506話 光と闇の邂逅
『お兄様、ミヅチが捉えました。……前方10キロ地点。間違いありません』
ハルカの声が、後方から響いた。
コンソールのモニターにも、その情報は映し出されている。
「これは……」
ヤタの鏡を覗き込んでいた大輔たちが息を呑む。
闇の中に浮かび上がる、広大な白い大地。
それは雪ではない。
遥斗は瞬時に理解した。
「……母さん」
それは、母・加奈が『イド』から物質化させ、この世界に送り込んだ魔物の残骸。
この星を修復するために、彼女は長い年月をかけて少しずつ魔物を生み出し、その魔力が尽きて死骸となったものを積み重ね、大地を復元していたのだ。
見渡す限りの白。
どれほどの時間を、どれほどの苦痛を伴って、彼女はその身を犠牲にし続けてきたのか。
その中心に、巨大な影が聳え立っていた。
神樹ユグドラシル。
かつては一人の女性だったとは到底思えないほど巨大で、そして……醜悪だった。
黒く変色し、脈動するコブのような実を無数につけた姿は、世界の守護者というよりは、呪いの塊に見えた。
「おい、あれを見ろよ」
大輔が指さした先、白い大地に一本の「黒い道」が走る。
それは、ユグドラシルへ向かって一直線に伸びる、魔物たちの死骸だった。
ヴォイドイーターの成れの果てと思われるドロドロに溶けた塊や、原形を留めないほど破壊された高位魔物のパーツが散乱している。
全て、一刀両断。
勇者が通った跡だ。
「あれ、王都を襲った巨大魔物じゃないのか……? 俺達が総力戦でやっと1体倒した相手だぞ」
マーガスが顔を引きつらせる。
「それを……造作もなく……かよ……」
黒いシミのような死骸の道は、果てしなく続いている。
一体どれだけの数を葬ってきたのか、想像もつかない。
「いたぞ!!あそこだ! 樹の根元!」
大輔が叫んだ。
ハルカが鏡の映像を拡大する。
魔導士の一団が円陣を組み、中央で巨大な魔力が練り上げられているのが見えた。
間違いない、決死隊だ。
「暁」の決行は、目前に迫っていた。
「間に合った……!」
「いや、ギリギリだ! 光が強くなってる、転移が始まるぞ!」
遥斗は迷わず、スロットルを限界まで押し込んだ。
「みんな、舌を噛まないで! 全開で行くよ!」
「ちょ、まっ、遥斗ぉぉぉぉッ!?」
エンジンの出力計がレッドゾーンを振り切り、警告音が鳴り響く。
機体の限界? エンジンの焼き付き? そんなものは知ったことか。
今、ここで止めなければ、全てが終わる。
キィィィィィィン!!
最大級のGが全員の体をシートに押し付ける。
VTOLは流星のように加速し、集団の直上を一瞬で通過した。
その瞬間、遥斗は機首を垂直に引き上げた。
あり得ない挙動。
物理法則を無視する急激な減速と垂直旋回。
機体が悲鳴を上げ、乗員からも悲鳴が上がる。
ほとんど墜落するような勢いで、VTOLは勇者たちの目の前に舞い降りた。
爆音と突風が、儀式の場を吹き荒らす。
ホバリングする銀色の鉄塊に、地上の魔導士たちが大混乱に陥った。
「て、敵襲ーっ!!」
「上空より未確認物体!」
「転移準備中断! 戦闘態勢へ移行せよ!」
エレノアの鋭い指示が飛ぶ。
即座に周囲に殺気が満ちる。
その中で、美咲と千夏だけが呆然と空を見上げていた。
「ねえ、涼介君……あれって、戦闘機……だよね?」
「絶対そうだよ! なんでこの世界に戦闘機があるのさ!?」
美咲と千夏が焦った声を上げる。
ファンタジーの世界にあってはならない、現代兵器のシルエット。
しかし、涼介だけは冷静だった。
まるで、それを予測していたかのように。
「慌てるな」
彼は静かに告げた。
「あれはVTOL……垂直離着陸機だ。間違いなく俺達の世界の概念で作られたものだ。だが……エンジンから魔力を感じる。中身は別物だ」
涼介の瞳が、冷徹に機体を見据える。
「予測範囲内だ。現代兵器に似たものがある事が問題じゃない。重要なのは……『誰』が乗っているかだ」
プシュウゥゥゥ……。
油圧音と共にキャノピーが開き、二つの影が飛び降りた。
着地の衝撃を少ない。
重力は地上の7割程度しかないようだ。
「よう!しばらく。……こっちは変わりないか?」
大輔だった。
彼は努めて軽く、まるで休日に友人と会ったかのような口調で片手を上げた。
隣には、るなを抱いたさくらもいる。
勇者パーティの間に、困惑と警戒が走る。
陽動作戦に出たはずの仲間が、なぜここにいるのか。
しかも、あんな未知の機械に乗って。
「……大輔君、無事だったの? それにさくらさんも」
沈黙を破ったのは、美咲だった。
彼女は驚きつつも、どこか安堵したような表情で声をかけた。
この張り詰めた空気の中で、彼女だけが「普通」を保っている。
「うん、何とか……」
さくらが、ぎゅっとるなを抱きしめる。
「るなちゃんも、元気そうで良かった」
美咲が微笑むと、大輔とさくらは少しだけ肩の力を抜いた。
やはり、話が通じるのは美咲だ。
「……で、さっそくで悪いんだけどよ」
大輔が一歩踏み出し、本題を切り出した。
「作戦、ちょっと待ってもらいたいんだ」
空気が凍った。
美咲の目が、スッと細められる。
「……どうしたの、急に? まさか……それを言うためにここまで来たの?」
「まぁ、実はそうなんだよ。とんでもない情報を仕入れてさ。まずは作戦会議と行こうぜ?」
大輔はウインクをして見せるが、その額には冷や汗が滲んでいる。
美咲は騙されない。
彼女は、大輔の後ろにある金属の塊を見上げた。
「大輔君。……あの戦闘機、どうしたの? まさか大輔君が運転してきたわけじゃないでしょ?」
「うっ……いやー、それはその……拾ったというか、貰ったというか、預かったというか」
大輔が言葉を濁す。
誰が操縦しているか。それを言えば、決裂は決定的になる。
だが、その煮え切らない態度に、千夏がキレた。
「あーもう! ごちゃごちゃうるさい!!」
千夏が前に出る。
彼女の全身から、凄まじい闘気が立ち上った。
「答えないならぶっ飛ばすけどいいよね!!」
千夏の両掌に、高密度の「気」が収束する。
冗談では済まない威力だ。
喰らえば消し飛ぶ。
「ちょ、待て! 待てって千夏! いきなり撃つな!」
「はぁ?問答無用! 怪しい奴は敵! 涼介の邪魔をするなら大輔だって容赦しない!勇者の敵は世界の敵だ!」
完全に臨戦態勢。
彼女は涼介を守るためなら、かつての仲間でも躊躇なく排除するだろう。
千夏はやるといったら、絶対にやる。
もはや、大輔の口車で誤魔化せる段階ではない。
「……くそっ、仕方ねえ」
大輔は諦めたように息を吐き、後ろのコクピットを見上げた。
「すまん! 降りて来てくれ! もう誤魔化せねぇ!」
その言葉と共に、機体から一人の影が飛び降りた。
白衣のようなコートをはためかせ、ふわりと舞い降りる。
大輔の隣に立ち、ゆっくりと顔を上げた少年。
黒髪のアイテム士。
「……久しぶり、涼介、みんな」
佐倉遥斗。
その声が、音のない世界に響いた。




