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496話 正義の意味は

 

 ここは、アストラリア王国の最端。

 ダスクブリッジ領内の深い森。


 木々の隙間から見える夜空は、不気味に淀んでいた。

 この森を抜ければ、そこは世界の終わり。

「闇」は、もう目の前に迫っている。


 勇者パーティと、ソフィア共和国を主力とする精鋭部隊は、最後の小休止を取っていた。


「……あと1時間後。それで突入を行います。準備を整えていてもらえますか?」


 声をかけたのは、侵攻軍の指揮官、「紅蓮の魔導士」エレノア・シルヴァーンだ。

 彼女の視線の先には、厳重に警備された巨大な水晶塊がある。

 無限連鎖魔力爆弾「ラグナロク」。

 部隊の大半はこの森に残り、この兵器を死守する。

 闇から溢れ出る魔物を食い止めるためだ。


「……わかっている」


 涼介は、焚火を見つめたまま、ぶっきらぼうに返した。

 表情には一片の迷いも浮かんでいない。


「ちょ、ちょっと涼介くん!失礼でしょ!」

 横にいた美咲が、慌てて窘める。


「ああん?別にいいじゃん。こっちは協力してやってんのよ?もっと崇め奉っても罰は当たらないよ?」


 千夏が不満げに口を尖らせた。

 彼女は涼介の腕に絡みつき、エレノアを睨む。


「……申し訳ありません、エレノア様。二人とも、少し神経質になっているだけで……」

 美咲が深々と頭を下げる。


「構いません。お気になさらず」

 エレノアは意に介さず首を振った。


 無理もない。

 この突入は、正真正銘の「命がけ」だ。

 闇の中にどれだけの魔物がいるか、環境がどうなっているか、未知数。

 敵を蹴散らし、中心部まで移動。

「ラグナロク」を転移させて起爆する。


 生きて帰れる保証など、どこにもない。

 いや、帰れる確率の方が低いだろう。


 エレノアの顔に、不安がよぎる。

 それを目ざとく見つけた千夏が、鼻で笑った。


「なーんか顔色悪くない?ビビってんの、ねえ、おばさん?」

「千夏!」

「……ええ、そうね。否定はしません」


 意外にもエレノアは素直に認めた。

 歴戦の魔導士であっても、世界の終わりを前にして平然としていられるわけはない。


 すると、千夏はニカっと笑ってウインクした。


「大丈夫だって!涼介がいるんだから安心しなよ。勇者がいれば、絶対成功するし、絶対助かるから!」


 根拠のない、しかし絶対的な信頼。

 その明るさに、エレノアの心が少しだけ軽くなる。


「……そうですね。勇者様がおられるのですものね」


 涼介が、ふと顔を上げた。


「……もういいか?少し眠りたい」

「あ、うん!そうだよね、これからの為に休まないと!何してるの!ほら、みんなも休んで!」


 千夏が即座に周囲に指示を出す。

 彼女にとって、涼介は絶対だ。

 彼の言葉は法であり、正義であり、世界の真理なのだ。


 エレノアは一礼して引き上げ、涼介たちも暖を取りながら、作戦前最後の浅い眠りへと落ちていった。



 ***



 夢を見た。


 遠い、遠い昔の夢。

 まだ、涼介が小学生だった頃の記憶。


 高橋家は裕福だった。

 父は成功した実業家で厳格だが頼もしく、母は誰よりも美しく、優しかった。

 何不自由ない、完璧な生活。


 とある夏休み。

 海外にある別荘へ行った時のことだ。


 父は仕事で遅れて来ることになり、涼介は母と二人、所有するクルーザーで海へ出た。

 数名の搭乗員と共に。

 青い海を渡る優雅な時間。


 そこで——事件は起こった。


 急変した天候。

 予想外の嵐。

 そして、操船ミスによる岩礁への衝突。


 クルーザーはあっけなく浸水し、沈み始めた。

 涼介と母、そしてクルーたちは救命ボートで脱出した。


 だが、海は荒れ狂っていた。

 小さなボートは木の葉のように翻弄され、今にも転覆しそうになる。


 ザパァァァン!!


