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503話 紅茶

 バハムスやドラゴン、精鋭たちが外で待機し睨みをきかせる中、デミット、ゴルビン、バレーンの三名は、陣地内に設けられた簡易休憩所に通された。


 出されたのは、湯気を立てる紅茶。

 戦場には似つかわしくない、優雅な香り。


 三人は椅子に座り、ひとまず茶を啜ってくつろぐフリをする。


「……おい、早くしないとまずくないのか?」

 ゴルビンが、カップを持ったままデミットに耳打ちする。

 彼の額には脂汗が滲んでいる。


「焦りは禁物ですぞ」

 バレーンが小声で返す。

「こちらに焦りがあると悟られれば、弱みと取られます。堂々と構えていてください。これで正解です」


 老獪な魔術総監の言葉に、ゴルビンは渋々頷いた。


 対面の席。

 セリカが、静かにカップを置いた。


「……それで。話とは?」


 切り出してくれた。

 ここからは、ノヴァテラ連邦の智将、デミットに一任される。


 デミットはお茶を一口啜り、冷静な口調で語り出した。


「停戦協定の話は先ほどしましたね」

「ええ。寝耳に水ですが」

「そこに至る経緯をお話ししましょう。……全ては、賢者マーリンの裏切りと、世界を終わらせようとした計画が発端です」


 デミットは、マーリン(エルミュレイナス)の正体と、エリアナ・スライムによる暴走、そして彼が画策した世界崩壊のシナリオを、理路整然と説明した。


「そして……『暁』にもまた、マーリンが関わっていたはずです」

「……」

「『ラグナロク』の製造技術がどこからもたらされたかご存じですか?……あれはアストラリア王国の古代技法。マーリンが横流ししたものです。私はその証拠を突き止めていました」


 デミットは、極秘情報を交えて、真実を告げる。


「今まで言う必要が無かったので黙っていましたが……全てはマーリンの仕掛けた罠だったのです。『暁』の真の目的は、闇の殲滅などではない」


 デミットは、セリカの目を真っ直ぐに見た。


「闇の中心にあるのは、神樹ユグドラシル。かつて世界を救った神子が変化した姿であり、今も世界の崩壊を支えている楔。……それを破壊し、世界の崩壊を導くのが、この作戦の真の目的です」


