505話 あの雪の日のように
勇者パーティは、ついにその場所にたどり着いていた。
果てしない虚空を抜け、世界の中心、あるいは世界の墓場。
目の前には、天を突くような巨大樹が聳え立っている。
神樹ユグドラシル。
世界を支えるそれは、今や漆黒に染まり、枝には不気味なほど黒く大きな実がなっていた。
ドクン、ドクンと脈動するその果実の中には、この世ならざる魔物が蠢いているのが透けて見える。
そして、ここには大地があった。
視界を埋め尽くすほどの、真っ白い大地。
「……これ、全部……」
美咲は口元を押さえ、足元の「土」を見た。
それは土のようで土ではない。
積み重なり、砕け、朽ち果てた魔物の死骸だ。
悠久の時を経て堆積した死の層が、広大な白い地面を形成しているのだ。
どこまでも続く白。
その光景は、いつか見た雪景色を思わせた。
(……ああ、そうだ、あの日も……)
美咲の脳裏に、記憶が蘇る。
冷たくて、痛くて、でも温かかった、あの雪の日の記憶が。
***
小学生だった冬。
通学路は一面の銀世界を映す。
美咲は白い息を吐きながら、幼馴染の姿を探している。
「りょう君」こと、高橋涼介だ。
家が近所で、親同士の付き合いもあり、二人は兄弟のように仲が良かった。
けれど、ある日を境に涼介は変わってしまった。
彼の母親が、外国で亡くなったからだ。
明るかった少年は、まるで別人のように寡黙になり、そして攻撃的になった。
クラスの誰かが間違ったことをしていると、いきなり暴力を振るうようになった。
それは正義感からくるものだったが、決して「良いこと」をして悦に浸っているような顔ではなかった。
どこか悲壮で、追い詰められたような獣の目。
その暴力は、自分より強い相手にほど向けられた。
一度キレたら止まらないその姿に、友人は一人減り、二人減り……やがて誰もいなくなった。
美咲は見ていられなかった。
変わってしまった「りょう君」を放っておけなかった。
だからその日、美咲は意を決して彼を待っていた。
ザッ、ザッ、と雪を踏みしめて、涼介が歩いてくる。
小学生とは思えないほど鋭い、ナイフのような雰囲気に圧倒され、身が竦む。
それでも、美咲は声を絞り出した。
「お、おはよう!」
無視。
涼介は目も合わせず、通り過ぎていく。
「……きょ、今日は寒いねー雪でいっぱい」
後ろをついて歩きながら話しかけるが、やはり無視。
その背中はあまりに冷たく、遠い。
美咲は怖くなった。
ここに居るのは涼介の皮を被った別人なのではないか。
本当の彼は外国で死んで、もういないのではないか。
その時、涼介が不意に立ち止まった。
「……?」
彼の視線の先には、道端に置かれた段ボール箱があった。
中には捨て猫。
まだ小さな子猫が、降り積もる雪に濡れ、ガタガタと震えていた。
「あ……どうしよう……」
美咲がオロオロしている間に、涼介は無言で自分の着ていたジャンパーを脱いだ。
そして、それを躊躇いなく箱の上に被せる。
彼は長袖シャツ姿になると、猫ごとその箱を抱え上げ、また歩き出した。
美咲は何もできず、ただその後ろについて行く。
着いた先は、近くの動物病院だった。
涼介は受付で事情を話し、誰かに保護してもらえないかと頭を下げた。
幸い、そこは保護活動にも力を入れている病院で、先生は快く引き受けてくれた。
「あの、これ……寄付です」
涼介は財布を取り出すと、中に入っていたお札を全てカウンターに置いた。
お年玉の残りだろうか、小学生が持つには大金である数万円。
受付の人が驚いて止めようとしたが、彼は頑として譲らなかった。
その横顔を見て、美咲の胸に温かいものが込み上げた。
(やっぱり……変わってない)
乱暴になっても、怖くなっても、根っこの部分は優しいままだった。
美咲はホッとして、病院を出た後に彼に話しかけた。
「りょう君は、やっぱり優しいね」
その瞬間だった。
涼介が立ち止まり、ギロリと美咲を睨みつけた。
「っ……」
殺気すら感じる視線に、思わず泣きそうになる。
「止めろ」
「え……?」
「その呼び方は止めろ。……俺は、涼介だ」
冷たく突き放すような言葉。
それは、弱かった自分、母を守れなかった過去の自分との決別宣言のように聞こえた。
「……うん、わかった。涼介君、だね」
美咲はそう言うしかなかった。
涼介はふいっと前を向き、また無言で歩き出す。
美咲はその背中を追いかけながら、心に誓った。
彼は変わっていない。
昔の優しいままの「りょう君」だ。
ただ、悲しすぎて、自分が壊れないように鎧を纏っているだけなのだ。
誰かがついていないと、きっと彼は壊れてしまう。
だから——見守ろう。
何があっても、私が「りょう君」を守るんだ。
***
「……美咲? どうしたの、ぼーっとして」
親友の声で、美咲は我に返った。
隣には千夏がいる。
彼女は心配そうに美咲の顔を覗き込んだ後、すぐにまた視線を前に戻した。
その視線の先には、涼介がいる。
彼は今、エレノアたちが進める「ラグナロク」の転移準備を、少し離れた場所で静かに見守っていた。
千夏は、そんな涼介の元に駆け寄り、彼の腕にぴったりと寄り添っている。
(……ふふ)
美咲は自嘲気味に笑った。
千夏は親友だ。
二人が付き合えるように背中を押したのは、他ならぬ美咲自身。
自分のような地味な幼馴染よりも、千夏のような太陽みたいに明るい子の方が、きっと涼介の凍った心を溶かせると思ったから。
その判断は間違っていなかったと思う。
今も後悔はしていない。
彼が幸せなら、それでいいと本気で思っている。
ただ。
あの白い雪の日、彼を一番近くで見ていたのは私だったのに。
ほんの少しだけ、羨ましい、と思ってしまった。
「……準備、完了しました!」
エレノアに部下の声が響く。
ついに、終わりの時が始まる。
その時だった。
上空の闇を切り裂いて、一筋の閃光が走ったのは。




