50話 スタンピード(6)
夕暮れの王都ルミナス。かつての華やかさは影を潜め、今や瓦礫と炎に包まれた悲惨な光景が広がっていた。空は血のように赤く染まり、黒煙が立ち昇る。その中を、一筋の希望が疾走していた。
アリア・ブレイディア。その赤い髪が、夕陽に照らされて燃えるように輝いている。彼女の肩には、遥斗が担がれていた。アリアの足音は軽く、まるで風のように建物の屋根や瓦礫の山を飛び越えていく。
街路には倒壊した建物の残骸が散乱し、かつての繁栄を物語る高級店の看板が半ば焼け落ちている。噴水広場では、美しかった彫像が無残にも倒れ、水の代わりに瓦礫が溜まっていた。
あちこちで小規模な火災が発生し、オレンジ色の炎が舞い上がっている。その合間を縫うように、避難が遅れた市民たちが必死に逃げ惑う姿が見える。彼らの悲鳴や叫び声が、不吉なBGMのように街中に響き渡っていた。
遠くでは、時折巨大な衝撃音が鳴り響く。おそらくヴォイドイーターとの戦いの音だろう。その度に地面が震え、建物が軋むような音を立てる。
アリアは、そんな地獄絵図の中を、まるで光の矢のように駆け抜けていく。彼女の目は前方を固く見据え、その瞳には意思の炎が宿っていた。
遥斗は、アリアの肩で揺られながら、恐怖と驚きの入り混じった表情で周囲を見回していた。彼の目に映る光景は、まるで悪夢のようだった。
「うわあああああ!アリアさん!どこに連れて行くんですかーーー!?」遥斗の悲鳴が風に乗って響く。
アリアの返事はない。ただ、彼女の足は止まることなく、目的地へと向かっていく。二人の姿は、徐々に夕闇に溶け込んでいった。その背後では、王都の運命を賭けた戦いが、まだ続いていた。
「黙ってろ!舌を噛むぞ!」
アリアは建物から建物へと飛び移る。その動きは人間離れしており、まるで伝説の英雄のようだった。
突如、アリアが止まった。遥斗は肩から放り出され、地面に転がされる。
「着いたぞ」アリアの声が聞こえる。
「あいたたたた」
遥斗が目を上げると、そこには金色の鷲の看板が輝いていた。「金色の鷲魔宝具店」。以前エレナたちと来た場所だ。
アリアは躊躇することなく店内に入っていく。遥斗は慌ててその後を追った。
「おい、エルトロス!どこだ!?」アリアの声が店内に響き渡る。しかし、返事はない。静寂が店内を支配している。
突然、アリアが剣を抜いた。その動きは稲妻のように速く、遥斗の目にはほとんど捉えられなかった。
「え?アリアさん?」遥斗が驚きの声を上げる間もなく、アリアの剣が店内を駆け巡る。
高価そうな魔道具が次々と破壊され。ガラスの砕け散り、金属のひしゃげる音が店内に響き渡る。貴重な魔法のアイテムが床に散らばり、様々なポーションも転がっていく。
「やめてください!」
奥から慌てた様子の男性が飛び出してきた。銀髪の長身の男性──エルトロスだ。彼の顔は青ざめ、額には冷や汗が浮かんでいる。
「やっぱりいるじゃねえか」アリアが不敵な笑みを浮かべる。その表情には、勝利を確信した猟犬のような鋭さがあった。
「ア、アリアさん...何をされているんですか?」
エルトロスの声が震えている。彼の目は、破壊された店内を見回し、恐怖に満ちていた。
「隠れてるお前を引きずり出すためさ」アリアは剣を収めながら言った。
「さて、話があるんだ」
「な、何の...お話でしょうか?」
エルトロスは明らかに動揺している。彼の目は、アリアと遥斗の間を行ったり来たりしていた。
アリアはエルトロスの襟首を掴んだ。その手の力強さに、エルトロスが息を呑む。
「全部出せ!今すぐに!」アリアの声には、もはや冗談めいた調子は一切ない。純粋な怒りと焦りが滲んでいた。
「何のことでしょう?」エルトロスが焦った様子で答える。しかし、その目は何かを隠しているようだった。
遥斗はこの状況が全く理解できずにいた。
アリアは再び剣を振るった。高価そうな棚が真っ二つに切り裂かれる。木片と魔道具が空中を舞う。
「エステリアが死んでから使うつもりかよ?てめぇ!」アリアの目が怒りに燃えている。その瞳には、殺意すら感じられた。
その言葉にエルトロスの表情が一変した。彼の顔から血の気が引き、目が大きく見開かれる。
「エステリアに...何かあったのですか?」
彼の声には本物の恐怖が滲んでいる。それは、店の破壊を恐れる声とは明らかに違っていた。
「今はまだ死んでねぇ。今はな!」
アリアの声には冷たさが滲んでいた。それは、氷のように凍てつく怒りだった。
エルトロスは深く息を吐いた。その表情には、諦めと決意が混じっていた。
「...分かりました。こちらへ」
彼は奥の部屋へと歩き出した。遥斗とアリアはその後に続く。遥斗の心臓が高鳴る。これから何が起こるのか、彼には想像もつかなかった。
エルトロスは何もない通路の奥で立ち止まった。彼は深呼吸をし、指輪に手を触れた。突然、空間が歪み始め、遥斗の目の前に地下への階段が姿を現した。
「不可視化の魔法か...」アリアが低く呟いた。
三人で階段を下りると、そこには広大な地下空間が広がっていた。天井まで届くほどの棚が立ち並び、無数の魔道具や薬瓶が整然と並べられている。部屋の隅には、緊急時用と思われる寝具や食料も用意されていた。
エルトロスは中央の特別な金庫に近づいた。複雑な魔法の封印を解き、ゆっくりと扉を開ける。中から取り出したのは、三つの小瓶だった。
それぞれの瓶は、美しい光沢を放つクリスタルでできており、中の液体が神秘的に輝いていた。
「これを」エルトロスが差し出す。その手は僅かに震えていた。
遥斗は息を呑んだ。これらは、普通では手に入らない貴重なポーションだ。
まず、深い青色の液体が入った瓶。「最大MP増加ポーション」と呼ばれるそれは、使用者の魔力の限界値そのものを永続的に引き上げる稀少な逸品だった。
次に、鮮やかな赤色の液体。「最上級HP回復ポーション」は、どんな致命傷でも一瞬で完治させる伝説の薬だ。
最後は、黄金色に輝く液体。「加速のポーション」は、飲んだ者の動体視力と反射神経を一時的に極限まで高める危険な代物だった。
アリアはポーションを一つずつ慎重に受け取った。
「これで...少しは勝機が見えたか」アリアの声には、わずかな安堵が混じっていた。
エルトロスは複雑な表情でポーションを見つめていた。
「これらは、非常時のために...用意していたものです」
遥斗は、これらのポーションが持つ力と、それを手放すエルトロスの決意の重さを感じていた。王都の運命が、今まさにこの小さな瓶に託されようとしているのだ。




