507話 譲れない想い
少年が、機体から大地に降り立つ。
その姿を見た瞬間、美咲の思考は真っ白になった。
「……嘘」
信じられなかった。
アストラリア王国に一人残してきてしまったあの日から、片時も忘れたことはなかった。
いつの間にか「クロノス教団の協力者」として指名手配されたと聞いた時の衝撃。
洗脳されているのではないか、最悪の場合、アンデッドにされて操られているのではないかという恐怖。
けれど、彼はそこにいた。
五体満足、昔と変わらない姿で。
「遥斗……君っ!」
美咲は居ても立っても居られず、駆け寄った。
「……心配、したんだよ! ずっと、ずっと……!」
涙が溢れて止まらない。
大輔とさくらが「必ず連れて帰る」と約束してくれた。
きっと彼らが保護して、ここまで急いで連れて来てくれたのだ。
「ごめんね、美咲さん。心配かけて」
遥斗は困ったように眉を下げ、優しく微笑んだ。
「美咲さんも。元気そうでよかった」
その仕草、その穏やかな言葉遣い。
間違いなく、美咲の知る優しい遥斗だった。
「なんだよ大輔ー! 変な言い方するから焦ったじゃんかー!」
千夏がケラケラと笑いながら、極大の気が練られていた掌を振った。
「もうちっとで殺しちゃうとこだったよー。あぶねーあぶねー」
「……何でも無闇に破壊しようとしないで!」
さくらが呆れたように窘める。
場の空気が少しだけ緩んだ。
その時、力強い足音が近づいてきた。
涼介だ。
空気が再び張り詰める。
彼は遥斗の目の前まで歩み寄ると、探るような瞳で見下ろした。
「……本当に、本物の遥斗なのか?」
「うん。本物だと思うよ」
遥斗は飄々と答える。
「証明したいけど、どうすればいいかな? 残念だけど、この世界にはDNA鑑定がないから。他に本人証明の方法は……」
「……、ぷっ」
その場にいた全員が、思わず吹き出した。
本物かと問われて、科学的な証明手段を模索する、そのズレた感性。
それこそが、何よりの「本物の証明」だった。
美咲は驚いて涼介を見た。
ずっと抜き身の剣のように殺気を放っていた彼が、僅かに、本当に僅かだが、口元を緩めて微笑んでいたのだ。
(……ああ)
美咲は悟った。
遥斗がいなくなってから、涼介はどんどん好戦的になり、昔の荒れていた頃に戻っていくようだった。
彼を人の側に繋ぎ止めておくには、遥斗が必要だったのだ。
「何でこのタイミングで出てくんのさー?」
千夏が遥斗の肩をバシバシと叩く。
「おとなしく待っててくれれば良かったのに。それとも何? クライマックスだから協力しようと思った? 今まで出番無かったからさー」
「千夏、やめて!」
美咲が鋭く制した。
「そうやって遥斗君を能力で見下したことが、全ての原因なの。……繰り返しにするつもり?」
「うへぇ、ごめんごめん。ジョークだってば」
千夏が舌を出す。
久々に揃った6人。
まるで同窓会のような空気が流れかけたが、大輔がそれを断ち切った。
「いや、協力しに来たわけじゃねえんだ」
大輔は申し訳なさそうに、けれど真剣な眼差しで涼介を見た。
「一旦、遥斗の話を聞いてくれないか」
「……」
「頼む」
空気が変わった。
「……作戦を、中止にして、か?」
涼介の声が低くなる。
大輔はゴクリと唾を飲み込んだ。
ここで引けば、もう二度とチャンスはないかもしれない。
「ああ。この作戦は……『暁』は中止にした方がいい」
バチバチと、視線が火花を散らせるようだった。
一触即発。
涼介の殺気が膨れ上がるのを察し、美咲が割って入った。
「ちょっと待って! それは……難しいと思うの。グズグズしていられない」
「どうしてだ? 少し話す時間くらい……」
「『ライブ・フィールド』よ」
美咲が指さした先、地面に設置された魔道具が淡い光を放っていた。
「ここは大気も薄くて、本来なら生身でいられる場所じゃない。今、私たちが普通に息をして動けるのは、あのマジックアイテムのおかげなの」
広範囲に生命維持結界を展開する、国宝級のレアアイテム。
「でも、消耗が激しくて長くは持たないの。アイテムの力が尽きれば、作戦中断どころか撤退を余儀なくされるわ。今回は奇襲でここまで来れたけど……次も同じようにいく保証はないの」
時間がないのだ。
ここで撤退すれば、事実上の作戦失敗が濃厚。
「みなさん、何事ですか?」
騒ぎを聞きつけ、エレノアが近寄ってきた。
彼女はVTOLの姿を見て目を見開いたが、すぐに指揮官の顔に戻る。
大輔がエレノアに向き直る。
「エレノアさん! すまねーが今回は中止にしてくれ! とんでもない事が分かったんだ。一旦引き返そう!」
「なっ……何を言って……」
「作業を続けろ」
冷徹な声が、大輔の懇願を切り裂いた。
涼介だ。
「おい涼介! ちょっと待てって言ってんだろ!」
大輔が思わず語気を荒らげる。
涼介は冷ややかな目で大輔を射抜いた。
「話は聞いてやる。……しかし、その話が嘘、間違い、あるいは遥斗の勘違い、という事もある。違うか?」
「そ、それは……」
「もし中止にして、後で『やっぱり勘違いでした』となった時……お前は責任を取れるのか? 世界の命運に対する責任を!」
圧倒的な正論と重圧。
大輔は言葉に詰まる。
間に挟まれた美咲が、必死に折衷案を出した。
「ねえ! 最終的に『暁』を発動するかは分からないけど……準備だけは進めててもいいんじゃないかな? 話を聞きながらでも」
「……」
「時間が惜しいのは本当だし、もし話を聞いて『やるべき』ってなったら、すぐに動けるし。……どう?」
美咲の提案に、大輔は悔しそうに拳を握り、やがて力を抜いた。
「……ああ、そうだな。焦ってたわ、すまん」
「……という事だ。エレノア、作業を進めてくれ」
「は、はい! 総員、作業再開!」
エレノアが戻っていく。
さくらが、そっと大輔に耳打ちした。
(……エレノアさんにも、話を聞いてもらった方がいいんじゃない?)
(いや、何が起きるか分かんねー)
大輔は首を横に振った。
(最大の障壁はやっぱり涼介だ。涼介が『やめる』と言えば、エレノアさんも従わざるを得ない。……本命はあくまで涼介)
(……そうね)
儀式の準備が再開する中、奇妙な対話の場が整った。
千夏がニヤニヤと笑う。
「そこまで言うんなら話してみなよ? どうせ暇だったしー」
「……じゃあ、僕から話をさせてもらうけど、いいかな?」
遥斗が一歩前に出る。
「よっ! お尋ね者!」
「千夏!」
美咲が叱りつける。
遥斗は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
6人。
またこんな風に、全員で話せる時が来るなんて。
みんな、変わっていない。
この関係性なら、きっと分かってくれるはずだ。
遥斗は静かに息を吸い込み、世界の真実を語り始めた。