 巨大な波が襲った。

 ボートが大きく傾く。


「あっ……!」


 涼介の目の前で、母の体が宙に浮いた。

 海へと投げ出される。


「お母さん!!」


 救命胴衣は付けていた。

 だが、荒波は容赦なく母をボートから引き離していく。


「誰か助けて!お母さんが!」


 涼介はクルーたちに叫んだ。

 しかし、誰も動こうとしない。

 彼らもまた、ボートにしがみつき、自分の命を守るだけで精一杯だったのだ。

 今、動けばボートが転覆するかもしれない。

 二次災害になる。


 大人の理屈。

 プロの判断。


 その間に、母は流されていく。

 手を伸ばし、何かを叫んでいるが、暴風雨で何も聞こえない。


「早く!何してるんだよ!助けろよ!」


 涼介は泣き叫び、クルーを殴り、責め立てた。

 だが、彼らは「ごめんなさい、無理です」「坊ちゃんだけでも助けないと」と、下を向くばかり。


 そうしているうちに——


 母の姿は、黒い波間に消えた。



 一日後。

 涼介たちは、捜索船に救助された。


 港には、仕事を切り上げて飛んできた父が待っていた。

 父の顔を見た瞬間、涼介の感情が爆発した。


 震える指で、生き残ったクルーたちを指さす。


「お父さん……こいつらを……こいつらを死刑にして!!」


 憎悪。

 殺意。


「お母さんを見捨てたんだ!最低の人間だ!人殺しだ!全員、地獄に落として!」


 クルーたちが、土下座して謝罪する。

「申し訳ありません……仕方がなかったんです……」

「坊ちゃんを助けるだけでも精一杯で……」


 事実、彼らの判断がなければ、涼介もまた海に消えていただろう。

 彼らだって、苦渋の決断だったのだ。


 それでも、涼介は許せなかった。

「うるさい!助けるのが仕事だろ!金をもらってるんだろ!法的にも問題があるはずだ!絶対に訴えてやる!」


 子供とは思えない理屈で、大人たちを責め立てる。

 彼らは疲弊し、ただ涙を流して謝るしかなかった。


 その時——


 バチンッ!!


 乾いた音が響いた。

 涼介の頬が、熱く焼ける。


 父が、涼介を平手打ちしたのだ。


「お、父さん……?」


 父は、鬼のような形相で涼介を見下ろしていた。


「人を責める前に……なぜ、お前はお母さんを助けなかった!!」


 涼介は呆然とした。

「な……何を言ってるの……?僕は子供だよ?そんなこと、出来るわけないじゃないか!」


「出来るわけがない、だと?」


 父は、悲しみを堪え、怒声を張り上げた。


「ならばこの人達と何が違う!人に『正義』を語るためには、資格が必要だ!人を責めるのであれば、お前は誰よりも正しく、誰よりも強くあらねばならない!」


 父の言葉が、涼介の胸に突き刺さる。


「母の危機を前に、無力に喚くだけだったお前に!必死に戦った彼らを責める資格などない!!」


 一喝。


 涼介は、その場に崩れ落ちた。


 分かっていた。

 心のどこかで、分かっていたのだ。


 クルーを責める事で、「母の死の責任は自分にはない」と。

 自分を守りたかっただけだと。


 冷静になって考えれば、あの時、ロープを投げるとか、手を伸ばすとか、母を助ける方法はあったかもしれない。

 でも、その時の自分は恐怖で竦み、何も思いつかなかった。


 母が死んだ原因は、自分だ。

 自分が弱く、愚かだったからだ。


 だから、大切な人が死ぬのだ。

 弱ければ、何も守れない。

 正しくなければ、誰も裁けない。


(強く……)


 闇の中で、涼介は願った。


(強く、誰より強く……決して折れない強さを……)


 その時。

 夢の中に、温かい光が現れた。


 それは、母の姿をしていた。

 光となった母が、優しく涼介を抱きしめる。


『そうよ、涼介』


 甘い、誘惑のような囁き。


『もっと強くおなりなさい。誰よりも強く。正しいことを成すために』

『あなたならきっとなれるわ。全てを救う、本物の勇者に』


 母の愛に包まれ、涼介の心が満たされていく。

 歪んだ承認欲求と、強迫観念が、彼を「勇者」へと駆り立てていく。


(俺は……間違えない……)


 涼介は、光の中で誓った。

 二度と、失わないために。

 そのためなら——どんな犠牲も厭わない!

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