510話 帰還の鍵
「ふ、くくく……あははははは!」
涼介が、腹を抱えて笑い出した。
張り詰めた空気の中、その哄笑だけが異様に響き渡る。
遥斗は呆気にとられた。
意味が分からなかった。
こんな涼介は見たことがない。
今まで感じていた頼もしさや懐かしさが消え去り、初めて背筋が凍るような「違和感」を感じた。
遥斗は助けを求めるように大輔たちを見る。
彼なら、この笑いの理由が分かるかもしれないと思って。
しかし、大輔もさくらも顔面蒼白で、ただただ呆然と涼介を見つめているだけだった。
逆に、美咲と千夏は普段と変わりない。
それどころか、千夏に至ってはニヤニヤと楽しそうに笑っている。
「……はぁ、悪い」
ひとしきり笑うと、涼介は涙を拭いながら軽く謝罪の仕草をした。
そして、冷ややかな瞳で遥斗を見下ろす。
「まさか、お前たちがまだそんな低次元なところをウロウロしているとはな」
「え……?」
「おい。アレを見せてやれ」
「りょーかいっ!」
千夏は犬のように嬉々として駆け寄ると、鞄の中から「ある物」を取り出し、遥斗に放り投げた。
「ほれっ!」
遥斗は慌ててそれを受け取る。
掌にある冷たい金属の感触。
それを見た瞬間、遥斗の思考が停止した。
「これ……は……」
それは、缶ジュースだった。
アルミ製のボディに、見慣れた日本語のロゴ、極彩色のフルーツのデザイン。
プルタブは未開封。
賞味期限も切れていない。
誰かが転移した時に持っていたものだろうか。
なら、なぜ今それを遥斗に渡すのか。
その意図は。
「まさか……」
遥斗の表情が強張る。
「美咲の転移魔法の威力は、飛躍的に上昇している。……俺の力もな」
涼介が得意げに語りだす。
「勇者のスキルは仲間の潜在能力を限界まで引き上げる。美咲と空間魔法の相性は最高だったようだ。そこに勇者のスキルでブーストがかかれば……」
遥斗は震える手で缶ジュースを握りしめた。
「そう、美咲は限定的だが……『異世界転移』に成功した。それは向こうの世界から持ってきたものだ」
「……本当なの!美咲さん!」
遥斗が叫ぶと、美咲は申し訳なさそうに、けれど誇らしげに小さく頷いた。
「うん……。空間魔法はね……さっきエレノアさんがやったみたいに、次元を越えて干渉出来るの。普通はゲートを設置して、そこへ移動する。でも、私と涼介君の力が合わさればゲートは要らない。そして世界すら越えることも出来る」
「多分だけど、私たち6人くらいなら元の世界に帰れると思う。手ごたえはあるよ」
美咲ははにかんで笑った。
それは、彼女なりの希望の提示だった。
「存外神はいるのかもしれんな」
涼介は空を仰ぎ、満足げに言った。
「このタイミングで、俺達6人がここに揃ったのだからな」
遥斗はサーっと血の気が引いていくのを感じた。
涼介の論理はこうだ。
『暁』は発動する。
この世界が助かろうが消滅しようが関係ない。
闇の発生源であるユグドラシルさえ破壊すれば、地球への脅威は払拭される。
その上で、自分たちは美咲の魔法で悠々と元の世界へ帰還する。
完璧だ。
涼介の中では、もう話は終わっていたのだ。
『暁』の発動は、最初から決定事項。
唯一の懸念点は、行方不明の大輔たちを探す手間だったが、それも向こうからやってきてくれた。
今の涼介の力を持ってすれば、大輔たちを探す事など造作もなかったかもしれないが。
「ちょっと待てよ!」
沈黙を破り、大輔が涼介に詰め寄った。
「遥斗の母ちゃんはどうするんだよ! このまま爆破してサヨナラか!?」
「……」
「母ちゃん死んじまうんだぞ!なぁユグドラシルを……人間に戻せないのかよ? 遥斗!」
大輔が縋るように遥斗を見る。
遥斗は唇を噛みしめ、ユグドラシルを見上げ……そして、力なく首を横に振った。
今の遥斗の力をもってしても、未知の力で進化してしまった母を、人間に戻す方法など思いつかない。
「……無理、だよ」
「そんなのって……あるかよ!」
絶望する大輔の横で、涼介は冷徹に言い放つ。
「戻せないなら尚更だ。……多くの命を奪った罪は消えない。断罪されるべきだ」
「ちょっと待って! 母さんは世界を守るために……!」
「お前の母は、庇われる価値はあるのか?」
涼介の言葉は、刃物のように鋭かった。
「世界を守る? 立派なことだ。だがな……」
涼介の瞳に、暗く濁った炎が宿る。
「息子の事を忘れ、異世界でエルフの男にうつつを抜かし、あまつさえ子を成し、最後は化け物に成り果てた。……自分を待っている息子を置いてな!」
「っ……!?」
それは歪んだ理屈だった。
だが、涼介にとってはそれが真実なのだ。
彼にとって遥斗は「守るべき存在」。
それを放棄し、他の男と新しい家族を作った加奈の行動は、裏切り以外の何物でもなかった。
「許せないな。そんな母親など、俺が消してやる」
「やめろ涼介!!」
大輔が叫ぶ。
しかし、涼介は動じない。
逆に、凄味のある笑みを浮かべて一歩踏み出した。
「それに、だ。……遥斗、お前が必死なのは母の為だけではないだろう?」
「え……?」
「俺はお前を信じて全てを話した。……だが、お前は全てを話していない」
涼介の視線が、遥斗の背後にあるVTOLに向けられる。
「俺を信じると言った言葉は……嘘か?」
「何を……」
言葉に詰まる。
信じていなかったわけではない。
ただ、彼らを刺激しないように伏せていただけだ。
だが、今の涼介には「隠し事=敵対」としか映らない。
「出てこないなら、こっちから引きずり出すまでだ!」
チャキッ。
涼介が剣を抜き放つ。
ただそれだけ。
予備動作も、溜めもない。
だが、次の瞬間——
不可視の斬撃が空気を裂き、衝撃波となってVTOLを襲った。
装甲など紙切れ同然。
機体は真ん中から真っ二つに裂け、爆発炎上した。
「エレナーーー!!」
遥斗の絶叫が響く。
紅蓮の炎が舞い上がる。
もうダメかと思われた、その時。
炎を切り裂いて、4つの影が飛び出した。
遥斗の前に着地し、土煙を払う。
「……やれやれ、いきなりご挨拶が過ぎるんじゃねぇか?勇者様よ!」
オリハルコンの巨大な剣を構えた騎士、マーガス。
「遥斗くん、怪我はない!?」
白虎の魔導鎧を纏い、青き光を放つエレナ。
「とても遥斗の学友とは思えんな!」
ゴッドアイを煌めかせ、臨戦態勢をとるエーデルガッシュ。
「……こちらも無事だ。寸前で加奈が守ってくれた」
ぐったりしたハルカを抱え、神剣クサナギを携えたアマテラス。
遥斗の心強い仲間たちが今ここに。