 衝撃的な真実。

 しかし、セリカの反応は薄かった。


「はぁ……」


 興味なさそうに、ため息をつく。


「その情報は、どこからもたらされたのです?」

「っ……」


 ゴルビンは息を呑んだ。

「クロノス教団から教えてもらった」などといえば、洗脳されたと判断されるのがオチだ。


 セリカは冷ややかな目で詰め寄る。


「そもそも、ご自分で言っていて矛盾を感じないのですか?」

「矛盾、とは?」

「世界が崩壊すれば、当然マーリン殿も生きてはいられません。なぜ、自滅するようなことを何十年もかけて行うのです?マーリン殿は、壮大な自殺でもしようとしていたと?」


 もっともな疑問だ。

 エルミュレイナスは神の声に従っているとしか言っていない。まさに狂人。

 しかし、その行動は至って冷静で、計画は完璧。

 目的と行動だけが矛盾している。


 デミットは、それにあえて答えず、論点をずらす駆け引きに出た。


「……確かにおっしゃる通り。不可解な点が多い」


 一度、相手の意見を肯定する。


「なので……ここは一度作戦を『延期』して、真偽のほどを確かめてはいかがでしょう?」

「……」

「停戦協定には不可侵条項も入っています。もしも再度『暁』を行うのであれば、エルフ族に戦力を割く必要もなくなり、より完璧な作戦が行えるはずです」


 リスク回避の提案。

 軍人ならば、不確定要素を排除したがるはず。


 セリカの眉が動く。

 反応した。


「……ところで、誰が、その停戦協定とやらにソフィア代表として調印したのです?」

「ここにいる、バレーン殿です」


 デミットが答えると、セリカは声を上げて笑った。


「ふふっ、あはははは!バレーン殿にそんな権限があるはずもないでしょう!魔術総監殿は派遣軍の長ですが、外交の決定権はありません。そんなものは無効だ」


 協定などどこ吹く風、一蹴する。

 しかし、デミットは笑わない。


「いいえ。バレーン殿は今回の遠征にあたり、エレノア様より代表決定権を移譲されていたはずです」


 セリカの笑いが止まる。


「それは解任されていない以上、今も有効ではありませんか?」


 確かにその通りだ。

 連合軍に参加させた時点で、不測の事態に備え、エレノアがいなくても現場で決定権を持てるように書類は整えられていた。


「それは詭弁だ」

 セリカが睨む。

「あくまで『軍の決定』に関することでの権限移譲です。国の運営に関与までさせていない」


「セリカ殿、それこそ詭弁だ」

 デミットは畳みかける。


「各国代表が承認し、竜の国が仲裁に入っているのですよ?この調印を、貴国の一存で一方的に無効とするなら……エルフの国、竜の国、他の人族の国が黙っていないでしょう」


 外にいるバハムスの威光を利用した、最大級の圧力。


「我々は『暁』を取りやめろ、と言っているのではない。一時停止して『調査』をして欲しい、と言っているだけです。……これほどの国際問題に発展するリスクを負ってまで、今すぐ決行する理由がありますか?」


 非常に上手い展開だ。

 セリカの判断できる範疇であらゆる手段を用いて、作戦を中止させようとする。


 普通であれば、ここで折れる。

 世界の命運、そして国家の存亡が自分の意思決定にかかっているのであれば、一旦保留にするのが指揮官としての正解だ。

 せめて、誰かの判断を仰ぐはず。


 しかし——


 彼女は、違っていた。

 根本から、違っていたのだ。



 グラリ。


 デミットの視界が、不自然に揺らいだ。


「……え?」


 地面が回っている。

 力が入らない。

 椅子から崩れ落ちそうになる体を、必死に支える。


 後ろを見ると——


 ドサッ。

 ガタンッ。


 ゴルビンも、バレーンも、白目を剥いて倒れていた。


「な……に……を……」


 薄れゆく意識の中、デミットはセリカを見た。

 彼女は、カップを優雅に指でなぞりながら、ほくそ笑んでいた。


「おやおや。皆さん長旅でお疲れの様だ。こんな所で眠ってしまうとは、ね」


 先ほどのお茶だ。

 一服、盛られた。


(信じられ……ない……)


 軍法会議ものだ。

 交渉の席で、しかも自国の英雄や他国の代表に対して毒を盛るなど。

 軍規に忠実で、潔癖なまでの彼女が、こんな強引で卑怯な手段を用いるとは。


「……あ……」


 デミットは、抵抗する間もなく意識を失った。

 使われたのは、高濃度の睡眠薬。

 特殊な耐性を持たない彼らなら、丸2日は起きないだろう。



「……ふぅ」


 セリカは冷めた目で、倒れた男たちを見下ろした。


 あと数時間もすれば、「暁」は成る。

 それまで、外のドラゴンたちには「代表たちは協議中だ」とでも伝え、のらりくらりとかわせばいい。

 時間さえ稼げれば、こちらの勝ちなのだ。


 彼女が、軍規を破ってまで、こんな強引な行動を取れた理由はたった一つ。


 心に、勇者の姿が刻み込まれているから。


 あの雄姿、あの背中。

 伝説級のモンスターを一撃で葬り去り、迷いなく進むあの志。

 あれを見て、信じずにいられようか。


(勇者様……)


 彼女にとって、勇者は希望の光。

 理屈も、法も、世界さえも超えた絶対正義。


 彼が歩む覇道は、全てに勝る。

 そのためなら、悪魔に魂を売ることさえ厭わない。


 セリカは、狂信的な瞳で、漆黒の闇を見つめた。


「必ず……成し遂げてくださいませ」

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