512話 力づくでも
「ぐあぁぁぁ……っ!?」
マーガスは頭を抱えて膝をついた。
頭が割れそうだ。
彼が構えたオリハルコンの巨剣から、今までにないほど無数の「声」が流れ込んでくる。
賛美の唄、怨嗟の悲鳴。
その全てが、ただ一点、涼介へと向かって畏怖し、震えていた。
ある程度耐性はついていたはずだ。
だが、そんなものは無に帰す程の大音量。
そしてあろうことか、その声は、後ろに聳えるユグドラシルからも聞こえていた。
「涼介! やめて!千夏さんを止めて!」
遥斗が叫ぶ。
しかし、涼介は冷ややかな目でそれを見下ろす。
「そこで見ていればいい。……お前は俺が連れて帰る。力づくでも」
「なっ……」
「美咲!千夏!怪しい奴らは全て排除だ!遥斗、大輔、さくらを保護して元の世界に戻るぞ!邪魔をするなら殺しても構わん!」
涼介の号令が、戦場に響き渡る。
「りょーっ!」
千夏が楽しげに応じる。
「……うん、分かった。出来るだけ死なせないようにするけど」
美咲もまた、悲痛な面持ちで、しかし迷いなく頷いた。
「お願い! やめて美咲さん!」
遥斗の悲痛な叫びに対し、美咲は杖を構えたまま、微笑みながら叫び返した。
「必ず助けるから!……悪い人たちから、遥斗君を助け出すから!待ってて!」
会話が成立しない。
彼女の中ではすでに「遥斗は洗脳されている被害者」という図式で固定されてしまっている。
涼介は、ゆっくりとアマテラスに向かって歩き出した。
殺気すら纏っていない、ただの歩行。
それが逆に、アマテラスの神経を逆撫でする。
「……嘗めるなよ、小僧がぁッ!!」
ヒュンッ!!
アマテラスの身体がブレた。
神速の踏み込み。
残像すら残さない超高速移動。
からの斬撃。
神剣クサナギの刃が、涼介の頭頂部を確実に捉え——
カィィン!!
硬質な音が響き、クサナギが見えない「何か」に弾き飛ばされた。
「な、に……!?」
アマテラスの目が驚愕に見開かれる。
涼介は、剣を振ってすらいない。
ただ手首を僅かに返しただけのように見えた。
太陽神アマテラスの動体視力をもってしても、涼介の剣の軌跡が見えなかったのだ。
「ぐっ……!?」
思考する暇もなく、涼介の左手が伸びる。
アマテラスの首が鷲掴みにされ、軽々と宙に持ち上げられた。
「がっ……あ……ぐ……っ」
宙づりになってもがくアマテラス。
必死に涼介の腕を掴み、脚で蹴りを入れるが、涼介はビクともしない。
まるで全身ミスリルで出来ているかのようだ。
「……お前が遥斗を唆したのか?」
涼介が至近距離から、冷徹な眼差しで問い詰める。
「遥斗の母を騙り、魔物を使役し……俺達を殺そうとした首謀者はお前か?」
「うぐ……う……っ」
首を締め上げられ、気道が塞がっている。
言葉など出るはずがない。
「答えろ!ゲスが!!」
ミシミシと首の骨が軋む音がする。
このままでは頸椎を折られるか、窒息死だ。
(ならば……ッ!)
アマテラスは残った気力を総動員した。
至近距離、回避不能の無詠唱魔法。
「ファイアブリッドッ!!」
ドォォォォォン!!
涼介の顔面目掛けて、圧縮された炎の塊が炸裂した。
爆風が二人を包み込む。
直撃だ。
これなら——
煙が晴れると、そこには涼しい顔をした涼介がいた。
火傷どころか、煤汚れ一つついていない。
全身を薄く覆う金色の光。
勇者スキル『聖オーラ』が、あらゆる攻撃を無効化しているのだ。
「……なんだ、それは。その程度か」
失望の声。
涼介は興味を失ったように、右手に持った剣を構え直した。
「もういい」
ズドンッ!!
涼介は首を握ったまま、アマテラスを無造作に地面へ叩きつけた。
白い大地は魔物の死骸が堆積した柔らかな層だ。
アマテラスの体は衝撃でめり込み、そのまま埋まってしまう。
「あがっ……!」
全身の骨がきしむ激痛。
起き上がろうとするアマテラスの頭上に、死の影が落ちる。
「アマテラスさーーーん!!」
遥斗の絶叫が響く。
だが、涼介は止まらない。
無双ノ剣を上段に構え、莫大なオーラを刃に集中させる。
空間が悲鳴を上げ、白い大地がビリビリと震える。
「オーラブレード!」
彼が剣を振り下ろした瞬間。
ズドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
世界が青白く染まった。
まるでダイナマイトが爆発したかのような破壊の奔流。
衝撃波が周囲一帯を吹き飛ばし、白い大地に巨大なクレーターを穿つ。
「あ……あ……」
土煙が晴れた後。
何かが飛んできて、遥斗の足元に突き刺さった。
それは、血に塗れているが、間違いなく神剣クサナギだった。
「まず、一匹……」
涼介が、何事もなかったかのように呟く。
クレーターの底に沈んだアマテラスが生きているかは分からない。
だが、気配は消えた。
涼介の視線が、ゆっくりと動く。
その先には、恐怖で微動だに出来ない少女。
「……次はお前の番だ」
ハルカを睨む。
「ひっ……!」
ハルカは声も出せず、ガタガタと震えてへたり込んでしまった。
逃げられない。
死ぬ。
その光景を見た瞬間。
遥斗の中で、何かが切れた。
「うわあああああああああああああああぁぁぁっ!!」
獣のような咆哮。
遥斗はマジックバッグに手を突っ込むと、四本の小瓶を鷲掴みにした。
緑色の液体が入った瓶が二本。
金色の液体が入った瓶が二本。
ここに来る時に仲間たちから受け取った友情の証。
『魔術師のポーション(風)』
『剣聖のポーション』
それを、遥斗は躊躇いなく四本同時に頭からかぶった。
液体が全身を濡らす。
瞬間、遥斗の体から凄まじい光が噴き出した。
通常、人体には一つしか宿せない「職業」の力。
今、それを複数類同時に得る
ゴオオオオオオオオオッ!!
緑と金のオーラが混ざり合い、黒く濁った色へと変貌していく。
肉体がミシミシと音を立て、血管が浮き上がる。
許容量を超えた力の奔流が、遥斗の全身を満たしていく。
「……」
遥斗が顔を上げる。
その瞳から、光が消えていた。
恐怖も、悲しみも、迷いも。
全ての感情が、昏い闇の底へと沈んでいく。
残ったのは、ただ一つの目的のみ。
「……涼介」
氷のように冷たい声。
遥斗は、虚ろな目でかつての親友を見据えた。
「君を止めるよ。……力づくでも」




