。




