502話 交渉のテーブル
銀翼が黒い壁へ飛翔する。
それを見送る男たちがいた。
「……行かれましたね」
目を細め、デミットが呟く。
「ここからは、私たちの出番です」
バハムスが頷き、全身を黄金の光で包んだ。
オオオオオオオッ!!
光が晴れると、そこには天を衝くような巨躯の竜が顕現していた。
他のドラゴンたちも次々と本来の姿に戻り、咆哮を上げる。
「乗れ!雑魚共を蹴散らしに行くぞ!」
バハムスの背に、デミット、ゴルビン、バレーンが乗り込む。
巨大な翼がはためき、一気に空へと舞い上がった。
遠くの空では、未だに魔法の閃光が炸裂していた。
遥斗たちを狙って撃ち放たれた魔法が、行き場を失って空を彷徨っている。
VTOLの速度には全く追いつけていないが、後から来たバハムスたちにとっては、弾幕の中に飛び込むようなものだ。
ドンッ!!
ドンッ!!
ドンッ!!
「うわぁぁぁぁぁ!?」
「ちょ、当たってる!当たってるぞ!」
無数の魔法がバハムスの巨体に直撃する。
竜王の鱗は傷一つ付かないが、上に乗っている生身の人間はたまったものではない。
衝撃と爆風で吹き飛ばされそうになる。
「これでは背中の荷物が落ちてしまうな」
バハムスは残念そうに、翼を畳んで急降下を開始した。
「降りるぞ!しっかり掴まっておれ!」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
ズズゥゥゥン!!
ラグナロクが設置された拠点から、少し離れた平野に強引に着陸する。
大地が揺れ、土煙が舞い上がった。
「敵襲!敵襲ー!!」
「ドラゴンだ!迎撃しろ!!」
即座に、周囲を警備していた魔導士部隊が駆け付け、包囲網が形成された。
数百の杖が一斉に向けられ、攻撃呪文の詠唱が始まった。
「放て!!」
指揮官の号令と共に、炎や雷がバハムスたちを襲う。
——はずだった。
フッ。
魔法は発動しない。
魔力が霧散し、風となって消える。
「なっ……魔法が……!?」
「馬鹿な!数百人の詠唱全て失敗だと!?」
動揺する兵士たちの前に、一人の男が進み出た。
杖をかざし、ただ一振りしただけ。
ソフィア共和国魔術総監、バレーンだ。
「……騒々しい。味方に杖を向けるとは何事だ」
無詠唱による広域「ディスペルマジック」。
これだけの人数、これだけの魔力を瞬時に無効化するなど、人智を越えている。
だが、彼らには見覚えがあった。
その姿。
その圧倒的な魔力制御。
「そ、総監……!?バレーン様ではないですか!?」
ソフィア兵たちは驚愕し、次々と杖を下ろした。
国の英雄であり、魔法使いの頂点に立つバレーンの帰還。
本来なら歓迎すべき事態だ。
「今の指揮官は誰だ?呼んできてくれないか?話があるのだ」
バレーンが静かに告げると、兵士たちは困惑し、顔を見合わせた。
彼らが受けている命令は『何者をも排除せよ』。
しかし、自国の最高権威であるバレーンの命を無視するなど、できるはずもない。
「……しょ、少々お待ちください!只今呼んで参ります!」
一人の小隊長が敬礼し、慌てて本陣へと走って行った。
待っている間にも、空から次々と援軍が降り立った。
ドラゴンたちが着陸し、その背からアリア率いるシルバーファング、エーデルガッシュ直属の親衛隊、そしてエルフの精鋭たちが展開する。
見た目だけでも高レベル者と分かる猛者。
それらが、バレーンの後ろに布陣を展開する。
対するソフィア軍も、兵が集結してくる。
バレーンがいるので攻撃こそ仕掛けてこないが、緊迫する光景だ。
ドラゴン、エルフ、冒険者、そして各国の兵。
まるで、今にも世界大戦が始まりそうな緊張感が漂う。
(な、なんだあの面子……?)
(なぜ魔術総監が、エルフ共と一緒にいるんだ?)
(あのでかい竜人……まさか、伝説の竜王じゃないよな……?)
