508話 勇者の理
対話の時間が流れるその裏で、儀式の準備は着々と進められていた。
中心に立つのは、ソフィア共和国首相エレノア。
周囲を取り囲む数十名の高位魔導士たちが、彼女に向けて莫大な魔力を送る。
「……理よ!その紅き光にて、時の狭間をこじ開けよ!スカーレッド・コネクティング・ディメンジョン」
エレノアが厳かに呪文を唱えると、炎のようでありながら、より純粋な光の柱が天を突いた。
「紅蓮の魔導士」の異名を持つ彼女の本領。
その光は紅く輝き、次元そのものを震わせていく。
(な、なんだあの魔法……! 空間が歪んでるぞ!?)
準備の進行具合を伺っていた大輔が、顔をしかめる。
六芒結界陣によって位相がずらされ、次元隠蔽された物体すら、強制的に感覚を繋げてしまう。
さらに、その感覚を、魔力リンクしている者全てと共有する。
『虚ろなる空よ!その力を示し、望みのままに扉へと誘え!ゲートトランスファー』
術者たちが一斉に呪文を唱える。
通常空間転移魔法は、術者の傍にあるものを、ゲートを作った先へ送ることしかできない。
だが、エレノアは違う。
「……来なさい、『ラグナロク』!」
ズズズズズ……ッ!
空間が無理やりこじ開けられ、そこから紫色の不吉な輝きを放つ結晶体が次々と現れた。
一つ一つは人が抱えられる程度の大きさだが、その内包する魔力は計り知れない。
無限連鎖魔力爆弾「ラグナロク」。
衝撃では爆発しないが、外部から一定量以上の魔力を照射すれば、紫水晶に蓄えられた魔力が臨界点を超え、破壊エネルギーとなって放射される。
それは隣接する結晶を誘爆させ、連鎖的に核分裂のような爆発を引き起こす。
たった一つで都市を消滅させる悪魔の兵器が、数百個も転移させられた。
魔導士たちが、慎重に手作業でユグドラシルの周囲に設置していく。
死の庭が、完成されつつあった。
その作業が行われている間、遥斗は涼介たちに語り続けていた。
世界の根幹に関わる、隠された真実を。
「……僕の母さん、佐倉加奈は、偶然この世界に転移した最初の『神子』だったんだ」
遥斗の声は静かだったが、そこには確かな熱がこもっていた。
「母さんはエルフ族と共に暮らし、そして……世界の崩壊を寸前で阻止した。自分の身を投げうってね」
遥斗は漆黒の空間を指さした。
「この世界は、スキルや魔力を使用することで、物質はエネルギーとなって『イド』と呼ばれる魂の送られる場所へ流出してしまう。……削れた分だけ、世界は消えていく」
「世界が……消える?」
美咲が息を呑む。
「そう。もう、この星の質量はかなり失われてしまった。だから母さんは、自らを『ユグドラシル』へと変え、重力崩壊する星を支え続けている。……そして、イドからエネルギーを奪って魔物を召喚し、その死骸を使って世界を物理的に復元しようとしている」
遥斗は、悲しげに白い大地を見た。
白く、白く染まった世界。
それは、優しかった母が、姿を変えてまで成し遂げた奇跡。
踏みしめる大地が、遥斗の母の命そのものだとは、誰も信じたくないだろう。
「白い大地も、魔物も、全て母さんが世界を守るために生み出したものなんだ。……そして、それを壊そうとしていたのが賢者マーリン、いやエルミュレイナスだ」
遥斗は、マーリンがエリアナ姫を傀儡にし、勇者を誘導して『暁』を行わせようとした真の目的――世界の完全崩壊について、淡々と説明した。
感情に訴えるのではなく、科学者が現象を解説するように、的確に。
「『暁』は世界を救う光じゃない。……世界にとどめを刺す、終末の光なんだ」
その事実は、あまりにも重かった。
話を聞き終えた美咲は、不安そうに涼介を見る。
「涼介君……」
涼介は腕を組んだまま、ピクリとも動かない。
その表情からは、肯定も否定も読み取れない。
重苦しい沈黙に耐えかね、美咲は隣の千夏に視線を向けた。
「……どう思う? 千夏」
「んー? まあ、筋は通ってるんじゃない?」
千夏はあっけらかんと言い放った。
「つまりアタシらの今までの苦労は、悪いエルフの掌の上で踊らされてただけで、もう少しで世界をドカンとさせちゃうとこだった、って話でしょ?ウケる」
「ウケないけど……」
「でもさ、あたしらには関係なくない?」
「?」
「だって涼介が決めることだもん。涼介の判断に間違いはないっしょ!あはは!」
深刻な事実を笑い飛ばす千夏に、美咲は頭を抱える。
涼介はゆっくりと目を開き、遥斗を射抜くように見つめた。
「……話は分かった。筋も通っている」
涼介の声が響く。
「お前の説明に矛盾はない。……だが、それだけでは納得できないな」
その時だった。
エレノアが駆け寄り、緊張した面持ちで告げた。
「勇者様!設置が完了しました!あとは……誰かが残って魔力を注ぎ込み、起爆させるだけです」
その報告に、空気が張り詰める。
準備は整ってしまった。
数百の「ラグナロク」が、黒い巨木を取り囲んでいる。
「……分かった」
涼介はエレノアを見ずに、短く告げた。
「ならば、俺が残る。あんたらは戻れ」
「えっ……? し、しかし、そのような危険な役目、私が……」
「戻れ」
反論しようとしたエレノアを、涼介が一睨みした。
ぞくり。
エレノアの背筋に冷たいものが走る。
その瞳に宿る、絶対的な意志。
ここに来るまでに、その暴力的なまでの力を嫌というほど見てきたエレノアは、言葉を飲み込んだ。
今の彼には、誰も逆らえない。
「……承知、いたしました。どうか、ご武運を」
エレノアは深く一礼すると、部下たちに撤退を命じた。
一団はMP回復ポーションを煽ると、再び転移魔法を発動させ、闇の入り口に設置したゲートへと戻っていった。
後に残されたのは、遥斗たち6人と、ユグドラシルを取り囲む爆弾の山だけ。
これで『暁』の発動は、完全に涼介一人の判断に委ねられた。
(……これ、まずくないかな?)
さくらは、嫌な予感に身体を震わせる。
起爆の権利が涼介にあるのはいい。
だが、もし説得に成功して「中止」となった時、この大量の爆弾はどうするのか?
起爆装置がついた核爆弾の山を、魔物がいつ襲ってくるかも分からないこの場所で、自分たちだけで撤去するのだろうか。
彼は本当に中止にする気はあるのか?
そんなさくらの不安をよそに、涼介はゆっくりと遥斗に向き直った。
その瞳は、親友を見る目ではなく、世界を背負う裁定者の目だ。
「遥斗。……いくつか、確認させてもらう」
「うん、いいよ。僕の知っている事は何でも話す。僕は涼介を信じてる」
「ああ、俺もお前を信じているぞ」
世界の命運を懸けた、最後の問答が始まる。