ソフィア兵たちの間に、動揺と疑念が広がる。
それから、1時間ほど経っただろうか。
森の奥から、整然とした足音が響いてきた。
ザッ、ザッ、ザッ。
現れたのは、重装甲の近衛兵を引き連れた青白い軍服の女性。
セリカ・ヴォーンクライ。
その表情は、鉄仮面のように冷硬だ。
「……セリカか」
バレーンが一歩、歩み寄ろうとする。
「止まりなさい」
鋭い声。
セリカが手を挙げ、近衛兵たちが武器を構えた。
完全に、敵を見る目だ。
その殺気に、歴戦のバレーンすら一瞬たじろぐ。
「……セリカ、武器を収めろ。私だ、バレーンだ」
「存じております。ソフィア共和国魔術総監バレーン殿」
セリカは冷徹な視線を外さない。
「ですが、なぜここに?貴方には冒険者と共に、エルフ国侵攻の別任務があったはずですが?」
「事情が変わったのだ。エルフの国と停戦協定が結ばれた」
「停戦?そのような予定は、この戦に置いてございませんが?」
取りつく島もない。
「すまんが、落ち着いて話を聞いてもらえねーか?」
横からゴルビンが割って入る。
セリカの視線がゴルビンに向く。
「……これはこれは、ゴルビン殿。貴殿までここに来られたとは驚きです」
言葉は丁寧だが、目は笑っていない。
「ノヴァテラ軍の指揮はどうされたのですか?しかも、後ろには敵であるはずのエルフ兵。……教団は排除された、ということでよろしいでしょうか?」
さらに凍り付くような視線。
ゴルビンすら、喉が詰まるような圧力を感じる。
「停戦……エリアナ様はこのことはご存で?」
追撃。
核心を突く質問。
バレーンたちが言葉に詰まる。
まさか、「エリアナ様はスライムになって暴走したので殺しました」などと、口が裂けても言える訳がない。
そんな事を言えば、問答無用で総攻撃が飛んでくるだろう。
沈黙を、セリカは「肯定」と受け取らなかった。
「……なるほど。答えられない、と」
セリカが杖を握りしめる。
「それに、先ほどここに来た勇者パーティの二人……彼らはエレノア様を探していました。ところで、なぜ貴方たちはエレノア様を呼ばれないのですか?」
情報が漏れている。
エレノアがすでに出立したことを知っている、のだとすれば……
セリカの直感が警鐘を鳴らす。
(おそらくは……先ほどの襲撃者と通じている。懐柔されたか、洗脳を受けたか。もしくは精巧な偽物)
セリカの中で、結論が出た。
目の前の英雄たちは、もはや味方ではない。
「総員、攻撃よう……」
「まぁまぁ、お待ちくださいセリカ殿」
号令がかかる直前、デミットが進み出た。
眼光は鋭いが、微笑みは決して絶やさない。
「積もる話があります。ゆっくり対話できませんか?お茶でも飲みながら、詳しくご説明しますよ」
「対話……だと!なぜ私が、裏切り者かもしれない貴様らと話さねばならない?」
「必要だからですよ」
「そうは思えませんね」
「そう判断するのは、まだ早いかと。……あちらに控えておられる方を、どなたと心得る」
セリカの視線が、後方の巨体に向けられる。
黄金のオーラ。
圧倒的な魔力。
生物としての格が違う存在。
「あの方は、竜の国の主。竜王バハムス・ドラクロニアス陛下であらせられます」
「……っ!?」
さすがに、セリカの表情が揺れた。
伝説の竜王。
世界最強の生物が、なぜここに?
バハムスが、ふんっと鼻を鳴らした。
ただそれだけで、周囲の空気がひりつき、兵たちが後ずさる。
セリカは悟る。
ここで攻撃を仕掛ければ——竜王に敵対する事と同義。
そうなれば、ソフィア共和国軍が消し飛ぶどころか、国自体、存在そのものが消えかねない。
迂闊に手出し無用。
人質は、ここにいる兵士たちではない。
「国家そのもの」だ。
デミットは、最初からこれが狙いだった。
圧倒的な武力を背景に、無理やり交渉のテーブルに付かせる。
セリカは歯噛みした。
この状況で「攻撃」を選択することは、国家への反逆にも等しい。
「……分かりました」
セリカは杖を下ろした。
「話だけは、聞きましょう。……ですが、妙な真似をすれば身の安全は保証出来かねます、たとえ竜の国の盟主であろうとも!」
「ええ、それで結構です」
デミットは静かに微笑んだ。
第一関門、突破。
ここからは、言葉の戦いだ。




